岩田継清(いわた つぎきよ[1]1879年明治12年)5月23日[2] - 没年不明)は、日本の発明家。

岩田継清

富山市出身[3]。代々刀鍛冶を業とし、1885年(明治18年)に父と共に上京して打刃物の製造販売に従事した[3]

1913年(大正2年)に回転稲扱機を発明し、農機の製造販売を開始し、1916年(大正5年)に下記脱稃装置の特許を取得した[3]

1927年(昭和2年)に合資会社岩田兄弟工場を創立し、代表社員となった[3]

1926年(大正15年)に帝国発明協会全国発明表彰により、有功賞が授与され[4]、1933年(昭和8年)には大賞が授与されている[5]

1950年、藍綬褒章を受章[2]

特許

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出典

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  1. ^ 青木恵一郎『農業風土人物誌 : 東京』(同朋舎、1977年)p.24
  2. ^ a b 『紅・緑・藍綬褒章名鑑 明治15年~昭和29年』(総理府賞勲局、1980年)p.491
  3. ^ a b c d 大阪発明協会 編『帝国発明家名鑑』日刊工業新聞出版部、1937年、114頁https://dl.ndl.go.jp/pid/1207646/1/278 
  4. ^ 全国発明表彰大正15年受賞者一覧”. 公益社団法人発明協会. 2024年5月11日閲覧。
  5. ^ 全国発明表彰昭和8年受賞者一覧”. 公益社団法人発明協会. 2024年5月11日閲覧。