崔 聚(さい しゅう、生年不詳 - 1427年)は、明代軍人本貫安慶府懐寧県

生涯 編集

1399年建文元年)、燕王朱棣の起兵に従った。1410年永楽8年)、永楽帝(朱棣)の漠北遠征に従軍し、広漠戍で敵を破った。1420年(永楽18年)、紫荊関を守備した[1]。永楽年間に河南都指揮僉事となった[2]1425年洪熙元年)、左軍都督僉事に累進した。1426年宣徳元年)冬、柳升黎利を討つべく遠征軍を発すると、崔聚は参将として従軍した。1427年(宣徳2年)9月、柳升が倒馬坡で敗死すると、崔聚は昌江で戦って敗れ捕らえられた。崔聚は屈服せず死んだ。

脚注 編集

  1. ^ 談遷国榷』巻17
  2. ^ 『河南通志』巻54

参考文献 編集

  • 明史』巻154 列伝第42