市川 忍(いちかわ しのぶ、1897年1月9日 - 1973年11月2日)は、日本の実業家丸紅の初代社長。「正・新・和」の精神で総合商社「丸紅」発展の基礎を築いた。

略歴 編集

茨城県北相馬郡布川町(現在の利根町)出身。神戸高等商業学校(現在の神戸大学)卒業後伊藤忠商事に入社し、大同貿易を経て、丸紅商店に移る。 1949年、丸紅の初代社長に就任した。高島屋飯田を吸収し、総合商社丸紅飯田(現在の丸紅)への転換を果たした。

1966年には大阪商工会議所会頭に就任した。 1970年12月、「後進に道を譲りたいとして」同会頭職の辞意を表明した(正式な辞任は1971年)。後任は近畿日本鉄道佐伯勇[1]。墓所は多磨霊園

脚注 編集

  1. ^ 市川氏が辞意 後任に佐伯氏『朝日新聞』1970年12月14日朝刊 12版 2面

外部リンク 編集


先代
植場鉄三
丸紅(旧大建産業)社長
初代: 1949年 - 1964年
次代
檜山廣
先代
小田原大造
大阪商工会議所会頭
第18代: 1966年 - 1971年
次代
佐伯勇