川崎祐名

日本の官僚、陸軍軍人

川崎 祐名(かわさき すけな / ゆうめい、1833年12月21日天保4年11月11日[1]) - 1906年1月13日)は、日本官僚陸軍軍人。最終階級は陸軍会計監督長(少将相当官)。男爵錦鶏間祗候

経歴 編集

薩摩藩士の家に生まれ、戊辰戦争に従軍。明治4年(1871年)に会計司となる。その後、兵部省に出仕し、会計三等監督に昇進。陸軍省に引き続き出仕し、会計副監督に進級。西南戦争には征討軍団会計部長として出征した。

1878年(明治11年)11月、陸軍会計監督に昇進し陸軍省第5局副長に就任。1879年(明治12年)10月、第5局が会計局と改称し引き続き副長を務める。1881年(明治14年)10月、会計監督長に進級し会計局長となる。1891年(明治24年)4月、予備役に編入された。1898年4月1日、後備役に転入[2]1903年4月1日に退役した[3]

1891年4月15日[4]から死去するまで貴族院勅選議員を務めた。1899年8月14日、錦鶏間祗候を仰せ付けられた[5]1900年(明治33年)5月、男爵の爵位を授爵し華族となった。 1906年(明治39年)に死去。長男の寛美が襲爵した[6]。 墓所は青山霊園

栄典 編集

位階
勲章等

親族 編集

脚注 編集

  1. ^ 平成新修旧華族家系大成』上巻(霞会館、1996年)p.459
  2. ^ 『官報』第4593号、明治31年10月20日。
  3. ^ 『官報』第5926号、明治36年4月8日。
  4. ^ 『官報』第2335号、明治24年4月16日。
  5. ^ 『官報』第4837号、明治32年8月15日。
  6. ^ 千田稔『華族総覧』講談社現代新書、2009年7月、610頁。ISBN 978-4-06-288001-5 
  7. ^ 『太政官日誌』明治6年、第152号
  8. ^ 『太政官日誌』 明治7年 第1-63号 コマ番号110
  9. ^ 『官報』第1003号「叙任及辞令」1886年11月1日。
  10. ^ 陸軍少将黒川通軌外六名勲二等ニ進叙」 アジア歴史資料センター Ref.A15110025500 
  11. ^ 『官報』第1929号「叙任及辞令」1889年12月2日。
  12. ^ 『官報』号外「授爵叙任及辞令」1900年5月9日。

参考文献 編集

  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 憲政資料編纂会編『歴代閣僚と国会議員名鑑』ライフ、1978年。
日本の爵位
先代
叙爵
男爵
川崎(祐名)家初代
1900年 - 1906年
次代
川崎寛美