常田 角左衛門(つねた かくざえもん、元禄6年(1693年) - 正徳元年11月26日1712年1月4日))は、江戸時代中期の一揆指導者[1]

経歴・人物 編集

周防吉敷郡長野村(現:山口県山口市大内長野)の人物[2]

当時、村は長州藩重臣益田就高地方知行地であったが、村民はその苛政に苦しんでいた[1]宝永7年(1710年)角左衛門と松原清介は、強制開墾や苛税など苛政の実情を藩庁に越訴(長野村百姓一揆[3][1]。訴えは聞き入れられたが、越訴の罪で処刑された[1]

脚注 編集

  1. ^ a b c d デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『常田角左衛門』 - コトバンク
  2. ^ 日本大百科全書(ニッポニカ)(小学館)『常田角左衛門』 - コトバンク
  3. ^ 松原家文書(山口市)、2018年10月26日閲覧。