山名 義数(やまな よしかず)は、南北朝時代から室町時代武将守護大名

 
山名 義数
時代 南北朝時代 - 室町時代
生誕 正平7年/文和元年(1352年)
死没 元中8年/明徳2年12月30日(1392年1月24日)?
主君 足利義満
父母 父:山名時氏
兄弟 師義義理氏冬氏清義継時義時治氏頼氏重義数高義
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父は山名時氏。兄に師義義理氏冬時義など多数。

生涯 編集

山名時氏の八男として誕生。

元中6年/康応元年、六兄・時義が没して子・時熙が後を継ぐようになると、時義が惣領となったことに不満を抱いていた四兄・氏清と甥・満幸の自認が頂点に達した。

将軍・義満は、氏清と満幸に時熙、氏之の討伐命令を下し、氏清は義満の命令に応じて時熙を攻めて追放、恩賞として時熙の領国但馬を手に入れた。その後、義満は時熙、氏之を赦免し、元中8年/明徳2年12月に山名軍は京都に攻め入った(明徳の乱)。しかし、幕府軍の反攻により、氏清は討ち死、満幸は逃亡した。

脚注 編集