尹 昕(ユン・フン、朝鮮語: 윤흔1564年 - 1638年[1])は、李氏朝鮮文臣政治家[1]宣祖時代領議政を歴任した尹斗寿の次男。李氏朝鮮末期から連合軍軍政期に活動した政治家尹致昊は尹昕の8代目の孫。

ユンフン

尹昕
生誕 1564年
死没 1638年
職業 文臣
政治家
尹斗寿
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尹昕
各種表記
ハングル 윤흔
発音: ユン・フン
日本語読み: いん きん
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概要 編集

丙子の乱の際、尹昕は蛮夷だとして、主君である中華天子の忠実な諸侯として、また中華帝国のもっとも忠実な模範属国として、に誠心誠意仕えることを主張し、との講和に強硬に反対、主戦論を支持する[2]

朝鮮朝貢使節が北京詣でをする際、琉球の使臣は駕篭に乗って宮廷に入るのに対し、朝鮮の使臣は駕篭に乗ることを禁じられていたと、著書である『渓陰漫筆』に書いている[3]。そして尹昕は、李朝朝鮮人臣民は琉球人以下の扱いを受けていたと嘆いている[3]

著書 編集

脚注 編集