居昌事件
| 居昌事件 | |
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報告書に収録された犠牲者の写真
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| 各種表記 | |
| ハングル: | 거창 양민학살 사건 |
| 漢字: | 居昌良民虐殺事件 |
| 現地語読み: | コチャンサコン |
居昌事件(コチャンじけん)とは、朝鮮戦争中の1951年2月9日から2月11日にかけて大韓民国慶尚南道居昌郡にある智異山で韓国軍が共産匪賊のパルチザンを殲滅するためとして、大人(15歳以上)334人と子供(15歳未満)385人からなる無実の市民を虐殺した事件[1][2][3]。居昌良民虐殺事件とも呼ばれている[4][5]。また、慶尚南道山清郡、咸陽郡で2月8日に引き起こされた山清・咸陽良民虐殺事件(en)とひと括りにして、居昌・山清・咸陽良民虐殺事件としても知られている[6]。
概要
1951年2月9日から2月11日にかけて韓国慶尚南道居昌郡にある智異山で崔德新師団長[6]指揮下の韓国陸軍第11師団第9連隊第3大隊は吳益慶連隊長[6]の指揮により、居昌郡から一人残らず共匪パルチザンを殲滅するためとして719人(15歳以上334人と15歳未満385人)からなる無実の市民を虐殺した[2][1][3]。韓国軍は、韓国警察の家族までも除外することなく虐殺した[7]。この部隊は前日の2月8日には居昌郡に隣接する山清郡今西面、咸陽郡柳林面の一帯にある12の村々の住民705人を集めて虐殺を行っていた(山清・咸陽良民虐殺事件)[6]。この事件や国民防衛軍事件などによって李承晩大統領への反感が高まり韓国陸軍本部からはアメリカへのクーデター計画打診が行われた[1]。
1996年1月に居昌事件等の関係者の名誉回復のための特別措置法が制定された[3][8]。
2004年4月に事件を追悼して、15万m²の広さの敷地に居昌事件追悼公園が施工されている[2]。
犠牲者の内訳
事件犠牲者の総数は719人である[2][7]。性別では男性331人、女性388人となっている[7]。子ども(15歳未満)の犠牲者は359人[7]と385人[2]の説がある。359人説における年齢別の内訳は、3歳以下100人、4歳以上11歳未満191人、11歳以上15歳未満68人としている[7]。大人(15歳以上60歳未満)は294人としている[7]。60歳以上の高齢者は66人としている[7]。
実行犯への恩赦と昇進
居昌出身の国会議員が虐殺事件について国会に報告すると国会では調査団が結成され韓国軍の妨害を受けながらも現地調査を行い韓国軍の犯行を明らかにした。法廷は虐殺を指揮した呉益慶(Oh Ik-gyun)大佐と韓東錫(Han Dong-seok)少佐を終身刑としたが李承晩大統領はただちに恩赦を出して釈放するとともに[9]、韓東錫少佐を警察幹部に抜擢した[10]。
責任追及の動き
韓国政府の責任
2001年、居昌事件の遺族は韓国政府を相手として訴訟を起こし、裁判所は一審では韓国政府は遺族に40万ウォンずつ支払うように原告一部勝訴の判決を下したが、2008年6月5日、韓国最高裁判所は国家賠償の責任はないとの判決を下し事件を巡る訴訟は終結した[4]。
真実和解のための過去事整理委員会調査官の解任
韓国政府機関真実和解のための過去史整理委員会(en)のアン・ジョンエ(안정애)調査官が2010年6月に韓国政府の命令によって虐殺が行われていたことを自身のホームページ上で公開したことを受けて、2010年9月9日に真実和解のための過去史整理委員会はアン調査官を解任した[11]。アン調査官の告発によると特務隊文書ファイルの「居昌事件関連資料、1951」に韓国軍第11師団が出した「作戦命令5号付録」に「敵の支配下にあるものは全員銃殺せよ」と明記されており、山清・咸陽・居昌郡の未征服地域の住民を虐殺することを命令したことが明白であるとしている[11]。また、李承晩大統領の命令を受けて現地調査を行った特務隊が死亡者数の縮小、乳児遺体遺棄、性的暴行、財産略奪を隠ぺいしていたことが明らかにされた[11]。真実和解のための過去史整理委員会は内部文書として非公開を条件に国防部から関連資料を受領したと述べている[11]。2010年10月15日、アン調査官は当該文書は秘密文書に分類されているものではなく2009年に大統領と国会にすでに報告された文書であるとして解任取り消しを求めている[11]。
脚注
- ^ a b Noh Jae-hyun (2009年5月23日). “【Viewpoint】 Remembering Nogeun-ri Disagreement between the families of the victims of and the government over a memorial park is a fight of peace versus remembrance.” (英語). 中央日報 2010年1月31日閲覧。
- ^ a b c d e “"편히 영면하소서!'..거창사건 희생자 위령제(「安らかにお眠りください」..居昌事件の犠牲者慰霊祭)” (朝鮮語). 朝鮮日報. (2009年4月17日) 2010年1月31日閲覧。
- ^ a b c キム・ヨンマン (200-07-27). “거창사건 희생자 위령사업 10월 착수(居昌事件の犠牲者慰霊事業10月に着手)” (朝鮮語). オーマイニュース 2010年1月31日閲覧。
- ^ a b “대법 “거창양민학살사건 국가배상 책임 없다(最高裁 “居昌良民虐殺事件の国家賠償責任はない)” (朝鮮語). 東亜日報. (2008年6月5日) 2010年1月31日閲覧。
- ^ “「居昌良民虐殺事件 国家に賠償義務ない」”. 朝鮮日報. (2004年5月18日) 2010年1月31日閲覧。
- ^ a b c d 金朱完 (2000年5月16日). “산청 시천면 양민학살, 어떤 사건인가? 아녀자, 어린이 대부분...알려진 산청 함양사건과는 별개(山清シチャン面良民虐殺、どんな事件か?婦女子、子どもたちのほとんど...知られている山清・咸陽とは別個)” (朝鮮語). オーマイニュース 2010年1月31日閲覧。
- ^ a b c d e f g 韓寅燮. “거창양민학살사건의 법적 해결 ― 관련법의 개정방안을 중심으로 ―(居昌良民虐殺事件の法的解決 ― 関連法の改訂方案を中心に ―)” (朝鮮語). SNU Center for Public Interest & Human Rights. 2010年2月1日閲覧。
- ^ “대한민국 거창사건등관련자의명예회복에관한특별조치법(大韓民国居昌事件等の関係者の名誉回復のための特別措置法)” (朝鮮語). ウィキソース (2009年 6月 27日 (土) 01:46 UTC). 2010年1月31日閲覧。
- ^ Chun Su-jin (2003年2月10日). “SURVIVOR Hundreds were killed in a 1951 massacre. One man is left to remember.”. SNU Center for Public Interest & Human Rights. 2010年12月26日閲覧。
- ^ “거창양민학살사건”. 두산세계대백과사전. 2010年12月26日閲覧。
- ^ a b c d e ソン・ジュンヒョン先任記者 (2010年10月11日). “‘진실 공개’한 직원 내쫓은 진실위 거창양민학살 비공개문서 토대로 논문 썼다고… 전원사살 명령 담긴 ‘군 비밀 공개’ 문제 삼아 “대통령·국회 보고된 자료” 해고취소 심판청구” (朝鮮語). ハンギョレ. 2010年12月25日閲覧。
外部リンク
- (朝鮮語) '폭풍의 언덕'에서 학살의 참혹함, 평화를 기원하다 국제평화 르네상스 2. 한국사회와 다크 투어리즘 ⑪거창사건추모공원 『済民日報』2009年1月19日
関連項目
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