小牧師』(しょうぼくし、The Little Minister)は、キャサリン・ヘプバーンが主演し、リチャード・ウォーレス英語版が監督した、1934年アメリカ合衆国のドラマ映画J・M・バリー1891年の小説『小牧師 (The Little Minister)』と1897年の戯曲『小牧師 (The Little Minister)』をもとに、ジェーン・マーフィン英語版サラ・Y・メイソンヴィクター・ヒアマンが脚本を書いた。この作品は、この原作に基づく5本目の映画作品であり、本作以前にもサイレント映画時代に4本が既に制作されていた[2]。原作小説は、バリーが出身地キリミュア英語版に擬して創作した架空の町「スラムズ (Thrums)」を舞台にした三部作の3作目であり、この三部作はバリーの出世作であった。

小牧師
The Little Minister
監督 リチャード・ウォーレス
脚本 ジェーン・マーフィン
サラ・Y・メイソン
ヴィクター・ヒアマン
原作 J・M・バリーによる同名の1891年の小説/1897年の戯曲
製作 パンドロ・S・バーマン英語版
出演者 キャサリン・ヘプバーン
音楽 マックス・スタイナー
撮影 Henry W. Gerrard
編集 ウィリアム・ハミルトン英語版
配給 RKOラジオ映画
公開 アメリカ合衆国の旗 1934年12月28日 (1934-12-28)
大日本帝国の旗 1935年4月 (1935-04)
上映時間 110 分
製作国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
言語 英語
製作費 $648,000[1]
興行収入 $1,104,000[1]
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あらすじ 編集

1840年代スコットランドの田舎を舞台に、新たにスラムズのオールド・リヒト教会に赴任してきた生真面目な聖職者ゲヴィン・ディシャートと、身分を偽ってジプシー娘バビイとして村人たちと交際している、実は領主リンタウル卿の保護の下にある娘バーバラの物語を描きながら、労働問題や階級問題に焦点が当てられる。

牧師のゲヴィン・ディシャートは、母を連れてスラムズの教会へ赴任してきた。大酒飲みロブ・ドウが、ディシャートに感化された禁酒したことを契機に、住民たちはゲヴィンを尊敬するようになる。住民には織工が多かったが、工場では賃上げ要求をめぐる揉め事が流血の事態となっており、軍隊が出動するのではないかという不穏な噂が立っていた。スラムズの領主リンタウル卿の屋敷で育てられた娘バーバラは、身分を偽ってジプシー娘バビイとして村人たちと交際し、リンタウル卿の支配から村人たちを護っていた。ディシャートは、バビイの計略に乗せられ、軍隊と住民たちの対立に巻き込まれる。ディシャートとバビイは好意をもつようになっていくが、ふたりの恋愛は住民たちの間でスキャンダルとなり、牧師としての地位が危うくなる。そうした中、ロブ・ドウが再び酒に手を出したことを息子のマイカーから聞かされたディシャートは、バビイを断念し、彼女はリンタウル卿と結婚する運びとなる。...[3]

キャスト  編集

制作 編集

 
『小牧師』のセットにおける監督リチャード・ウォーレス

当初キャサリン・ヘプバーンは、バビイ役を拒んだが、この役の話がマーガレット・サラヴァンに回ると、エージェント(代理人)だったリーランド・ヘイワードの助言に背いて、この役を引き受けることにした。この映画の予算は、当時としては巨額だった $650,000 で、その大部分はカリフォルニア州のシャーウッド・フォーレスト (Sherwood Forest) やローレル・キャニオン (Laurel Canyon) におけるロケーション撮影と、RKOフォーティー・エーカーズ英語版バックロット英語版に建設された精巧な村のセットに費やされた。この村のセットは、その後も、ローレル&ハーディの『極楽槍騎兵 (Bonnie Scotland)』など、多数の映画作品の制作にも使用された。この作品は、RKOにとって、この年に最も金をかけた映画であり、ヘプバーンの出演映画の中でも最も金がかけられたものであった[4]

サウンドトラックには、スコットランド民謡の「ロッホ・ローモンド (The Bonnie Banks o' Loch Lomond)」、「故郷の空 (Comin' Thro' the Rye)」、「House of Argyle」などが収められている。CD3枚組の『Max Steiner: The RKO Years 1929-1936』には、マックス・スタイナーがこの映画のために作曲した11曲が収録されている[5]

この作品の世界初公開は、ニューヨークラジオシティ・ミュージックホールでおこなわれた[6]

評価 編集

アンドレ・センウォルドは、『ニューヨーク・タイムズ』紙の映画評の中で、この映画を「サー・ジェームスによるスコットランドの小さな痛ましい恋愛物語が、優しく、愛情あふれる形で映画に整えられた ... 穏やかで落ち着いた調子の『小牧師』が、純粋に魅力的な作品であることは間違いない (a tender and lovingly arranged screen edition of Sir James's rueful little Scottish romance . . . in its mild-mannered and sober way, The Little Minister proves to be a photoplay of genuine charm)」と評した[6]。この映画は人気を博したが、費用がかかりすぎていたために、結果的に $9,000 の損失を出し[1]、ヘプバーンには「ボックス・オフィスの毒 (box office poison)」という評価が付いてしまった[7]

脚注 編集

  1. ^ a b c Richard Jewel, 'RKO Film Grosses: 1931-1951', Historical Journal of Film Radio and Television, Vol 14 No 1, 1994 p56
  2. ^ 1915年の映画 (en:The Little Minister (1915 film)) はイギリス映画パーシー・ナッシュ英語版が監督した。アメリカ合衆国では、1913年がジェームズ・ヤング、1921年 (en:The Little Minister (1921 film)) がペンリン・スタンロウズ英語版監督、1922年 (en:The Little Minister (1922 film)) がデイヴィッド・スミス英語版監督により、それぞれ制作された。
  3. ^ 小牧師(1934) - 映画.com
  4. ^ Richard Jewell & Vernon Harbin, The RKO Story. New Rochelle, New York: Arlington House, 1982. p79
  5. ^ Max Steiner – The RKO Years, 1929-1936 - Discogs
  6. ^ a b Movie Review - THE SCREEN; The Radio City Music Hall Presents a Tender Screen Edition of Barrie's 'The Little Minister.' - NYTimes.com”. movies.nytimes.com. 2019年10月2日閲覧。
  7. ^ The Little Minister”. Turner Classic Movies. 2019年10月2日閲覧。

外部リンク 編集