山野辺義逵

江戸時代中期の水戸藩家老

山野辺 義逵(やまのべ よしみち)は、江戸時代中期の水戸藩家老

 
山野辺 義逵
時代 江戸時代中期
生誕 天和2年3月3日1682年4月10日
死没 宝暦元年9月3日1751年10月21日
改名 義昭(初名)→義房→義武→義逵→義連→義逵→野山(号)
官位 従五位下、主水
主君 徳川綱條宗堯宗翰
常陸水戸藩家老
氏族 山野辺氏
父母 父:山野辺義清
義胤
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生涯 編集

天和2年(1682年)、山野辺義清の長男として江戸に生まれる。元禄8年(1695年)、元服する。

宝永元年(1704年)、父・義清が没したため、家督を相続、家老職に就いた。宝永5年(1708年)、従五位下に叙され、主水正を称する。朝廷に使すること2回。享保5年(1720年)に藩主徳川宗堯の官位昇任のため、次いで元文2年(1737年)に藩主徳川宗翰の官位昇任のため、名代として京に赴いた。

延享4年(1747年)、老齢のため子の義胤に家督を譲り隠居し、野山と号した。多年にわたる忠勤を賞され、隠居料50人扶持を与えられた。

宝暦元年(1751年)水戸で死去、享年70。

参考資料 編集

  • 鈴木彰『幕末の日立―助川海防城の全貌』常陸書房、1974年