岡田只治
日本の実業家・発明家
来歴 編集
美濃国山県郡戸田村(現在の岐阜県関市保戸島)の庄屋の家に生まれる。
明治30年頃に岡田式渡船を考案し、地元を流れる長良川に渡船が取り付けられる。
1903年(明治36年)「岡田式渡船装置」として特許が認められる[1]。
岡田式渡船は最盛期には全国約60か所の渡船場における渡船方式として使用されていた。
岡田式渡船 編集
岡田只司により考案された渡船技術。川の両岸に渡したワイヤーと滑車を用い、水流を動力源とした[1]。架橋技術の進歩により各地の渡し船が橋梁に置き換えられるまでの期間、広く用いられた[1][2]。
関連項目 編集
脚注 編集
参考文献 編集
- 『岐阜県史 通史編 近代中』(岐阜県、1970年)
- 『岐阜県史 通史編 近代下』(岐阜県、1972年)
- 『岐阜市史 通史編近代』(岐阜市、1981年)
- 『山県郡志』(山県郡教育会、1918年)
- 『関市史』(関市教育委員会、1967年)
- 『新修関市史 通史編 近世・近代・現代』(関市、1999年)
- 『先人の生涯と業績』(岐阜県教育委員会、1959年)
- 『濃飛偉人伝』(岐阜県教育会編、大衆書房、1971年)
- 『濃飛人物史』(岐阜県歴史教育研究会編、教育出版文化協会、1980年)
- 『郷土の人物』(岐阜市初等教育研究会修身教育研究部、1934年)
- 『岐阜県郷土偉人伝』(岐阜県郷土偉人伝編纂会、1933年)