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左美濃(ひだりみの)は将棋居飛車で用いる囲い戦法の一つ。対振り飛車・矢倉に現れ、美濃囲いや高美濃などを、玉が8筋に来るように左右を入れ替えて作る、居飛車版の美濃囲い。持久戦・急戦共に柔軟に対応できるとされる[1]

特徴 編集

攻め方・囲い方に幅があり、初心者からプロまで用いる戦法・囲いである。他の振り飛車に対する持久戦法と比較すると、藤井システム石田流などの振り飛車の積極策に対し、極端に不利になることが少なく、プロでは持久戦に自信がない時の控えとして、アマチュアトップクラスでも大会で振り飛車の積極策が流行っているのなら、リスクの少ない戦法として需要がある。

囲い方 編集

8八玉型
角行を7七に上げて、8八の位置に玉を構える。かつてはよく用いられていたが、△6五桂が7七角に当たる、かと言って5九角と引いてしまっては、後手の角に玉将が直接狙われるという弱点がある。後述の米長玉に組み替えることもできるが、序盤から薄い玉頭を直接狙うという構想が広まってくると、下火になっていった。ただし後手が8二玉型であれば、有力な戦法である[2]。現在では居飛車穴熊を断念した場合などでも見られることがある[要出典]
△後手 なし
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天守閣美濃
玉が角筋に入るのを避けるため、8六に歩を突き8七の位置に玉を構えるという珍奇な構えだが、右辺からの攻めに対しては玉が遠く[注 1]、高い勝率を誇った。松浦卓造が、1960年のA級順位戦の加藤博二戦で、はじめて採用した[3]。玉頭が非常に弱いのが欠点。これに対抗する振り飛車側の作戦としては、藤井システムなどが知られる。なお、湯川 (2005) pp.174-175によれば、居飛車側の玉が8七に居るという形自体は1607年(慶長12年)の棋譜ですでにみられている発想(初代大橋宗桂本因坊算砂戦で宗桂が採用)である。右図のとおりで後手の四間飛車に対し、先手の左型木村美濃・ツノ銀雁木のような構えがその陣であった。
四枚美濃
天守閣美濃に加えて右銀を7七の位置まで移動させ4枚で囲う。
左銀冠
四枚美濃から進化した、左美濃の最終形。左銀冠進化前の左美濃に対する四間飛車側の対策については、藤井システムを参照。対振り飛車穴熊によく用いられる。振り飛車穴熊#対銀冠を参照。
米長玉
玉を9八に置く。この形から銀冠にするのも一時よく指された。8八玉型に比べ、角道を避けている意味がある。
端美濃
玉を9八に置く左美濃の一つ。通常より玉の位置が端に来るのでこの名前。串カツ囲いの途中の形。
平美濃
左美濃は一般に角道を開けて角を移動させる必要があるが、これは角道を開けずに組む方式で、こうすることで藤井システム等上部からの攻めを緩和している。飯島流の引き角などがこの戦型であるが、通常の左美濃に比べ、囲いを組んで玉を入場させるのが難しい。
一段玉型
▲8九(△2一)に位置する一段玉ならば米長玉やミレニアム囲いと同様に、角筋に玉が入ってこないメリットがある。
実戦例として、1954年7月 順位戦▲高島一岐代 vs. △大野源一戦がある。先手居飛車側の高島は5七銀右型二枚銀から7八に居た玉を8九に移動し、6七に上がった銀を7八に、5八の金を6七に移動させ、左美濃に組み替えていく。実戦では後手振り飛車側の大野が玉を金銀4枚で囲ったため、先手は薄くなった角頭を狙って▲3五歩と仕掛けて局面をリードしている。また1989年12月 棋聖戦予選▲羽生善治 vs.△剱持松二 戦がある。先手居飛車側の羽生は角を8八に置いたまま▲7八玉~7七桂~8九玉と組んだ後、銀冠に発展させた。


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対振り飛車の攻めのバリエーション 編集

右4六銀と組み合わせ
角道を開けたまま、主に天守閣美濃囲いで振り飛車側と互角の堅さであることを生かし、各種急戦を仕掛ける(第1-1図、第1-2図)。通常の4六銀右・4六銀左や鷺宮定跡などに比べて居飛車も陣形が良いので、同じように舟囲い4六銀右・4六銀左や鷺宮定跡などのときのような手順で進めれば有利となる。
△持ち駒 なし
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△持ち駒 なし
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引き角と組み合わせての右辺攻撃
主に4枚美濃囲いでの攻め筋である。向かい飛車以外の振り飛車の場合、先手左美濃で▲2四歩△同歩▲同角(後手なら△8六歩▲同歩△同角)という代表的な攻め筋がある。相手が同角と取れば作戦成功。2二飛と回っても3三角成か2五歩とするのが部分的な定跡。向かい飛車の際も、振り飛車側の角が3三の地点を離れて5五などに進出した場合に、▲2四歩から飛車交換を迫る指し方も生じる。
対三間飛車での類型は、三間飛車破り#左美濃での対三間飛車参照。
5筋位取り引き角型との組み合わせ
第2-1図のように振り飛車側が藤井システムの布陣の場合に、後手△4三銀(△6三金は▲3五歩)▲5六銀△6三金▲3七桂(先に▲7九角は△5四歩~△5四銀~△6五銀)以下、第2-2図から第2-3図のように左美濃から5筋位取りの布陣へ組み替える順があり、実際にアマチュア棋戦でも見られた。後手は第2-2図の時点で△5四歩▲同歩△4五歩▲7七桂△5二飛などの反撃に行きたいが、左美濃側も▲7七桂に代えて▲5三歩成△同金▲4五桂もあり、以下△9九角成に▲5三桂成などの指手がある。以下△8八香には▲7七銀。したがって振り飛車側は7九玉型のままで早く△5二飛から△5四歩を間に合わせる必要がある。
△持ち駒 なし
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△持ち駒 なし
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△持ち駒 歩
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腰掛け銀・右四間飛車との組み合わせ
右四間飛車#対振り飛車の右四間飛車など参照。
三手角または四手角
早くに角道を閉じる展開になった際に、▲7七角~▲5九角~▲2六角(△3三角~△5一角~△8四角)の三手もしくは▲7九角~▲4六角~3七角~▲2六角(△3一角~△6四角~△7三角~△8四角)の四手で角を▲2六(△8四)にもっていき、4筋(後手6筋)から攻撃する。
銀冠玉頭位取り穴熊に変化しての持久戦
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左美濃から銀冠へ組む指し方。#囲い方のとおり、バリエーションがいくつかある。居飛車側からはさらに図の左銀冠(四枚)から▲9八香~9九玉~8八銀、左銀冠(三枚)からは▲9八香~9九玉~8八金といった、居飛車穴熊に進展する指し方もある。
なお、左美濃から穴熊に組み替える方式のうち、神吉宏充が編み出した左美濃の骨格は崩さずに穴熊に組む「神吉流」というものがある。これは図のように右銀を▲5九~▲6八~▲7九~▲8八(後手なら△5一~4二~3一~2二)におさめる組み方を戦いのタイミングを計りながらすることで、急な開戦にも対応が可能という組み方。
銀冠は特に振り飛車穴熊対策の主流となっている。振り飛車穴熊#対銀冠参照。
2005年に行われたプロ編入試験の瀬川晶司対神吉宏充戦でも事前に四間飛車穴熊を用いることを宣言していた神吉に対し、瀬川は左美濃から銀冠の作戦を用いた。
対穴熊戦の銀冠ではしばしば▲8五歩(△2五歩)と位を取って角行を8六(△2四)に構え、今度は相手振り飛車側の5筋に角のにらみを利かす指し方もなされる。
さらに穴熊相手には内部リンク先玉頭位取りの項の図:玉頭位取りvs穴熊の例2のように、7筋(後手3筋)の位をとって冠の銀将を4段目に上げる戦術もある。穴熊相手にタイミングによって、先手で▲8四歩△同歩▲8五歩△同歩▲8四歩から8五銀などの継歩といった上部制圧の狙いや、6筋の位もとって角を6六に配置し、穴熊側の9三地点に利かせる、といった指し方もなされる。

角道クローズ左美濃 編集

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強力な先手中飛車に対し、居飛車も後手ならではの作戦を考えるようになった。それが角道不突き左美濃である。

居飛車が先手の場合、後手の態度を見る前に初手▲7六歩を突いていることが多い。しかしながら後手なら先に相手の態度を見ることができるので、中飛車が確定したら△3四歩と突かずに進める。角道を開けなければ△5四歩の決戦策も効果半減というわけで、図が駒組みの基本図。3四歩はタイミングを見て突く。△1四歩は大事なところで、場合によって△1三角と使う手も狙っている。図では△7二飛と寄って角頭を狙うか、△7三桂と駒を活用していくか、後手は左美濃の堅陣から先攻が可能である。

対左美濃 編集

Uターン飛車 編集

△持駒 歩
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天守閣美濃に対しては、藤井システムや先手6筋(後手4筋)位取り型の他に、図のような玉頭攻め、振り飛車側が、一度振った飛車を2筋(後手なら8筋)に振り戻して居飛車にして戦う順があり、これをUターン飛車という[4]

図の△8二飛以下、▲3四步△2二角▲4五桂と飛車の横利きがなくなれば、△8五步▲同步△8六步▲同玉△7五步▲同步△9五步▲同步に△7四銀が成立。これを▲同步とすると、△8五飛。こうした戦術は風車戦法などでの▲5九飛~2九飛(△5一飛~8一飛)や、逆に居飛車側が振り飛車に対して地下鉄飛車を仕掛ける指し方などが知られる。

類似の名称で、袖飛車のうち、一度振った振り飛車から3筋(後手なら7筋)に振りなおす袖飛車#振り飛車としての袖飛車はUターン袖飛車と呼ばれている。対振り飛車特に居飛車舟囲い急戦では振り飛車側からみて3筋(後手なら7筋)に王将を配するため、玉頭攻撃になり、振り飛車側から居飛車よりも相手玉に近い攻撃が可能になる。

相居飛車での左美濃 編集

左美濃はそもそも江戸時代、17世紀末から18世紀初頭に、相居飛車戦で活用されていた玉形であった。特に後手番が利用することが多く、△3三角と角行の位置をひとつあげて、玉を3一から2二に入場させ、高美濃に組む[5]

最初期が1695年、先手三代大橋宗与対後手二代伊藤宗印戦でみられる。これは平手戦であり、当時次期名人の座を争っていた二人の対局で、先手雁木に対して後手番の二代宗印が左美濃に構えている。これが記録上では初の左美濃とみられる。ただしこの場合の左美濃は、相手の袖飛車の攻めに対応して左美濃に構えたようで、囲いや戦法として確立していたかはわからない。

18世紀にはいってからは、1709年には三代大橋宗与が先手の雁木に対し、後手番で腰掛銀と8四飛型の浮き飛車との組み合わせで組んでいる。昭和以降では6二飛型の右四間飛車でみられる戦型である。1736年には伊藤看寿対八代大橋宗桂の御城将棋で、先手の看寿が左美濃に、後手宗桂は矢倉に構えている。

1768年には右香落ちの御城将棋でもみられる。大橋宗順対九代大橋宗桂戦で、大橋分家の宗順と、大橋本家で若者であった印寿、のちの九代宗桂の対局。下手宗順の矢倉模様に上手の九代宗桂は△5二飛と中飛車にし、逆真部流4四銀型にしている。この一局は宗桂は敗戦するが、同日の御城将棋で宗順は、お好み局として大井中務少輔とも右香落ち戦で上手をもって一局。今度は下手大井の矢倉模様に上手宗桂が△3三角型左美濃を採用し、その際に下手大井の▲2四歩△同歩▲同角に△2三歩とし、以下▲3三角成としたので△同玉と、図1の先手のように応じている。

△後手 なし
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こうした18世紀から19世紀の棋戦で、矢倉に左美濃と中飛車の組み合わせは、矢倉囲い図1-8にある1811年の御城将棋の平手戦で後手の十世名人・六代伊藤宗看の構えでもみられる。当時相居飛車将棋は2つの銀将で中央を厚くする雁木囲いが主流であったが、3筋・7筋を狙う袖飛車作戦が出現してからは3筋・7筋の攻撃に対応できる矢倉も用いられた。ただし矢倉は雁木に比べ銀将が左右に分断し、そのため中央が薄いとみられ、矢倉には中飛車にするのがこの当時の対抗策であった。そして7八金型に比べ7八銀型の居飛車は、相手からの袖飛車には7七銀で矢倉、中央狙いには6七銀で雁木、そして相手の矢倉には7八銀のまま玉を7九、8八に構えて左美濃から中飛車と、当時の戦型対応に柔軟に対応することが可能だったのである。その後の御城将棋でも先手(もしくは下手)は7八銀型に、後手(もしくは上手)は3二銀型に構える相居飛車将棋がしばらく続いていく。

時は下って平成以降、左美濃は矢倉戦でも用いられるようになっていく[6]

美濃囲いは矢倉囲いに比べて上部からの攻めに弱いが、横からの攻めには強いので、飛車切りの手順が出てきやすい戦型に於いては用いられ、囲う手数が矢倉より少ないことを活かして、応用させることが出来る。

主に右四間飛車型急戦矢倉左美濃作戦(後手番の戦術の1つ)が用いられている。速攻策は美濃囲い(3一玉型)からの先攻を目指し、飛車切りの強襲に耐えられるよう、飛車打ちに強い美濃囲いに組む。また相矢倉模様では高美濃から、玉の囲いの手数が美濃囲いより少ないことを主張して、先攻するもの。また逆に相手の急戦矢倉の攻めに対しても通常の矢倉囲いに比べて耐久性がある。

囲う際には角を先手なら▲7七角(△3三角)として玉を入城させる他に、第1図のように逆に▲7七玉(△3三玉)として入城する手法もあるが、相手に早く△8五歩-3一角(▲2五歩-7九角)にされないように注意して入城する必要がある。この手順は以前に田中寅彦が後手番で矢倉早囲いとして△7三銀型または△7二銀型棒銀とともに愛用していた。棒銀も攻撃態勢が速く築ける反面、△5三銀型に比べてて中央が薄くなるため、素早く中央に戦局が展開されると矢倉早囲いの組み方、△3二銀から△3三銀~4二玉~3二玉というはこび方であると相手方の矢倉中飛車や右四間飛車、居角急戦などの速攻には耐えられないが、そのまま美濃の陣形ならば弱体せず迎撃が可能であった。

△後手 なし
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△後手 角角歩3
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△後手 角角歩4
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第2図は脇システムに類似の局面。第2-1図より後手△2二玉ならば▲6四角△同銀▲4六銀とし、△9四歩ならば▲3五歩△同歩▲4一角△6二飛▲3五銀△3一玉▲3二角成△同玉▲1四歩△同歩▲1三歩(第2-2図)がある。第2-2図のような局面では特に△6九角が利かず、△4九角も今一つ厳しい手にならない。以下△1三同香ならば▲2四歩△同歩▲同銀△同銀▲同飛△2三歩▲2八飛△2四銀▲1二歩(第2-3図)などの順が展開される。

居角左美濃急戦 編集

矢倉は長らく居飛車の王道戦法として、タイトル戦含め多くの対局で指されていたが、2015年ごろからコンピュータ将棋を利用した研究により、先手矢倉には後手が速攻で対応することで先手番での勝率が下がりはじめ、しばらくはあまり指されなくなっていく。その原因として挙げられるものに、左美濃に組み居角で急戦をはじめとする急戦矢倉の発展がみられた。特に右四間飛車との組み合わせはアマチュア間では人気の急戦矢倉となっていて非常に攻撃力が高く、愛好者も多くなっていた。

居角で矢倉陣を攻める指し方は、以前から先手▲6六歩(後手△4四歩)を早く突く矢倉の組み方に対して居角・腰掛け銀・右四間飛車・▲2五歩保留型というような構えで第3-2図のようなケースや第3-3図のように矢倉中飛車から先手4筋(後手なら6筋)に飛車を振って指す手法があった。

右四間飛車#対矢倉の右四間飛車も参考。

△後手 なし
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△後手 なし
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△後手 歩2
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対矢倉の居角左美濃は玉を△3一の位置、升田美濃と呼ばれる左美濃に収め、主には腰掛け銀と右四間飛車の形から速攻を仕掛けるのが狙いであるが、場合によっては飛車は居飛車の位置で4筋(後手なら6筋)からまず仕掛け、タイミングを見て飛車先の歩を突く指し方もある。居角の左美濃は矢倉を組むのに比べてスムーズかつ升田美濃(▲7九玉や△3一玉の位置)であっても5筋を突かないので9七角や1三角の筋のラインから反撃されることも防がれているなどが特徴となっており、特に先手矢倉戦に対しての有力手段の一つとなっていく。

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 詰まされにくいということ。6九の金を取られてもまだ、詰めろ、すなわち、こちらの玉が次で詰むという場面に至らない場合が比較的多いとされる。

出典 編集

  1. ^ 『日本将棋用語事典』(2004) pp.166-167
  2. ^ 『消えた戦法の謎』p.62-p.68、『将棋基本戦法 振り飛車編』p.9、p.50-p.53
  3. ^ 天狗太郎『将棋金言集』(時事通信社)P.44
  4. ^ 『将棋世界Special 将棋戦法事典100+ 王道 流行 珍戦法 完全網羅!』(マイナビ出版)
  5. ^ 「日本将棋大系」全15巻と別冊3巻、筑摩書房、1978年から1980年(この節全体について)
  6. ^ 中田宏樹『対矢倉左美濃作戦』(この節全体について)

関連項目 編集

参考文献 編集

  • 勝又清和2003年5月14日、『消えた戦法の謎』文庫版、毎日コミュニケーションズ ISBN 4-8399-1091-X
  • 中田宏樹2012年、『対矢倉左美濃作戦』、マイナビ
  • 原田泰夫 (監修)、荒木一郎 (プロデュース)、森内俊之ら(編)、2004、『日本将棋用語事典』、東京堂出版 ISBN 4-490-10660-2
  • 森下卓1997年7月25日、『将棋基本戦法 振り飛車編』、日本将棋連盟 ISBN 4-8197-0334-X
  • 湯川博士、2005、『振り飛車党列伝』、毎日コミュニケーションズ ISBN 4-8399-1888-0

外部リンク 編集