巨勢 広高(こせ の ひろたか)は、平安時代中期の絵師。名は弘高広貴広孝とも書く。采女正巨勢金岡の曾孫にあたる。巨勢深江の子。官位は采女正。

 
巨勢広高
巨勢広高(菊池容斎前賢故実』)
時代 平安時代中期
生誕 不明
死没 不明
別名 弘高、広貴、広孝
官位 采女正
氏族 巨勢氏
父母 父:巨勢深江
是重
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経歴 編集

一条天皇の時代に宮廷絵師として活躍した。采女正に任ぜられ、長保2年(1000年)に絵所長者となる。長保4年(1002年)には花山上皇の命により書写山の「性空上人」を写生した[1]。『今昔物語集』の逸話によれば、広高には出家の意志があったため、病となった際に出家したという。しかし、平癒すると一条天皇の命により不本意ながら還俗して、以後も長く朝廷に絵師として仕えたとされる。寛弘7年(1010年)頃までの活動が見られ、大和絵の作例が多い。

系譜 編集

  • 父:巨勢深江
  • 母:不詳
  • 妻:不詳
    • 男子:巨勢是重

脚注 編集

  1. ^ 権記長保4年8月18日条。

参考文献 編集

  • 亀田孜「巨勢弘高」(吉川弘文館『國史大辭典 5』、1985年)