岡崎市地域交流センター六ツ美分館・悠紀の里

岡崎市中島町にある公共施設

岡崎市地域交流センター六ツ美分館・悠紀の里(おかざきしちいきこうりゅうセンターむつみぶんかん ゆきのさと)は、岡崎市中島町にある公共施設。

岡崎市地域交流センター六ツ美分館
悠紀の里
悠紀の里外観
岡崎市地域交流センター六ツ美分館・悠紀の里の位置(愛知県内)
岡崎市地域交流センター六ツ美分館・悠紀の里
情報
管理運営 特定非営利活動法人岡崎まち育てセンター・りた
構造形式 鉄筋コンクリート構造
敷地面積
※約11,000
建築面積
※(第1期工事)約513 m2
(第2期工事)約765
階数 1階
駐車台数 65台
開館開所 2013年6月9日(一部)
2015年2月15日(全館)
所在地 444-0226
愛知県岡崎市中島町字上丸ノ内7番地1
座標 北緯34度53分21.34秒 東経137度7分3.82秒 / 北緯34.8892611度 東経137.1177278度 / 34.8892611; 137.1177278 (岡崎市地域交流センター六ツ美分館
悠紀の里
)
座標: 北緯34度53分21.34秒 東経137度7分3.82秒 / 北緯34.8892611度 東経137.1177278度 / 34.8892611; 137.1177278 (岡崎市地域交流センター六ツ美分館
悠紀の里
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沿革 編集

1994年(平成6年)、都市計画道路衣浦岡崎線の事業計画が発表され、岡崎市中島町にある悠紀斎田(大正4年の大嘗祭で献穀の用に供した田)の移転問題が発生する。2000年(平成12年)6月、斎田を同計画道路沿いに移動し、あわせてコミュニティー広場を整備する構想が生まれる。2003年(平成15年)8月には悠紀の里コミュニティー開設準備委員会が設立された[1]

2013年(平成25年)6月9日、建物と広場が完成。建物の中の歴史民俗資料室がひとまずオープンする。200平方メートルの広さを持つ斎田も整備された。総事業費約9億円[2]。毎年6月第1日曜日に行われている「六ツ美悠紀斎田お田植えまつり」であるが、この年は悠紀の里のオープン日にあわせて6月9日に開催された。

2015年(平成27年)2月15日、全館オープン。ホール、乳幼児室(プレイルーム)、活動室などが新たに設置された。同日より「特定非営利活動法人岡崎まち育てセンター・りた」が指定管理者として管理を行うこととなった[3]

歴史民俗資料室には、大正4年当時に使用した鍬や桶、鎌などの農耕具をはじめとする貴重品約150点が展示されている。また、床一面に当時の古地図がプリントタイルカーペットで表現されている[4]

施設の案内 編集

 
歴史民俗資料室
 
六ツ美南部学区ふれあい夏まつり

利用時間は9:00~21:00。休館日は月曜日(祝日の場合は翌日)、12月29日から1月3日まで。

区分 定員 備考
研修室A 15人 有料。岡崎市の市民活動団体は半額。
研修室B 15人 同上
第1活動室 16人 同上
第2活動室 (和室) 24人 同上
第3活動室 16人 同上
ホール 200人 同上
プレイルーム 無料。授乳室完備。
歴史民俗資料室 無料。

交通アクセス 編集

鉄道・バス(公共交通機関) 編集

道路(自家用車) 編集

東名高速道路岡崎インターチェンジ西交差点から衣浦海底トンネルを結ぶ「都市計画道路衣浦岡崎線」(25.7キロ)が2014年3月28日、全面開通した。未開通区間だった「岡崎市地域交流センター六ツ美分館・悠紀の里」前~「中島町上野」交差点間と、岡崎市中村町~正名町間の計1キロが開通したことに伴い、25.7キロが1本の道でつながった[5]

脚注 編集

  1. ^ 『大嘗祭六ッ美悠紀斎田100周年記念事業記念誌』六ッ美悠紀斎田100周年記念事業実行委員会、2016年2月25日、106頁。 
  2. ^ “岡崎・悠紀の里オープン 歴史・文化を紹介 来年度にはホールなど完成”. 東海愛知新聞. (2013年6月11日). http://www.fmokazaki.jp/tokai/130611.html 2014年11月23日閲覧。 
  3. ^ 『おかざき市議会だより』平成27年2月1日号、3頁。
  4. ^ CUBE54 岡崎市地域交流センター六ツ美分館 悠紀の里 | 東リ ニュースレター CUBE | 東リ オンライン
  5. ^ “衣浦岡崎線全面開通 地域の大動脈着工から47年”. 東海愛知新聞. (2014年3月29日). http://www.fmokazaki.jp/tokai/140329.html 2015年6月13日閲覧。 

関連項目 編集

外部リンク 編集