小槻 伊綱(おづき の これつな、生年不詳 - 正和5年2月14日1316年3月8日〉)は、鎌倉時代官人内匠頭・小槻益材の子。官位は正五位上左大史

経歴 編集

亀山院政期にて、右少史を経て、弘安7年(1284年従五位下叙爵する。のち、算博士大蔵権大輔穀倉院別当等を務め、弘安11年(1288年正五位下に叙せられる。正応5年(1292年)大夫史であった祖父の小槻秀氏が没するが、父の益材は既に亡く、伊綱は若年であったことから大夫史を継ぐことはできず、壬生流顕衡が単独で大夫史を占めた。

正安元年(1299年)左大史に任ぜられて壬生流の統良と大夫史に並ぶと、翌正安2年(1300年)統良が没したために伊綱が官務(左大史上首)となる。その後、卒去までの約15年に亘って官務の地位を占め、延慶3年(1310年)ごろ正五位上に至った。

正和5年(1316年)2月14日卒去

官歴 編集

系譜 編集

系図纂要』による。

  • 父:小槻益材
  • 母:不詳
  • 妻:中原師顕の娘
  • 生母不詳の子女

脚注 編集

  1. ^ a b 『勘仲記』
  2. ^ a b 『系図纂要』
  3. ^ 『吉口伝』
  4. ^ 『鎌倉遺文』22718
  5. ^ 『醍醐寺文書』1929

参考文献 編集