工藤 隆人(くどう たかひと、1981年3月30日 - )は、青森県黒石市出身の元プロ野球選手外野手)、コーチ。左投左打。

工藤 隆人
阪神タイガース 二軍外野守備走塁コーチ #76
中日一軍外野守備走塁コーチ時代
2019年7月23日 MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 青森県黒石市
生年月日 (1981-03-30) 1981年3月30日(43歳)
身長
体重
171 cm
73 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 外野手
プロ入り 2004年 ドラフト9巡目
初出場 2005年9月22日
最終出場 2018年9月25日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

経歴 編集

プロ入り前 編集

弘前実業高校時代は1年の夏に外野手のレギュラーを獲得し[1]夏の甲子園に出場。2年の秋からはエースとしても活躍[1]、秋季東北大会でベスト8、3年夏は県大会ベスト4[2]

青森大学では細川亨の1学年下で、2年からレギュラーとして大学選手権ベスト8[2]、秋はリーグ首位打者。4年生次には竹原直隆城西大学)や鞘師智也東海大学)らとともに外野手として2002年第1回世界大学野球選手権日本代表に選ばれている。ベストナイン5回。JR東日本JR東日本硬式野球部)では同い年で同期入社の小山良男と共に都市対抗などに出場した。

2004年のドラフト会議北海道日本ハムファイターズに9巡目で指名され入団。背番号は53に決まった。

日本ハム時代 編集

2005年、1年目から二軍で83試合と積極的に起用され、打率.255、6本塁打、8盗塁(チームトップ)の数字を残した。この成績をうけてシーズン終盤に一軍登録され、9月22日の対オリックス・バファローズ戦にて森本稀哲の代打としてプロ入り初の一軍出場を果たした。この年は一軍で5試合に出場したが、13打数6三振0安打に終わり、安打を放つことはできなかった。

2006年、二軍で83試合に出場し、打率.282、1本塁打、9盗塁(チームトップ)を記録したが、一軍での出場はなかった。日本シリーズでは40人枠に入ったが、ベンチ入りはかなわなかった。

2007年、二軍で打率.379、1本塁打、15盗塁(チームトップ)の活躍が認められ、6月19日の対広島戦でプロ初安打となる三塁打を放ち、ここから4打数連続安打、スタメン3試合で7安打とアピール。これをきっかけに一軍に定着し、シーズン中盤以降左翼手のレギュラーとして活躍した。打率.288、9盗塁を記録してチームの優勝に貢献した。チームの優勝決定後、消化試合となった9月30日と最終戦の10月3日には、主力を外した若手主体のオーダーながら自身初となる4番打者として先発出場し、1番と9番以外の全打順でスタメン出場した。このシーズンの公式戦で工藤が打点を上げた11試合は全てチームが勝利するなど、飛躍のシーズンとなった。ポストシーズンのクライマックスシリーズ第3戦・第5戦でも打点を挙げてチームの勝利を導いたが、日本シリーズ第2戦で打点を挙げながら敗れ、「不敗神話」は13でストップした[3]

2008年、5月3日に、4打数4安打3打点の大活躍で、ヒーローインタビューを受けた。また、前年の5月3日にも活躍しており、この出来事がきっかけで工藤の背番号も5月3日にかけた53だったことから5月3日は「工藤の日」と称された。前年の72試合を大きく超える104試合に出場したが、左翼手に新外国人選手のターメル・スレッジが加入したことに加え、自身の打撃の調子も今ひとつ上がらず、代走や守備固めでの起用が中心になった。シーズン終了後の11月14日、二岡智宏林昌範との交換トレードにより、マイケル中村とともに読売ジャイアンツに移籍。背番号は35に決まった。

巨人時代 編集

2009年、巨人には少ない俊足好守の実績がある外野手として期待されたが、松本哲也亀井義行といった工藤とタイプが重なる若手外野手の台頭により、競争からはじき出される形になった。交流戦ではパ・リーグでの経験を買われて先発出場の機会を得たものの、49試合の出場に留まった。オフに同年に現役引退した木村拓也が付けていた0を継承。

2010年、ルーキーの長野久義の加入により外野手争いがより激しくなり、出場機会を得られず前年よりも少ない40試合の出場に終わった。

2011年、開幕を二軍で迎えた。一軍出場のないまま、6月29日にサブローと工藤+金銭の交換トレードで千葉ロッテマリーンズに移籍[4]。およそ3年ぶりにパ・リーグに戻ることとなった。背番号はサブローが付けていた3に決まった。

ロッテ時代 編集

 
2011年8月6日、QVCマリンフィールドにて

移籍後は大松尚逸の不振もあって、レフトでスタメン出場の機会を得、夏場には伊志嶺翔大岡田幸文と鉄壁の外野陣を形成した。一方打撃では打率.200と低調で、清田育宏の復帰や角中勝也の台頭で9月以降はスタメンの座を奪われた。しかし、シーズン途中の加入ながら53試合に出場し、巨人時代よりも出場機会を増やした。シーズン終了後、トレード相手の大村三郎(サブロー)がFAでロッテに復帰することとなったため、それに伴い、背番号が25に変更された[5]

2012年、開幕一軍入りしたが、角中勝也の台頭や、6月に荻野貴司が復帰するのと入れ替わりで二軍落ちとなった。そのまま再登録されることなくシーズンを終え、前年の出場試合数の半分にも満たない24試合の出場に終わった。また、代走や守備固めでの起用がほとんどだったため打席に立つ機会はほとんどなく、打率.167、シーズン中の安打は僅か1本に留まった。

2013年、開幕を二軍で迎え、プロ2年目の2006年以来となる一軍出場なしに終わり、10月3日に球団から戦力外通告を受けた[6]

中日時代 編集

 
2015年の工藤

その後、12球団合同トライアウトを受け、落合博満GMの目に留まって中日ドラゴンズの秋季キャンプに参加し、入団テストを受けて入団が決まった。背番号は62[7]。落合とは、著書(「落合博満の超野球学バッティングの理屈」)で当時のJR東日本硬式野球部員としてアドバイスを受けるなど、以前も縁があった。

プロ10年目の2014年は開幕一軍を勝ち取り、主に代走として出場機会を得ていたが、4月5日の読売ジャイアンツ戦で代走出場の際に右足を負傷し登録抹消。それでもシーズン終盤から再び1軍に合流すると、8月28日の横浜DeNAベイスターズ戦で三浦大輔からプロ初本塁打を放った[8]。9月15日の横浜DeNAベイスターズ戦でも、1点差ビハインドの9回表、1死2塁の場面で代打起用され、当時クローザーを務めていた三上朋也から同点タイムリーを放つなど、勝負強さを発揮した。この年は46打席ながら打率を3割に乗せた。

2015年、この年は僅か13試合に留まり、打率も.167、安打1本と低迷した。

2016年、開幕を一軍で迎え、閉幕まで一度も二軍に降格することなく、キャリア2番目の74試合に出場した[9]。主にリカルド・ナニータの代走、守備固め要員であったが、打撃面でも6月8日のオリックス・バファローズ戦で延長12回に決勝点となる勝ち越しタイムリーを放つなど、ここ一番での勝負強さも目立った。

2017年、この年もほぼ1年を通して代打や守備固めとして一軍に同行し、中日入団以降では最多の82試合に出場した[10]

2018年、年間を通して一軍に帯同。代走や守備固めとして安定した活躍を見せ、73試合に出場した。10月22日、球団に対し、現役引退を申し入れ[11]、同日付で任意引退選手として公示された[12]

引退後 編集

2018年10月29日、中日の一軍外野守備走塁コーチに就任することが発表された[13]2020年からは二軍外野守備走塁コーチに配置転換[14]

2021年11月10日、阪神タイガースの二軍外野守備走塁コーチに就任することが発表された[15]

選手としての特徴・人物 編集

50メートル5.8秒の俊足で[16]、俊足を生かした守備を見せる[16][17]。肩も強い[16]

両親はともに書道講師[18]。自身も小学6年生まで書道を習っており、6段の腕前を持つ[18]。なお、卒業文集の「将来の夢」には「プロ野球選手」と書くのが恥ずかしくなり、「書道家」と書いたという[18]

詳細情報 編集

年度別打撃成績 編集

















































O
P
S
2005 日本ハム 5 13 13 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 6 0 .000 .000 .000 .000
2007 72 231 215 23 62 6 4 0 76 17 9 1 3 0 12 4 1 44 0 .288 .329 .353 .682
2008 104 233 199 20 51 11 1 0 64 12 8 3 18 1 9 0 6 42 0 .256 .307 .322 .630
2009 巨人 49 56 51 12 13 2 1 0 17 1 1 0 2 0 2 0 1 18 0 .255 .296 .333 .629
2010 40 30 26 3 6 0 0 0 6 2 0 0 0 0 0 0 4 11 0 .231 .333 .231 .564
2011 ロッテ 53 112 100 7 20 3 1 0 25 5 3 1 5 0 4 0 3 21 0 .200 .252 .250 .502
2012 24 6 6 4 1 0 0 0 1 0 1 0 0 0 0 0 0 1 0 .167 .167 .167 .333
2014 中日 46 46 39 9 12 3 0 1 18 8 1 2 1 1 4 0 1 11 1 .308 .378 .462 .839
2015 13 7 6 2 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 0 0 3 0 .167 .286 .167 .452
2016 74 72 63 12 19 2 1 0 23 3 5 2 2 0 4 0 3 14 0 .302 .371 .365 .737
2017 82 58 51 12 12 1 0 0 13 0 3 1 4 0 3 1 0 13 1 .235 .278 .255 .533
2018 73 17 15 17 2 0 0 0 2 1 3 1 1 0 0 0 1 7 0 .133 .188 .133 .321
通算:12年 635 881 784 121 199 28 8 1 246 49 34 11 36 2 39 5 20 191 2 .254 .305 .314 .619

年度別守備成績 編集



外野












2005 日本ハム 5 6 0 0 0 1.000
2007 69 114 1 2 0 .983
2008 91 127 4 1 1 .992
2009 巨人 36 22 0 0 0 1.000
2010 20 7 0 0 0 1.000
2011 ロッテ 34 47 3 2 0 .962
2012 20 16 0 1 0 .941
2014 中日 28 20 3 1 2 .958
2015 10 2 1 0 1 1.000
2016 62 33 0 0 0 1.000
2017 47 26 0 0 0 1.000
2018 61 17 0 0 0 1.000
通算 483 437 12 7 4 .985

記録 編集

初記録

背番号 編集

  • 53(2005年 - 2008年)
  • 35(2009年)
  • 0(2010年 - 2011年6月29日)
  • 3(2011年6月30日 - 同年終了)
  • 25(2012年 - 2013年)
  • 62(2014年 - 2018年)
  • 78(2019年 - 2021年)
  • 76(2022年 - )

登場曲 編集

脚注 編集

  1. ^ a b 週刊ベースボール2014年5月19日号 P39
  2. ^ a b 週刊ベースボール増刊 大学野球2002秋季リーグ戦展望号 ベースボールマガジン社
  3. ^ 週刊ベースボール2014年5月19日号 P40
  4. ^ サブロー選手と読売ジャイアンツ・工藤隆人選手+金銭でのトレードについて”. 千葉ロッテマリーンズ (2011年6月29日). 2011年6月29日閲覧。
  5. ^ 工藤選手背番号変更のお知らせ”. 千葉ロッテマリーンズ (2011年12月23日). 2011年12月23日閲覧。
  6. ^ 来季契約について”. 千葉ロッテマリーンズ (2013年10月3日). 2021年4月11日閲覧。
  7. ^ 【中日】元ロッテ工藤の獲得決定”. 日刊スポーツ (2013年11月20日). 2021年4月11日閲覧。
  8. ^ 中日工藤プロ初本塁打「負けたくなくて」”. 日刊スポーツ (2014年8月28日). 2021年4月11日閲覧。
  9. ^ 中日工藤400万円増「来年頑張ろうと思って判」”. 日刊スポーツ (2016年11月11日). 2021年4月11日閲覧。
  10. ^ 中日・工藤、200万円増「来年は日本シリーズへ」”. スポニチアネックス (2017年11月11日). 2021年4月11日閲覧。
  11. ^ 中日ドラゴンズ 公式サイト - ドラゴンズニュース 工藤選手が引退を発表”. 中日ドラゴンズ. 2018年10月22日閲覧。
  12. ^ 任意引退選手 2018年度公示”. 日本野球機構. 2021年4月11日閲覧。
  13. ^ “来季コーチングスタッフのお知らせ”. 中日ドラゴンズ 公式サイト. (2018年10月29日). http://dragons.jp/news/2018/18102902.html 2018年11月3日閲覧。 
  14. ^ 中日ドラゴンズ オフィシャルウェブサイト - ドラゴンズニュース ★来季コーチングスタッフのお知らせ”. dragons.jp. 2020年12月17日閲覧。
  15. ^ 工藤隆人ファーム外野守備走塁コーチ就任会見”. 阪神タイガース 公式サイト (2021年11月10日). 2021年11月10日閲覧。
  16. ^ a b c 『野球小僧 世界野球選手名鑑2005』白夜書房、2005年、33頁頁。ISBN 4-86191-015-3 
  17. ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2006』白夜書房、2006年、61頁頁。ISBN 4-86191-134-6 
  18. ^ a b c 中日・工藤隆人コーチ「書道6段です」/プチ自慢 | 野球コラム”. 週刊ベースボールONLINE. 2021年11月8日閲覧。

関連項目 編集

外部リンク 編集