市川扇升

日本の歌舞伎役者、俳優

市川 扇升(いちかわ せんしょう、1918年12月25日 - 1948年4月20日)は、日本歌舞伎役者俳優である[1][2]。本名は小山内 喬(おさない たかし)。演出家小山内薫は実の父親である。

いちかわ せんしょう
市川 扇升
本名 小山内 喬(おさない たかし)
生年月日 (1918-12-25) 1918年12月25日
没年月日 (1948-04-20) 1948年4月20日(29歳没)
出生地 日本の旗 日本
職業 俳優歌舞伎役者
ジャンル 歌舞伎演劇劇映画時代劇トーキー
活動期間 1923年 - 1948年
配偶者 なし
著名な家族 小山内薫(実父)
主な作品
河内山宗俊
人情紙風船
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来歴・人物 編集

1918年(大正7年)12月25日小山内薫の三男として生まれる[1]

1923年(大正12年)、6歳の時に初代中村吉右衛門の門人市川 扇升と名乗り、初舞台を踏む[1]。後に前進座に入り活躍したが、1948年(昭和23年)4月20日、若くして病死した[1]。満29歳没。

主な作品として、1936年(昭和11年)に公開された山中貞雄監督映画『河内山宗俊』の直次郎役などが挙げられる。

出演作品 編集

フリーランス 編集

全てトーキーである。

幡隨院長兵衛』:監督千葉泰樹、製作南旺映画、配給東宝映画、1940年5月29日公開 - あはて儀助

脚注 編集

  1. ^ a b c d 『芸能人物事典 明治大正昭和』 日外アソシエーツ、1998年、54頁。
  2. ^ 『新撰 芸能人物事典 明治〜平成』 日外アソシエーツ、2010年、46頁。

外部リンク 編集