寺池城(てらいけじょう)は、宮城県登米市登米町にあった日本の城。「寺池館」とも呼ぶ場合もあり、通称「臥牛城」。江戸時代伊達氏の支配下の元「登米要害」と称した。

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寺池城
宮城県
寺池城城門
寺池城城門
別名 寺池館・登米要害・臥牛城
城郭構造 山城
築城主 葛西氏
遺構 曲輪跡、堀切・土塁
指定文化財 史跡:未指定。
市指定有形文化財:伝寺池城搦手門・養雲寺山門[1]
位置 北緯38度39分19.43秒 東経141度16分53.89秒 / 北緯38.6553972度 東経141.2816361度 / 38.6553972; 141.2816361座標: 北緯38度39分19.43秒 東経141度16分53.89秒 / 北緯38.6553972度 東経141.2816361度 / 38.6553972; 141.2816361
地図
寺池城の位置(宮城県内)
寺池城
寺池城
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歴史 編集

築城年代は不明。葛西氏により築城された。

天正18年(1590年)、豊臣秀吉奥州仕置によって葛西晴信は改易。木村吉清が葛西氏、大崎氏の旧領30万石を与えられ、寺池城を居城とした。

しかし、葛西大崎一揆が勃発。一揆軍に城を占拠されたため、木村吉清は佐沼城に逃れた。その後寺池城は伊達政宗により落城。

現在の寺池城は、慶長9年(1604年)、伊達政宗の家臣白石宗直が移り修築し、居城としたものである。その後白石氏伊達氏を名乗ることを許され、寺池城は一国一城令の後は登米要害と称し、幕末まで登米伊達氏の居城であった。

遺構 編集

廃城令や奥州仕置により殆どの建物は解体されたが、伝承を含むものの払い下げられた建築物も存在する。

同市内にある養雲寺の山門(四脚型楼門・市指定文化財[1])は、奥州仕置により前身の寺池城が廃城となった際、山門として移築されたものであるとされる(但し、当時は別の寺院。)。元は茅葺きであったが、近年銅板葺に吹き直されている。

また、同市内の民家にも廃城令で払い下げられたとされる門(伝・搦手門)が現存し、市の指定文化財となっている[1]

脚注 編集

関連項目 編集