岩淵 勉(いわぶち つとむ、1888年明治21年[1]〉2月[2] - 1956年昭和31年[1]1月14日[2])は、日本実業家政治家青森県弘前市長。

来歴 編集

青森県中津軽郡弘前に生まれる。青森県立弘前中学校(現・青森県立弘前高等学校)を経て、慶応義塾大学理財科卒[1][3]。卒業後は弘前電燈株式会社に就職し、会社支配人となる[1][3]。その後、陸奥鉄道支配人、津軽鉄道常務となった[1][3]

1945年暮れに弘前市長の葛原運次郎が死去、1946年1月にその後任の市長に就任した。翌1947年、弘前市長選挙に立候補して当選した。4年後の市長選挙には不出馬、1955年の市長選挙に立候補して市長に返り咲いた。しかし、病気に倒れ、1956年、在職中のまま死去した。

脚注 編集

  1. ^ a b c d e 『青森県人名事典』67頁。
  2. ^ a b 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、24頁。
  3. ^ a b c 『日本の歴代市長』第1巻、182頁。

参考文献 編集

  • 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第1巻、歴代知事編纂会、1983年。
  • 『青森県人名事典』東奥日報社、2002年。