平成

平成(へいせい)は、日本元号の一つである。昭和の後、1989年(平成元年1月8日から現在に至る。2001年(平成13年)になると同時に21世紀世紀の転換があった。

改元

1989年(昭和64年)1月7日に昭和天皇が崩御して、今上天皇が即位した。これを受け、元号法に基づき1989年(平成元年)1月8日に改元がされた。元号法によって改元された最初の元号である。

「平成」は、改元時の内閣総理大臣竹下登ら政府首脳も決定前から執心していたという(渡部恒三[1]。また、閣僚などを通じ、「平成」や「修文」などの候補が外部に漏れ、幾ばくかの国民の間では予想する事も可能であった。しかし、佐野眞一は『文藝春秋』に載せた記事の中で、的場順三内閣内政審議官(当時)が「元号は縁起物であり改元前に物故した者の提案は直ちに廃案になる」[2]と発言したとしている。また佐野は、宇野精一目加田誠山本達郎に新元号提案の委嘱があったといわれ、目加田が「修文」を宇野が「正化」を提案したことを認めているが、山本だけが「ノーコメント」を貫いたため山本が「平成」の提案者ではないかと「断定してよさそうである」と書いている[3]。 一方非公式ながら、1990年(平成2年)1月、竹下登が講演の際、「平成」は陽明学者・安岡正篤の案であったと述べている。[4]但し安岡正篤も昭和天皇崩御前に物故している為、彼の発案という事は有り得ない、という意見も有る[5][6]

政府は昭和天皇崩御を受け、その当日(1989年昭和64年)1月7日)の午後、「元号に関する懇談会」(8人の有識者で構成)と両院正副議長に「平成」「修文」「正化」3つの候補を示し、意見を求めた。その際、委員の間から「修文(しゅうぶん)」「正化(せいか)」の2候補はローマ字表記の頭文字が「昭和」と同じ「S」になるので不都合ではないかという意見が出て全員一致で「平成」に決まったと伝えられる。

同日14時10分から開かれた臨時閣議に於いて新元号を正式に決定。14時36分、内閣官房長官小渕恵三が記者会見で発表。

只今終了致しました閣議で元号を改める政令が決定され、第1回臨時閣議後に申しました通り、本日中に公布される予定であります。新しい元号は、平成であります

と言いながら新元号「平成」を墨書した台紙を示す姿は、新時代の象徴とされた。

同日、「元号を改める政令」(昭和64年政令第1号)は新天皇の允裁(いんさい)を受けた後、官報号外によって公布され、翌1月8日から施行された。また、「元号の読み方に関する件」(昭和64年内閣告示第6号)が告示され、新元号の読み方が「へいせい」であることが明示された。

大正昭和の際と異なり、平成改元の際に翌日から施行された背景として、当時は文書事務の煩雑化・ワードプロセッサをはじめとするOAに伴うプログラム等の変更を行うためと報道された。

「平成」の出典

新元号の発表時に小渕恵三が述べた[7]「平成」の名前の由来は、『史記』五帝本紀の「内(内平かに外成る)」、『書経』大禹謨の「地(地平かに天成る)」からで「内外、天地とも平和が達成される」という意味。日本において元号に「成」が付くのはこれが初めてであるが、「大成」(北周)や「成化」()など、外国の年号や13代成務天皇の諡号にも使用されており、「平成」は慣例に即した古典的な元号と言える。

江戸時代最末期、「慶応」と改元された際の別案に「平成」が有り、出典も同じ『史記』と『書経』からとされている。

ただし典拠・故実に由来する反対意見に以下のようなものがある。

なお最終案である「平成」「修文」「正化」の他に「文思」「天章」「光昭」などの案も存在したと言われる。

時代の流れ

時代概説

アメリカ同時多発テロ前まで

1989年(平成元年)1月8日から2001年(平成13年)9月10日まで。

日本では、土地への投機熱でバブル景気が起こった。1989年(平成元年)にはベルリンの壁が崩壊東ヨーロッパでは次々と革命が起こって共産党政権が倒され、マルタ会談で米ソ首脳が冷戦終結を宣言し、第二次世界大戦後44年間続いた冷戦は終結した。1990年(平成2年)には湾岸戦争が勃発して、翌1991年(平成3年)には冷戦の盟主国の一角であったソ連が崩壊し、日本ではバブル経済が崩壊した。湾岸戦争ソ連崩壊・バブル経済崩壊によりアメリカナイゼーショングローバル資本主義が世界を席巻した。アメリカ一極体制の時代である。日本社会は「失われた10年」と呼ばれた不況の時代が続き、学生は就職氷河期に見舞われた。政界では55年体制が崩壊して、政界再編が活発化した。1995年(平成7年)は戦後50周年の節目として村山談話があり、1月には阪神・淡路大震災、3月にはオウム真理教地下鉄サリン事件が発生して、戦後体制の崩壊が叫ばれた。護送船団方式が崩壊して、内需縮小とデフレが始まる。

アメリカ同時多発テロから世界金融危機まで

2001年(平成13年)9月11日から2007年(平成19年)9月28日まで。

イスラム過激派アメリカ同時多発テロ事件を起こして、自爆テロ対テロ戦争が吹き荒れた時代。アメリカ一極体制が揺らぎ始め、対テロ戦争を主導したアメリカはしだいに苦境に追い込まれていく。資源価格の高騰により、ロシアブラジルアラブ首長国連邦などの資源国が台頭した。日本では小泉内閣は「聖域なき構造改革」と称して政治・経済のアメリカナイゼーションを一層強め、輸出産業の好転によって一時経済状況が好転したが、富裕層や外需関連業種を除いて「景気回復」の実感はなく、「格差社会」の到来が叫ばれた。一方、中国の経済発展により、日本の最大貿易相手国がアメリカから中国に変わった。

コンピュータ2000年問題以降、多くのマスコミは元号よりも西暦を主に使用することが多くなり、民間では元号を使う習慣が衰退した。

世界金融危機以降

2007年(平成19年)9月29日以降。

アメリカ合衆国のサブプライムローンを引き金とする世界同時不況が勃発した。それ以降、世界では、リーマンショックドバイショックGM破綻などが起きて、世界中で急激な信用収縮が発生した。これまで世界経済を主導してきた日米欧の経済的地位が低下して、国際政治でも中国・インド・ブラジルなど新興大国の存在感が増した。日本では就職氷河期が再び訪れ、非正規雇用者の解雇が相次ぎ、新卒者の就職率が再び低下した。格差社会が問題となり、小泉内閣聖域なき構造改革などの新自由主義政策が批判されるようになった。また、リーマンショックやギリシア危機などでドルやユーロの価値が下がり、相対的に円の価値が上がることで円高となりはじめた。政界では、2008年(平成20年)ごろから、日本を含め世界各国で政権交代が相次いだ。さらに、2011年(平成23年)初頭にはアラブ諸国ではアラブの春による反政府デモが起こり、チュニジアエジプトで長期政権が崩壊した。同年3月には、日本で東北地方太平洋沖地震並びにこの地震に起因する東日本大震災福島第一原子力発電所事故が発生し、放射能汚染により福島県の広範囲が居住不能となり、多くの人が移住を余儀なくされ、「戦後最大の国難」と称された。また、地震と原発事故に伴い全国各地の原子力発電所が停止して、電力不足が懸念され、各方面で節電が余儀なくされた。財政赤字の深刻化・政治の迷走・失業の増加と不安定雇用の増大など、日本が1990年代後半から苦しんできた問題が欧米諸国を襲い、欧米の「日本化」がささやかれた。アメリカ合衆国の財政危機と、ユーロの通貨危機から逃避した資金が円買いに向かい、日本の円高に拍車をかけた。


政治史

内閣総理大臣

平成期に在任していた内閣総理大臣は、竹下登宇野宗佑海部俊樹宮澤喜一細川護熙羽田孜村山富市橋本龍太郎小渕恵三森喜朗小泉純一郎安倍晋三福田康夫麻生太郎鳩山由紀夫菅直人野田佳彦の17人である。

氏名 在職日数 就任年齢 誕生年 出生地 学歴 世襲
74 竹下登 576日 63歳 1924年
(大正13年)
島根県 早稲田大学商学部卒業 父:竹下勇造元島根県議会議員
75 宇野宗佑 69日 66歳 1922年
(大正11年)
滋賀県 神戸商業大学神戸大学)中退
76-77 海部俊樹 818日 58歳 1931年
(昭和6年)
愛知県 中央大学専門部法科卒業
早稲田大学第二法学部卒業
早稲田大学大学院法学研究科修士課程中途退学
78 宮澤喜一 644日 72歳 1919年
(大正8年)
東京府
(選挙区は広島県
東京帝国大学法学部政治学科卒業 父:宮澤裕元衆議院議員
79 細川護熙 263日 55歳 1938年
(昭和13年)
東京府
(選挙区は熊本県
上智大学法学部卒業 祖父:近衛文麿元首相
高祖父:近衛篤麿元貴族院議長
80 羽田孜 64日 58歳 1935年
(昭和10年)
東京府
(選挙区は長野県
成城大学経済学部経営学科卒業 父:羽田武嗣郎元衆議院議員
81 村山富市 561日 70歳 1924年
(大正13年)
大分県 明治大学専門部政治経済科(明治大学政治経済学部)卒業
82-83 橋本龍太郎 932日 58歳 1937年
(昭和12年)
東京府
(選挙区は岡山県
慶應義塾大学法学部政治学科卒業 父:橋本龍伍元衆議院議員
84 小渕恵三 616日 61歳 1937年
(昭和12年)
群馬県 早稲田大学第一文学部英文科卒業
早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了
父:小渕光平元衆議院議員
85-86 森喜朗 387日 62歳 1937年
(昭和12年)
石川県 早稲田大学第二商学部卒業 父:森茂喜根上町
祖父:森喜平根上村長
87-89 小泉純一郎 1980日 59歳 1942年
(昭和17年)
神奈川県 慶應義塾大学経済学部卒業 父:小泉純也元衆議院議員
祖父:小泉又次郎元衆議院議員
90 安倍晋三 366日 52歳 1954年
(昭和29年)
東京都
(選挙区は山口県
成蹊大学法学部政治学科卒業 父:安倍晋太郎元外相
父:岸信介元首相
大叔父:佐藤栄作元首相
祖父: 安倍寛元衆議院議員
91 福田康夫 365日 71歳 1936年
(昭和11年)
東京府
(選挙区は群馬県
早稲田大学第一政治経済学部経済学科卒業 父:福田赳夫元首相
92 麻生太郎 358日 68歳 1940年
(昭和15年)
福岡県 学習院大学政治経済学部政治学科卒業 父:麻生太賀吉元衆議院議員
義父:鈴木善幸元首相
祖父:吉田茂元首相
曾祖父:牧野伸顕(大臣、知事など)
高祖父:大久保利通(内務卿、大蔵卿)
93 鳩山由紀夫 266日 62歳 1947年
(昭和22年)
東京都
(選挙区は北海道
東京大学工学部計数工学科卒業
スタンフォード大学大学院博士課程修了
父:鳩山威一郎元外相
祖父:鳩山一郎元首相
曾祖父:鳩山和夫元衆議院議員
94 菅直人 449日
63歳 1946年
(昭和21年)
山口県
(選挙区は東京都
東京工業大学理学部応用物理学科卒業
95 野田佳彦 264日
54歳 1957年
(昭和32年)
千葉県 早稲田大学政治経済学部政治学科卒業
在任期間

1982年(昭和57年) - 1987年(昭和62年)の中曽根康弘内閣を最後に、平成に改元された当時の竹下登内閣以降、平均の在任期間が1年強という短命な内閣が続き、2011年(平成23年)までの23年間に17人の日本国総理大臣が就任をした。平成での一番の長期政権は、小泉純一郎内閣で、戦後3位の1980日である。一番の短命政権は、羽田孜内閣で、64日である。

年代

大正生まれ(大正世代)の内閣総理大臣が宇野宗佑宮澤喜一村山富市である。戦後生まれの総理大臣が安倍晋三鳩山由紀夫菅直人野田佳彦である。最も若くして就任したのは、安倍晋三(52歳)であり、一番高齢で就任したのは、宮澤喜一(72歳)である。

出生地

東京都東京府)生まれが一番多くて、宮澤喜一細川護熙羽田孜橋本龍太郎安倍晋三福田康夫鳩山由紀夫の7人である。

学歴

早稲田大学出身者は、竹下登海部俊樹小渕恵三森喜朗福田康夫野田佳彦の6人である。東京大学出身者は、宮澤喜一鳩山由紀夫の2人である。慶應義塾大学出身者は、橋本龍太郎小泉純一郎の2人である。

国立大学出身者は宇野宗佑(神戸商業大学)、宮澤喜一(東京帝国大学)、鳩山由紀夫(東京大学)、菅直人(東京工業大学)の4人であり、ほとんどが私立大学出身者である。理系学部出身は鳩山由紀夫工学部卒業)・菅直人(応用物理学科卒業)の2人であり、大部分が文系学部出身である。大学院修了者は、小渕恵三(早稲田大学院修士)、鳩山由紀夫(スタンフォード大学院博士)の2人がいる。

海外留学経験があるのは、小泉純一郎ロンドン大学)・安倍晋三南カリフォルニア大学)・麻生太郎スタンフォード大学など)・鳩山由紀夫スタンフォード大学院)の4人である。

世襲

平成期の総理大臣は、ほとんどが親族(父・祖父・おじ・兄弟)が総理大臣経験者など国会議員であった世襲政治家が総理大臣になっているが、宇野宗佑(実家が造り酒屋)、海部俊樹(実家が写真屋)、村山富市(父が漁師)、森喜朗(父が根上町長)、菅直人(父がサラリーマン)、野田佳彦(父が自衛官)の6人は世襲議員ではない。

派閥

2011年(平成23年)現在、17人の首相のうち、派閥領袖として首相に就任した人物は竹下登宮沢喜一小渕恵三森喜朗麻生太郎の5人のみである。

その他

自民党でなかったのは、細川護熙日本新党)・羽田孜新生党)・村山富市日本社会党)・鳩山由紀夫民主党)・菅直人民主党)・野田佳彦民主党)の6人である。在職期間1年未満だったのは、宇野宗佑細川護熙羽田孜福田康夫麻生太郎鳩山由紀夫の6人である。

政党

平成期はスポーツ平和党真理党民主改革連合平成維新の会日本新党新党さきがけ新生党新党みらい高志会新党護憲リベラル護憲新党あかつき自由連合柿沢自由党自由改革連合新進党新社会党社会民主党太陽党フロムファイブ国民の声新党友愛新党平和民政党民主党自由党みどりの会議無所属の会政党・尊命保守党保守新党新党・自由と希望国民新党新党日本新党大地共生新党改革クラブ幸福実現党国民運動体 日本の夜明けみんなの党たちあがれ日本日本創新党大阪維新の会新党改革減税日本日本一愛知の会大地・真民主党新党大地・真民主新党きづななど新党結成(新進党や民主党などの二大政党の1つから、一時的に結成されたミニ政党まで)や新しい地域政党宗教政党の結成があり、また政党間の合併・政党分裂が相次いだ。

1989年(平成元年)に、竹下内閣による消費税導入とリクルート事件による自民党金権汚職への国民世論の反発と農産物の輸入自由化による農民の自民党離れの現象と宇野宗佑首相の女性スキャンダルによる女性有権者の反発などの理由から7月の第15回参議院議員通常選挙で自民党は過半数割れの大敗をした。社会党が一人勝ちをして参議院は与野党が逆転した。土井たか子委員長の女性政策によってマドンナ旋風がおき女性議員が倍増した。以後平成期は国会でも地方でも女性議員が増加している。社会党は1990年(平成2年)の第39回衆議院議員総選挙でも勝利したが、自民党も安定多数で勝利した事で政権獲得に失敗する。小沢一郎幹事長のもと自民党政権が(竹下派)経世会支配で安定する。自民党最大派閥竹下派1992年(平成4年)に小渕派と小沢一郎を中心とする羽田派に分裂した。小沢一郎は衆議院議員選挙制度小選挙区への変更をする利点として、自由民主党候補の同士討ちやサービス合戦廃止をする事で派閥を解消する。二大政党制による政権交代可能な選挙制度にする。金がかからない選挙にする。候補者本位から政党本位にして政権選択選挙を目指す政治改革論議を提起した。宮澤喜一首相が出演した番組の「総理が語る」の発言がきっかけとなった内閣不信任決議に賛成して嘘つき解散に追い込んだ小沢一郎は自民党を離党して新生党を旗揚げした。また別の政治改革グループの「ユートピア政治研究会」が新党さきがけを旗揚げした。1993年(平成5年)の第40回衆議院議員総選挙日本新党新生党新党さきがけが躍進して新党ブームがおきた。

1993年(平成5年)に(日本新党新党さきがけ新生党公明党民社党日本社会党社会民主連合民主改革連合)の7党1会派が連立した細川内閣が成立した。非自民連立政権の成立により、自民党は一時野党に転落して55年体制は崩壊するも、1994年(平成6年)には自民党は社会党との村山連立政権で早くも政権に復帰して、その後は公明党との連立で政権を維持した。政権与党は自由民主党単独政権→非自民・非共産連立政権日本新党新党さきがけ新生党公明党民社党日本社会党社会民主連合民主改革連合)→(自由民主党日本社会党新党さきがけ自社さ連立政権自由民主党単独政権 →(自由民主党自由党)自自連立政権→(自由民主党自由党公明党)自自公連立政権→(自由民主党公明党保守党)自公保連立政権→(自由民主党公明党保守新党)自公保連立政権 →(自由民主党公明党自公連立→(民主党社会民主党国民新党民社国連立政権→(民主党国民新党民国連立政権と移り変わり、自民党の単独政権から連立政権の時代となった。

1989年(平成元年)から1993年(平成5年)の政治体制は、〔1955年(昭和30年)から続く自民党対日本社会党の保守思想勢力と革新思想勢力による2大政党制から新党結成によって多党制に移行する55年体制の時代〕。

1993年(平成5年) - 1994年(平成6年)の政治体制は〔多党制による非自民・非共産連立政権 対(野党)の自由民主党対日本共産党の体制〕。

1994年(平成6年) - 1997年(平成9年)の政治体制は〔日本社会党が自民党との村山富市内閣自社さ連立政権自衛隊合憲日米安全保障条約堅持などへ基本政策を転換して、左翼支持層を失い、代わりに日本共産党左翼票を吸収するようになり一時勢力を伸ばした〕。

新進党結党で、55年体制時代に野党第1党で、これまで第2党であった日本社会党は第3党となった。日本社会党時代で最後の国政選挙になる第17回参議院議員通常選挙(1995年〔平成7年〕)で敗北した。その後、山花貞夫前委員長や政策集団「デモクラッツ」の赤松広隆など社会党右派によって第3極を目指す日本社会党・新党さきがけ連合の新党結成の動きがあり、社会党左派執行部は新党結成とイメージチェンジのために社会民主党に党名変更した。しかし、自社さ連立政権新進党勢力に属しない第三の道を目指す市民リーグが結成されて、さらに発展した新党として友愛を理念とする鳩山由紀夫菅直人によって旧民主党が結党された。日本社会党は民主党入党組と社会民主党残留組に分裂した。その後の第41回衆議院議員総選挙(1996年〔平成8年〕)で敗北した事で、旧社会党の議席数が衰退した。

1994年(平成6年)に自民党対新進党の二大政党制が成立。日本社会党とさきがけ勢力が結集した第三極(ゆ党)と呼ばれた民主党成立後に新進党が解体する。1998年(平成10年)からは自民党vs民主党二大政党制が成立した。

2005年(平成17年)自由民主党小泉内閣郵政解散による選挙で大勝して絶対多数の議席を獲得したが、後継の安倍内閣2007年(平成19年)の第21回参議院議員通常選挙で民主党に大敗して、参議院は与野党逆転をしてねじれ国会の構図が生じていた。2009年(平成21年)には、第45回衆議院議員総選挙で民主党が大勝して自由民主党が野党に転落して、民社国連立政権鳩山由紀夫内閣が誕生して政権交代がおきた。2010年(平成22年)5月28日から、社民党が連立離脱し、民国連立政権が誕生した。

政治思想・法制度改革

平成期は様々な政治改革や法制度改革が行われた。選挙制度改革として「小選挙区比例代表並立制の導入」「参議院比例代表制度が改定されて非拘束名簿式の導入」がされた。政治改革として「政治資金規正法」「政党助成金制度」「国会議員政策担当秘書」の制定と導入がされた。行政改革として「省庁再編」「公務員改革」がされた。司法制度改革として「新司法試験制度の導入」「法科大学院の設置」「裁判員制度の導入」「少年法の改正」がされた。

組織犯罪対策として地方自治体による暴力団排除条例の制定や、1992年(平成4年)施行の暴力団対策法の制定と1999年(平成11年)施行の通信傍受法が制定された。交通安全として携帯電話を使用しながらの運転やシートベルトの着用義務の強化やチャイルドシートの着用義務の強化と、居眠り運転飲酒運転の取り締まり強化を目的とする「危険運転致死傷罪」の制定が行われた。正反対の考え方としてプライバシー権から「個人情報保護法」の制定がされて、情報公開の思想から「情報公開法」が制定された。18歳以上の投票権を認めた日本国憲法の改正を是非を問う国民投票法が制定された事から、公職選挙法選挙権年齢)と民法成年年齢)と少年法成人年齢)を「20歳以上」から「18歳以上」に引き下げる事が検討された。

日本国内や中華人民共和国を中心とする日本国外での商標問題サイバー犯罪第三国からの日本国内の企業や行政機関に対するサイバーテロ攻撃が問題となった。著作権が重視されて著作権法に違反する著作権侵害が問題となった。

2000年(平成12年)に犯罪被害者保護法が成立して、2004年(平成16年)に犯罪被害者等基本法が成立して、2008年(平成20年)から刑事裁判における被害者参加制度が導入された。冤罪及び冤罪事件及び冤罪と疑われている主な事件が存在する事。近代的な人権思想から欧州諸国で死刑が廃止されている現状から、法務大臣で死刑執行の署名をしない政治家がいるなど死刑存廃問題凶悪犯罪への厳罰化との議論で注目された。日本の警察警察官検察官による捜査(取り調べの可視化)や基本的人権の保護や差別を訴える民主党による人権擁護法案が構想された。外国人参政権を巡って外国人地方参政権裁判が行われて、民主党などが日本における外国人参政権を推進している。

1997年(平成9年)に、北海道旧土人保護法が廃止されて、アイヌ文化振興法(アイヌ新法)が成立する。2008年(平成20年)6月6日アイヌ人先住民族と認可する国会決議が衆参両院で全会一致で可決される。

企業改革として1997年(平成9年)に独占禁止法が改正されて持株会社が解禁された。2005年(平成17年)に 新会社法が成立した。2007年(平成19年)に 新会社法の一部として三角合併制度が施行された。公社の民営化を推進して2003年(平成15年)に郵政事業庁が廃止されて日本郵政公社が成立した。2005年(平成17年)に日本道路公団が解散して分割民営化がされた。建物の構造を変える都市改革として1998年(平成10年)に建築基準法が改正された。雇用改革として1999年(平成11年)に労働者派遣法が改正されて、人材派遣が自由化された。2004年(平成16年)に労働者派遣法が改正された(製造業への派遣を解禁する)。

祝日法の大幅改正がされて、1996年(平成8年)に7月20日海の日となり、2007年(平成19年)に4月29日みどりの日昭和の日となる。土曜日日曜日月曜日を合わせた3連休にして、国民に余暇を過ごしてもらう目的で成人の日海の日敬老の日体育の日を月曜日に移動して祝日とするハッピーマンデー制度が導入された。2010年(平成22年)に民社国連立政権によって日本各地を分割して地域事に休日を分散する祝日法改正案が検討された。

平成期になり禁煙ブームで若い男性の喫煙率が低下傾向であり、東京都千代田区などの路上喫煙禁止条例神奈川県公共的施設における受動喫煙防止条例が執行された。平成20年代になって、自転車による交通事故の急増から、警察本部道路交通法の観点から自転車のマナー違反の検挙をするなどの自転車運転の取り締まりを強化する。

有事法制の整備」「PKO協力法の成立」「平成4年のカンボジアを最初とする国際連合平和維持活動テロ対策特別措置法による自衛隊の海外派遣」「国旗国歌法の法制化」「教育基本法の改正」「日本国憲法第9条を中心とする日本国憲法を改正する改憲」などの第二次大戦前への「逆コース」の傾向が強い政策への抵抗感が弱まり、日本社会党など革新勢力は弱まった。日本共産党は共産主義政党としては例外的にソ連崩壊後も勢力を維持し、1990年代には日本社会党が与党として基本政策を転換した事を批判する左翼支持層からの革新票を吸収して躍進した。しかし、2000年(平成12年)以降は野党票が民主党に流れるようになり、小選挙区制度が機能して自由民主党VS民主党の2大政党化が進行した。日本共産党は比例区を中心に得票を減らして長期低落傾向に陥っている。

2001年(平成13年)以降の小泉内閣及び民主党政権では、特殊法人の廃止と民営化の議論が開始をされた。相次ぐ、選挙結果を無視する国会議員独自の政界再編と政治家のスキャンダルもあり国民の政治不信を呼んだ。そのため、特定の支持政党を持たない無党派層が既存政党への支持者を大きく上回っている。2003年(平成15年)の第43回衆議院議員総選挙から公職選挙法が改正されて、民主党が先駆けてマニフェスト選挙を行った。2009年(平成21年)の第45回衆議院議員総選挙では自民党に対する逆風から民主党へ無党派の浮動票が流れて、民主党は安定過半数の300議席を持つ第1党となった。自由民主党は110議席代となり初めて衆議院の第1党から転落した。創価学会からの組織票がある公明党を除く中小政党は後退傾向となり、2大政党化が進行した。特定の支持政党を持たない無党派層が政権を左右する風潮が2000年代以降顕著になり、政治家政党ポピュリズム大衆主義)やマスコミによる世論調査が盛んになり、与野党攻防の劇場化現象や政治家の発言のワンフレーズ化と言われる風潮が生まれた。

2009年(平成21年)に誕生した民主党政権は、日米同盟を主軸とした外交政策は維持するものの、「対等な日米関係」を重視する外交への転換を標榜したが、普天間基地代替施設移設問題をめぐる鳩山由紀夫首相の見解が一貫せず、新しい外交政策の軸足が定まらず混乱、菅内閣では従前の外交路線に回帰した。また新自由主義政策からの転換も図られ、脱官僚や政治主導が再び叫ばれたが、民主党政権は鳩山由紀夫内閣や菅内閣では閣内の見解の不一致をたびたび露呈し、鳩山由紀夫首相や菅直人首相の発言も二転三転する有り様で、官僚に対し改革の主導権を握ることができなかった。民主党は政権公約のマニフェスト農業者戸別所得補償制度高速道路無料化を掲げ、鳩山内閣や菅内閣で実施する事を試みたが失敗して、2011年(平成23年)に野田内閣が発足するまでにマニフェストからの政策転換を余儀なくされた。

2010年(平成22年)ごろから、地方から政治を変えていこうとする流れが起きており、大阪維新の会減税日本などの地方政党が徐々に勢力を強めている。首相公選制参議院を廃止して一院制を導入する議論が提案された。2012年(平成24年)頃には、第46回衆議院議員総選挙の候補者育成のための政治スクールとして、大阪維新の会が開設した維新政治塾。大村秀章愛知県知事が開設した東海大志塾。減税日本の河村たかし名古屋市長個人の河村たかし政治塾が開設された。

政治家

国会議員

2000年(平成12年)の中央省庁再編により、官邸主導が強まった。2001年(平成13年)から2006年(平成18年)にかけての小泉政権下では社会保険庁の年金問題が表面化して、官僚による無駄使いや天下り批判がされ脱官僚の声が強まり、政権主導の改革を推進した。しかし、安倍内閣福田康夫内閣麻生内閣と後継政権の迷走が続き、小泉政権の時のような官邸のリーダーシップが発揮できなくなっている。

2000年(平成12年)の第42回衆議院議員総選挙で最後の明治生まれの桜内義雄原健三郎が議員引退して明治生まれが全て引退して、2009年(平成21年)の第45回衆議院議員総選挙で、中山太郎が落選して大正生まれ(大正世代)の議員がいなくなり全議員が昭和生まれとなった。1990年代は「竹下派七奉行」「清和会四天王」と呼ばれた政治家が活躍した。20世紀の間は大正生まれから、昭和一桁生まれ・昭和10年代生まれの政治家に世代交代をする移行期であり、大正生まれ(中曽根康弘竹下登宇野宗佑宮澤喜一村山富市梶山静六など)から昭和一桁生まれ(土井たか子海部俊樹武村正義など)・昭和10年代生まれ(小沢一郎羽田孜細川護煕橋本龍太郎小渕恵三など)までの政治家が1990年代の政界を主導したが、「竹下派七奉行」「清和会四天王」を中心に2000年代に入るとこれらの政治家の多くが死去したり引退した。自由民主党では自由民主党総裁選挙での自由民主党の派閥争いが弱体化したが総理大臣の座を巡って、ネオ・ニューリーダーと呼ばれた政治家が活躍して、金竹小安竹宮YKK山崎拓加藤紘一小泉純一郎)・麻垣康三などと呼ばれた政治家が注目された。2000年代になると、昭和10年代生まれ(森喜朗小泉純一郎亀井静香小沢一郎福田康夫麻生太郎など)・昭和20年代生まれ(鳩山由紀夫菅直人岡田克也安倍晋三など)が主導権握り、2010年代になると、昭和30年代生まれ(前原誠司野田佳彦など)の政治家が主導権を握り始めた。与野党で戦後生まれの党首が誕生して、国会議員は戦前生まれの政治家より、戦中・戦後生まれの政治家の方が多数となった。新党ブームがあった1990年代には、昭和30年代生まれ・昭和40年代生まれ(新人類バブル世代)が、小泉チルドレン・小沢ガールズなどが注目されるようになった2000年代には、昭和40年代生まれ・昭和50年代生まれ(氷河期世代団塊ジュニア)が国会議員となった。

20世紀までは、高学歴・実業家・世襲議員などのエリート階層や労組出身の国会議員が一般的であったが、21世紀に入って、就職氷河期を経験した氷河期世代(昭和40年代後半生まれ・昭和50年代生まれ)が政治家となり、フリーターなど元非正規労働者といった、一般的な若者の経歴と共通する政治家も登場した。

平成元年のマドンナ旋風以来、徐々に女性政治家は増加している。

小選挙区比例代表並立制に選挙制度が変わり自民党民主党の二大政党は、小泉チルドレン小沢チルドレンなどのサラリーマン化した議員を輩出して、中選挙区制時代のような地主型政治家や労組出身者は激減した。

首長

地方では、2000年(平成12年)に太田房江が大阪府知事となり、日本初の女性知事が誕生した。

大臣・中央省庁

1996年(平成8年)に内閣総理大臣補佐官制度が導入されて、1999年(平成11年)に国会審議活性化法が成立して、2001年(平成13年)に国会における政府委員制度及び政務次官が廃止されて、副大臣大臣政務官が新たに設置された。内閣府副大臣総務副大臣法務副大臣外務副大臣財務副大臣文部科学副大臣厚生労働副大臣経済産業副大臣環境副大臣防衛副大臣国土交通副大臣など副大臣制度が創設された。

内閣府政務官・総務政務官・法務政務官・外務政務官財務政務官・文部科学政務官・厚生労働政務官・経済産業政務官・環境政務官・防衛政務官・国土交通政務官など政務官制度が創設された。

内閣府が創設されて、阪神大震災の教訓や東日本大震災への対応から防災担当大臣復興担当大臣)が設置されて、福島第一原子力発電所事故対策の必要から原発担当大臣が設置されて、原子力安全庁(原子力規制庁)の設置計画が閣議決定された。2011年(平成23年)に東日本大震災復興基本法が成立して、2012年(平成24年)2月に復興庁が設置された。同時に内閣の定員である担当大臣枠を1人増加させる法案が可決された。急速に進んだ少子化対策として少子化担当大臣が創設された。消費者庁を管轄する消費者及び食品安全担当大臣金融庁を管轄する金融担当大臣・沖縄問題と北方問題を管轄する沖縄及び北方対策担当大臣が創設された。経済財政諮問会議を管轄する経済財政政策担当大臣が設置された。拉致問題対策本部のトップである拉致問題担当大臣が創設された。

森山真弓が女性初の官房長官となり、田中真紀子が女性初の外務大臣となり、小池百合子が女性初の防衛大臣となった。女性大臣は昭和時代の男性のみ女性なしから、第1次小泉内閣の女性大臣5人を最多に女性が平均1人から2人の割合で入閣するのが当たり前となった。

民主党政権では国家戦略室が設置されて、行政刷新会議による事業仕分けが実施された。2011年(平成23年)の野田内閣では政策仕分けが実施される。

地方自治体

地方では、ユニークな「改革派首長」が登場して、財政再建や過疎対策などに辣腕を振るうようになった。1999年(平成11年)- 2006年(平成18年)頃、総務省の政策で平成の大合併による市町村合併が行われて地方自治体は大幅に削減されて多くの市町村が消滅した。東京一極集中が再び加速して地方経済の衰退が顕著になった。これに伴い財政再建団体に転落した自治体や医療崩壊に至った地域が現れ問題になっている。1989年(平成元年度)には竹下内閣によるふるさと創生事業が実施された。2008年(平成20年度)以降にはふるさと納税制度が導入された。

道州制議論として大阪府大阪市を統合する大阪都構想愛知県名古屋市を統合する中京都構想新潟県新潟市を統合する新潟州構想関西広域連合が立案された。

新しい地域政党である大阪維新の会橋下徹大阪府知事が設立)、日本一愛知の会大村秀章愛知県知事が設立)、地域政党いわて飯沢巧岩手県議会議員が設立)、埼玉改援隊清水勇人さいたま市長が設立)、三木新党8人のサムライ蕨本吉秀兵庫県三木市長が設立)、減税日本河村たかし名古屋市長が設立)、対話でつなごう滋賀の会清水鉄次滋賀県議会議員が代表を務める)、龍馬プロジェクト吹田新選組石川勝大阪府吹田市議会議員が設立)、新政みえ日本維新の会原口一博衆議院議員が設立)、松山維新の会愛媛県松山市議会議員らが設立)、愛媛維新の会愛媛県議会議員らが設立)、西予維新の会愛媛県西予市議会議員らが設立)、京都党村山祥栄京都市議会議員が設立)など次々と地域政党が設立された。

経済史

バブル崩壊と平成不況

1989年(平成元年)12月29日に日経平均株価が最高値をつけた後、日本銀行による金融引き締めへの転換と、不動産金融に対する総量規制による政府の地価上昇に対する抑制政策によってバブル景気が崩壊した。この頃から失われた20年失われた10年が始まり、平成初期は日米間の貿易摩擦からジャパンバッシングがあり、アメリカ合衆国からスーパー301条年次改革要望書などの対日圧力があった。

その後の、1995年(平成7年)から1996年(平成8年)の期間にいったん経済成長率が回復したが、1998年(平成10年)から1999年(平成11年)の期間には橋本内閣による財政構造改革で、財政支出の削減・所得税住民税の特別減税の打ち切り・健康保険料の負担増加・消費税を3%から5%に引き上げた事。日本で発生した金融危機とアジア通貨危機の影響でGDPがマイナス成長となり日本経済は停滞期に入った。

企業の設備投資は抑制されて、雇用不安の高まりで個人消費は低迷した。バブルの崩壊で巨額のキャピタルロスを生み出した。三洋証券の経営破綻によるコール市場デフォルトが発生して、コール市場への資金供給は縮小した。その後、企業や経済のシステムは、アメリカ一極体制を背景に根こそぎアメリカ型に変わり、1980年代のアメリカを襲った整理解雇が、『リストラ』や『ダウンサイジング』という正当化された名前で1990年代以降の日本でも増加した。企業は投機の含み損により不良債権を抱え、不良債権処理の問題が発生した。

住専問題などを抱える、金融機関や銀行は貸し渋りに走り、第136回国会(住専国会)で対策が審議されて、金融危機対策として金融ビッグバンの実施や金融機能早期健全化法・金融再生法第143回国会(金融国会)で制定された事によって破綻した銀行が特別公的管理(一時国有化)となった。新卒者は就職氷河期に、中高年は整理解雇ブームに襲われた。

1997年(平成9年)の橋本内閣で行われた消費税増税(5%)は、バブル崩壊の痛手から立ち直りかけていた日本経済に打撃を与え、日本は未曾有の長期にわたるデフレ経済に突入することになる。企業の倒産として2000年(平成12年)にそごうグループが民事再生法を適用を申請して、2010年(平成22年)には日本航空会社更生法の適用を申請するなどの企業倒産企業合併・企業再編・海外企業による企業買収が相次ぎ、1997年(平成9年)に山一證券北海道拓殖銀行が廃業した。翌年の1998年(平成10年)には日本長期信用銀行が破綻して経済的理由からの自殺が激増した。

加えて、この頃から金融機関の含み損が再び表面化して、多額の不良債権を抱えた企業の経営破綻が相次いだ。この反省から1998年(平成10年)に発足した小渕内閣では積極財政・景気対策路線がとられて、1999年(平成11年)には、ゼロ金利政策の導入と地域振興券と言う名称の商品券が配られた。公共事業減税によるケインズ政策によって財政赤字が増大したが、経済は本格的な回復路線に乗ることはなかった。(参考文献は、日本経済史1600年代 - 2000年代。歴史に読む現代。慶應義塾大学出版会)。

小泉構造改革といざなみ景気

2001年(平成13年)に首相に就任した小泉純一郎によって「聖域なき構造改革」が推進された。郵政事業などの公共サービスの民営化・電気産業・通信産業・運輸業などの参入規制改革を政策目標としていた。民間金融機関に係る行政は、伝統的に大蔵省(現在の財務省)が担ってきたが、民間金融機関等の検査・監督を分離して2001年(平成13年)に内閣府の外局として発足した金融庁によって金融再生プログラムが実施されて、銀行の不良債権処理が進んで金融機関は健全化した。日本銀行ゼロ金利政策から量的金融緩和政策に転換して、都市銀行は三大メガバンクに統合された。デフレが進行した経済対策からノーベル経済学賞を受賞した経済学者ポール・クルーグマンが提唱したインフレターゲットの導入が検討された。

長く緩やかな景気回復(平成14年2月以降)が続き、複合不況からは脱した。しかし、この景気拡大は専ら外需主導であり、公共投資の縮小及び企業の人件費抑制に伴う労働分配率低下により、内需と個人消費は冷え切ったままであった。また、2003年(平成15年)の大卒就職率は55%にまで低下、高卒も史上最悪の就職難に遭遇した。新興国の経済発展に伴い、重厚長大産業を含む製造業の復権が起こった一方、新しい産業としては情報革命によってIT産業が発達して、少子高齢化によって介護サービス事業が成長して、非正規雇用の増大で労働者派遣業が成長した。

2000年代後半に入ると、六本木ヒルズ族と呼ばれる富裕層が話題を振り撒く一方、非正規雇用の増大(15歳 - 19歳は約7割が非正規雇用)や、フルタイムで働いても貧困から脱却できないワーキングプアの存在が表面化し、「格差社会」の到来が叫ばれるようになった。2009年(平成21年)の日本政府の発表では、2006年(平成18年)の時点で貧困率は15.7%であった。2008年(平成20年)に入ると、景気は再び後退し始め、資源価格上昇の中で景気後退が続くスタグフレーションの進行が憂慮された。

経済構造の変化と日本社会の変化

1990年代バブル景気による土地神話が消滅するバブル崩壊があり、基準地価公示地価など地価が毎年下落し続けた。2005年(平成17年)以降は一部優良な土地の地価が上昇するようになった。平成20年代になり、ガソリン価格の高騰による運輸業の経営への圧迫やガソリン税減税問題が提起された。2008年(平成20年)に国土交通省の外局として、日本の観光を盛んにして観光地に外国人観光客を多数呼び込み、観光(観光業)立国を目指すために観光庁が発足した。ギャンブル関係では、数字選択式全国自治宝くじロト6スポーツ振興くじ・競馬のワイドが導入された。金融関係ではペイオフが実施され、ネット証券ネットショッピング投資信託が普及して、アフィリエイトなどのインターネットビジネスが成長した。

小売業では、ダイエーなどのGMSの隆盛が終焉を迎え、100円ショップブックオフコーポレーションマクドナルド吉野家などの商品の値下げ競争が注目された。こうした価格競争に取り残されたそごうなどの百貨店が縮小した。ユニクロなどの低価格で大量販売をするチェーンと、2000年(平成12年)に大規模小売店舗法が廃止された事で大規模店舗の建設と出店が自由化されてイオンを代表とする郊外型スーパーが成長した。三浦展の造語である大型店やチェーン店などが郊外に進出することで、地域の個性が失われてしまう現象の『ファスト風土化』と『下流社会』と呼ばれる所得が低い上に、意欲も低い社会階層が誕生した。地方都市郊外にはロードサイド店が林立し、地方都市の中心市街地を荒廃させた。

地方では医療崩壊が始まる中路線バスが相次いで廃止され、自家用車を自ら運転できない高齢者の買い物難民や交通難民が社会問題となった。一方、都市部の若者は生活必需品ではない自動車に興味を示さなくなり、車離れをするようになった。地方で大きな雇用を生み出していた建設業は大幅な公共事業の削減で建設会社が減少して、一部は農業福祉産業に転じる動きもみられた。製造業円高のために生産縮小と海外への工場移転が続いた。

プリペイド前払い式のWAONイオンリテール株式会社)やカード型のみのTOICA東海旅客鉄道株式会社)などの電子マネーの普及で2011年(平成23年)には1円玉硬貨が1枚も製造されなかった。印刷物書籍に代わって、電子書籍が普及する。

2011年(平成23年)に携帯電話PHSの契約台数が日本総人口の1億2805万人を超える国民の保有数が1億9805万台となり、人口比で契約数が101.4%となった。通常の携帯電話以外に通信機器専用のスマートフォンをもつ人や会社などの仕事用の携帯電話とプライベートの携帯電話で使い分ける「2台持ち」の人が増加した事も要因と分析されている。

世界同時不況

2000年代は輸出産業である製造業が好調だったが、人手不足は2004年(平成16年)に労働者派遣法が改正された事で製造業にも派遣が認められて外国人労働者を含む派遣社員を中心に不安定雇用労働者などでまかなわれた。そのため、海外市場の減速が製造業を直撃した事と2009年問題により、2008年(平成20年)秋頃から、派遣労働者の解雇や雇い止めをする「派遣切り」が増加し、2009年(平成21年)3月までに19万人が失職した。職を失った派遣社員が大量に寮を追い出され、ホームレスと化した。

アメリカのサブプライムローンを引き金とする2008年(平成20年)末からの世界同時不況は、「100年に1度の不況」「第二次世界恐慌」などと呼ばれており、製造業以外の業種にも深刻な打撃を与えている。2009年(平成21年)に麻生内閣の緊急経済対策として定額給付金の給付やエコカー減税エコカー補助金エコポイント制度などの対策がとられたが本格的な回復路線に乗ることはなかった。

国際化と企業

1989年(平成元年)に出入国管理法が改正され、日系ブラジル人などの日系の南米人が急増する。リーマンショック後、働き口を失った南米人の多くは日本を去り、元在日ブラジル人のブラジル帰国者問題が深刻化した。在日外国人の中では、在日中国人が特に増加しており、長年在日外国人の最多数派だった在日韓国・朝鮮人を上回った。

国内市場が縮小していることから企業のグローバル化が推進され、楽天日産自動車など社内の公用語を日本語から英語にする企業や、パナソニックなど半分以上を外国人採用枠とする大企業が現れた。このため新卒者は第二新卒に加え外国人留学生との競争にさらされることになり、深刻な就職難に襲われている。またこの不況により、アジア諸国に職を求めて流出する人々も相次いだ。2010年(平成22年)には2010年欧州ソブリン危機があり、中華人民共和国GDPが抜かれて、アメリカ合衆国に次ぐ世界第2位の経済大国から世界第3位に転落した。

2000年代アメリカ合衆国ゼネラルモーターズなどビッグスリーを抜いて自動車生産台数世界一の企業にトヨタ自動車がなった。2009年(平成21年)~2010年(平成22年)に、アメリカ合衆国運輸省によって豊田バッシングと呼ばれたトヨタ自動車の大規模リコール問題が発生した。

東日本大震災後

2011年(平成23年)には、米国債ショック東北地方太平洋沖地震東日本大震災)が起こり、さらにそれによって福島第一原子力発電所事故が起きた。この影響により、株価が急落したり、製造ができなくなったり、作物の風評被害が起きたりと障害が起きている。2011年(平成23年)夏には、電力使用制限令が発動される。菅内閣内閣の退陣と引き換えに固定価格買い取り制度再生可能エネルギー特措法を成立させて風力発電太陽光発電地熱発電水力発電などの自然エネルギーの活用を推進した。

金融広報中央委員会が2012年(平成24年)2月22日に発表した2011年(平成23年)の家計の金融行動に関する世論調査の結果では、一家の人数が2人以上の世帯で「貯蓄がない」と答えた世帯の割合が28.6%に上り、調査を始めた1963年(昭和38年)以来では、過去最高の数字となった。

国際経済問題

平成期は、人件費の抑制と円高の進行で製造業の海外移転が相次ぎ、産業空洞化が進んだ。

バブル期のあたりは、貿易摩擦を解消するために海外へ移転する製造業が増加した。バブル崩壊後の1990年代中ごろになると、円高が生じ、海外へ移転する製造業が増加した。2000年代に入ると、人件費削減のため、中華人民共和国や開発途上国(ASEANなど)へ製造工場を移転することが多くなった。2010年代に入ると、再び円高が生じ、海外への移転が増加した。2011年(平成23年)にタイ洪水がありタイ王国内の工業団地に多数の工場を進出させていた日系企業が被災して自動車産業などの工場が操業停止となる。

2000年代に入り日本の国内で発生した内政問題やアメリカ合衆国との間で、日本が牛肉の輸入禁止措置や検査強化をした事に対する日米外交問題や国際問題としてBSE問題が発生した。

東日本大震災や急激な円高の進行で自動車産業家電などの輸出が不振となり、東京電力福島第一原子力発電所事故の影響で日本国内の原子力発電所が相次いで点検や安全性の確保のために発電を停止して、火力発電所での発電の増加で海外からの燃料の輸入額が大きく増加したのが原因で2011年(平成23年)の日本の貿易収支は赤字に転じて、1980年(昭和55年)の第2次石油危機以降では、31年ぶりになる貿易赤字国へ転落した。

菅内閣野田内閣TPP環太平洋戦略的経済連携協定)の交渉をする議論を開始した。

円高

ドル-円相場

平成初期の円は、1ドル120円から160円であったが、1990年代中ごろから円高が進行して、1ドル100円を突破した。その後、円高はおさまり、1ドルが100円を突破することは少なくなったが、2008年(平成20年)以降、急激に円高が進行して、1ドル100円を突破、2011年(平成23年)ごろからは、1ドル80円を超える状態が続き、一時1ドル75円台となり、円高記録を更新した。

ただし、2002年(平成14年)ごろまでは、ドル/円の為替レートと実効為替レートとがほぼ一致していたが、2002年(平成14年)以降は、ドルの世界的な価値が下がったため、ドルに対する円の価値と世界的な円の価値とが乖離するようになった。

ユーロ-円相場

2000年(平成12年)ごろは1ユーロ90円から110円であったが、その後円安になり2000年代中ごろには1ユーロ160円台になった。2008年(平成20年)に急速な円高が生じて、1ユーロ130円前後になり、その後、ギリシア危機などでさらに円高となり、1ユーロ110円台となった。

人民元-円相場

平成初期は、1元30円程度であったが、1990年代前半にかけて急速に円高が進行して、1元10円前後となった。その後、人民元は、固定相場制や通貨バスケット制によって相場は安定して、1元14円あたりを前後している。

実効為替レート「2005年(平成17年)を100とした時 数値が高いほど円高」

1990年(平成2年)ごろは、90台であったが、その後円高が進行して、1993年(平成5年)ごろから130を超えるようになった。1995年(平成7年)には一時150を超えたが、その後円安となり、100台にまで下がった。2000年(平成12年)前後から120台へ円高となったものの、その後は円安となり、80台にまで下がった。2008年(平成20年)には急激な円高となり、100前後まで上がったが、その後は100前後で安定している。

教育史

教育制度改革

昭和末期から平成初期に、偏差値重視の教育制度の改革が進められ、臨時教育審議会の提言で文部科学省は新学力観を導入し、その考えが元となる学習指導要領が1989年(平成元年)に改訂、1992年(平成4年度)から施行された。その後、中央教育審議会の提言で生きる力の育成という目的が導入され、その目標に基づく学習指導要領が1998年(平成10年)に改訂、2002年(平成14年度)から正式に施行された。この指導要領によって総合的な学習の時間を設置、授業時間数の削減、教育内容の減少となった。しかし、PISAの順位が落ちたことから、学力低下を引き起こしていると批判を受け、生きる力の育成という目標は堅持しつつも、授業時間の増加、教育内容の増加が盛り込まれた学習指導要領が2008年(平成20年)に改訂、2011年(平成23年度)以降から正式に施行された。
教育改革として、新設された高校として、総合制高校、単位制高校、国際高校、公立高校中高一貫教育をする中等教育学校タイプと併設型中等教育学校タイプと連携型中等一貫校タイプの中高一貫校福祉高等学校を設置した。新設教科として、中学高校課程の地理歴史科の新設、小学校低学年の生活科の新設、小中高教育での学校設定教科福祉科を新設した。必修化や義務化として、高校での世界史の必修化、男女共同参画社会を目指す男女平等政策として中学・高校での家庭科の男子必修化が行われた。出席名簿も男女が混ざったものに変わった。教育の規制緩和として、社会奉仕体験活動、大学の飛び入学週休2日制を導入した。

学力問題

1990年代から学力低下が懸念されて、1999年(平成11年)には「分数が出来ない大学生」が出版された[8]。さらに2003年(平成15年)のPISATIMSS2006年(平成18年)のPISAでは学力低下が顕著となった。その後、2003年(平成15年)には教育内容の上限規定が撤廃された。2007年(平成19年)には全員参加方式の全国学力・学習状況調査テストが復活して、さらに脱ゆとりへと路線が変更されて、2008年(平成20年)には指導要領が改正されて、移行措置として一部が2009年(平成21年)から実施されて、小学校では全面的に2011年(平成23年度)から実施されることとなった。2007年(平成19年)のTIMSSでは、学力低下が止まり、2009年(平成21年)のPISAでは、学力が回復した。

学校制度改革

2003年(平成15年)に国立大学法人法が制定されて、国立大学国立大学法人となった。教員の相次ぐ性犯罪や、偏った思想に基づいた教育や言動などが問題となり、資質向上のための教育改革として、教職大学院の創設と検討されたのは教員免許更新制である。これに伴って日本の教育問題として、親の学歴・収入・家柄・職業などの経済格差と都道府県別や市町村別の地域格差を背景とした能力格差の拡大が表面化している。この原因は公教育機能が低下しているためと言われ、公教育への不信感が増大している。それを補うため、東京都を中心に公立学校選択制の導入や公立学校以外の学習塾私立学校へ進学希望者が増加している。私立学校と教育を重視する地域などの一部学校や、文部科学省の方針で教育予算が増加されて低学年で実施されたのが、少人数授業少人数教育を目的に「35人学級」や「30人学級」で、きめ細かい指導を導入する教育改革がされた。

教育行政と新設教科

2001年(平成13年)1月6日中央省庁再編により文部省を改組して、科学技術庁を吸収合併して廃止する形式で文部省と科学技術庁が統合されて、文部科学省が設置される。2003年(平成15年度)から情報科が新設されて、高等学校の必修教科となる。2011年(平成23年度)から小学校で、外国語活動の時間が設けられて、2012年(平成24年度)から中等教育で、安全性の問題が議論されている武道科(剣道科・柔道科・相撲科)の3種目と指導方法の向上が必要であるダンス科(創作ダンス・フォークダンス・現代的なリズムのダンス)が導入されて、3 種目から選択して必修化されるようになった。2012年(平成24年度)から、1972年(昭和47年)に終了した放射線教育が約30年ぶりに中学校理科で復活する事になった。

成績評価

2000年(平成12年)から小学校と中学校の義務教育の課程で相対評価から絶対評価による教育評価成績評価が重視をされるようになった。重視されるようになった絶対評価には認定評価の他に到達度評価があり、到達度評価の1つである観点別学習状況による教育評価と成績評価が導入をされた。

修身教育の見直しと道徳教育重視

自由民主党修身教育復活や道徳教育重視を唱える愛国心儒教道徳の育成を目指す保守派議員の意向で文部科学省2002年(平成12年)4月に、全国の小学校・中学校に道徳の副教材の心のノートを無料配布した。民主党政権の事業仕分けによって教材作成の補助が廃止された。

私立中学受験

2007年(平成19年)に首都圏では格差社会の進行やゆとり教育の影響で学歴社会負け組となる公立中学校を敬遠するようになり私立中学校の受験者数はピークとなり中学受験バブルがおきたが、翌年には私立中学受験バブルは崩壊した。2008年(平成20年)のリーマンショック以降の景気低迷の影響で、私立中学受験者数の減少は続いており、受験者数の減少に歯止めがかかっていない。私立中学校の募集定員は3万9721人から4万1688人と約5%も増加して、私立中学受験ブームを受けての定員数の増加や、中高一貫体制強化による付設高校の募集定員の縮小と廃止が行われた。

教育と社会問題

精神科医の和田秀樹の著書として執筆された「テレビの大罪」の内容であるが、いじめ自殺とマスコミとの因果関係の記述で、自殺ガイドラインを設けないマスコミによって、1994年(平成6年)前後の時期に愛知県西尾市中学生いじめ自殺事件を中心とするいじめ自殺報道があり、2006年(平成18年)前後の時期に福岡中2いじめ自殺事件を中心とするいじめによる自殺が繰り返し報じられ、心理的影響を受けた事によって自殺やいじめが増加して問題となる。不登校問題やフリースクールの試みが行われた。学校を卒業しても社会に参加しないニート引きこもりに陥る者が多く現れ、メディアで盛んに報道され、問題視されるようになった。これは、学校と実社会の間にギャップがあるという日本独特の問題が潜んでいるとされる。余りに学校社会に慣れた子供は、卒業しても社会に適応することが困難になると言われる。現在の引きこもりは1970年代生まれ(氷河期世代の初期と中期)の人々が最も多く(後の世代では引きこもりは減少傾向)、引きこもりの長期化・高齢化が深刻になっている。また、ニートだと定義されていない35歳以上の中年の無業者も問題になっている[9]
1990年代後半あたりからパソコンや携帯電話が、2010年代前半あたりからスマートフォンが学生の間でも普及しだした。2002年(平成14年)には、小学1年生で5.0%、中学1年生で32.3%だったのに対し、2007年(平成19年)には、小学生1年生で11.7%、中学1年生で62.0%と2000年代に入ってからは小中学生の間でも普及しだした[10]。また、2000年代後半になると、10代のパソコン離れが起き、携帯の使用率が上がっている[11]。これらの世代はパソコン、携帯電話などを使ってネットによる情報発信能力を身につけたにもかかわらず、情報リテラシーやマナー教育が追いつかなかったため、ネットいじめが社会問題になった。末期氷河期世代は「キレる17歳」「コギャル世代」「サカキバラ世代」とも呼ばれ、さらには酒鬼薔薇事件西鉄バスジャック事件秋葉原通り魔事件などの犯罪や、援助交際や、新成人の成人式の騒ぎが問題となった。その一方で、それらの問題が、若者に対するステレオタイプだとして、俗流若者論という概念も生まれた。東日本大震災の影響で子供の心的外傷後ストレス障害(PTSD)が増加したり、被災地岩手県宮城県福島県の子供の転校が急増する。
少子化の進展で大学全入時代を迎えて、ブランド大学以外の地方大学、私立大学は定員割れで経営危機に立たされている。私立大学・私立短大の中には、統廃合によって学生募集を停止して廃校になる学校が増加した。親の収入と学歴の高低が子供の学歴の高低に直結する「格差の遺伝」とも言われる現象が広く知られるようになった。一方で、逆に高い学歴を持ちながら生活に苦しむ学歴難民と呼ばれる層も氷河期世代から発生している。女子の高学歴化や進学率の増加、厳しい経済状況を背景にした難関志向もあり、難関大学の難易度は、依然高い水準にある。進学率が増加する一方で、BFランク大学の名前を書くだけで受かる入試、ユニーク入試一芸入試など学力にとらわれない入試も増加している。

教育思想

平成期の教育思想は大きく区分して2種類ある。第1の教育思想はジェローム・ブルーナーの教育理論を支持する和田秀樹学歴社会受験競争偏差値教育を第一として詰め込み教育を肯定する思想。第2の教育思想はジョン・デューイの教育理論を支持する寺脇研の公立学校での詰め込み教育を排除した教育改革として20世紀アメリカ合衆国新教育運動大正時代大正自由教育運動を模範とするゆとり教育という思想などがある。
小渕内閣教育改革国民会議による教育を変える17の提案の発表や安倍内閣教育再生会議福田康夫内閣教育再生懇談会が設置されて、(1)学校教育法の改正の実施。(2)地方教育行政の組織及び運営に関する法律の改正の実施。(3)社会教育法の改正が実施されるなど『教育改革3法案』が成立した。新保守主義による国旗国歌法教育基本法の改正などの愛国心を謳った教育が主張された。2001年(平成13年)に、新しい歴史教科書をつくる会が既存の社会科の教科書を左翼自虐史観であると称して、それら左翼的自虐史観の教科書に反対する保守勢力が地理歴史科教科書公民科教科書を執筆したが、中華人民共和国大韓民国朝日新聞などの左翼勢力の反対で教科用図書検定が妨害される歴史教科書問題が再びおきた。その後、日中歴史共同研究日韓歴史共同研究なども模索された。

社会と大学教育

財界大企業では東京証券取引所上場企業の社長数1位が、昭和時代の東京大学出身者から慶應義塾大学出身者の三田閥となり、政界でも平成での出身大学別総理大臣で一番多いのは、6人を輩出した早稲田大学であるなど、東京大学学閥は早稲田大学・慶應義塾大学の躍進で政界・財界のトップではなくなり、平成期に学歴的地位が低下した。
夜間と通信制の高校、大学、大学院で社会人と高齢者を対象に生涯学習社会になり、情報化社会や知識社会の到来で子どもと青年期以外の全ての世代が教育対象になる。
大学での女子学生へのセクシャルハラスメントの問題やアカデミックハラスメントが問題となる。貧困層の増加で大学進学が容易でない家庭や奨学金の返済がされない問題が発生をした。21世紀になり東京大学などで日本の大学で主流である従来の4月入学を全廃して、海外で主流である秋入学への全面移行をする教育改革が進んでいる。国際的な大学間の競争に対応して、学生の海外留学を促すことが理由である。大学生活の期間にボランティアなどの社会奉仕や徴農制の導入を推進する事も検討されている。
平成期になり日本政府の留学生受け入れ増加計画で中華人民共和国などアジアからの留学生が急増する。その反面、日本からの海外留学生数は団塊ジュニア世代が大学生だった1990年代がピークだった。2000年代ゆとり世代が大学生となりアメリカの大学や欧米諸国を中心に海外に留学する日本の若者が減少した。2012年(平成24年)に文部科学省は世界の大学が採用する共通の大学入学資格取得に必要な教育課程の国際バカロレア資格の国内認定校の拡大のために200高校に留学支援課程を設置する計画を立案した。
平成期は大学進学率と大学院進学率が急上昇した。大学進学率1989年(平成元年)の24.7%から2010年(平成22年)には50.2%となった。進学者は、約40万人から約60万人にまで増加した。短大進学者が4年制大学にシフトして短大進学率は1994年(平成6年)の13.2%をピークに減少して2010年(平成22年)には6%となった。修士課程の大学院進学率は急上昇して17%となり、2003年(平成15年度)に、専門職大学院の制度が作られ、法科大学院などが作られた。それに伴い、教育改革として学部をおくことなく大学院をおく大学(いわゆる大学院大学)の数も増加した。特に、大学への進学率、進学者増加は、分子(大卒の就職者数)がバブル期とほとんど変わらないのにもかかわらず、分母(大学卒業者数)が増えたため大卒の就職率(就職者数/卒業者数)が大幅に下がってしまった要因のひとつとなった。

教育方法

新しい学校と教育方法と論争

学術研究史

PISAショック

2000年(平成12年)以後に、PISA(OECD生徒の学習到達度調査)と呼ばれる学力調査が行われ、これは、OECDが求める学力を調べる学力調査であった。PISAで求められた主な学力は、知識ではなく、考える力であり、各国の教育界にショックを与え、PISAショックと呼ばれた。日本でも、1990年代後半から、この考えに近い生きる力というものに注目していたが、このショック以後生きる力をさらに強化させている。

世界史

昭和天皇崩御の年[12]である1989年(平成元年)にベルリンの壁の崩壊が起こり、同年12月に米ソが会談して冷戦が終結した。 1991年(平成3年)にソビエト社会主義共和国連邦は、領土を構成していた共和国の全てが独立し、死滅した。こうして、それまでクレムリンホワイトハウスに抑圧されて来た国々では、民族・宗教紛争が勃発した。ソビエト連邦の死滅後は、アメリカ合衆国が唯一の超大国となって絶対的な力を揮うアメリカ一極体制となり、旧東側諸国が西側経済に統合され、特に1991年(平成3年)から2000年(平成12年)までの間、世界は「アメリカナイゼーション」「グローバリゼーション」と呼ばれるグローバル資本主義に巻き込まれた。

一方で、欧州連合(EU)中国ロシアラテンアメリカなどが、アメリカ一極体制を牽制する動きを見せている。この動きは、2001年(平成13年)のアメリカ同時多発テロ事件以後に顕著となった。

国連創設60周年に当たる2005年(平成17年)には、敵国条項の削除と国連安全保障理事会常任理事国入りを目指し、グループ4(日本、ドイツインドブラジル)を結成したが、中国、韓国、さらにはアメリカなどの反対にあって挫折した。2011年(平成23年)には、アラブの春によってチュニジアエジプト民主化がおき、周辺国で民主化のデモが起きる。

国際関係史

アメリカとの関係

日本は、冷戦時代と同じく日米関係を外交の基軸として、湾岸戦争イラク戦争に協力した。冷戦後、政治・経済・社会のシステムが根こそぎアメリカ型に変わった。詳しくは経済史を参照

沖縄米兵少女暴行事件1995年(平成7年)に発生して普天間基地代替施設移設問題が起き、2009年(平成21年)以降、辺野古に移す案が問題となっている。

アジアとの関係

海外ではアジア諸国、中国・インドタイマレーシアなどに急速な経済発展が見られ、それに伴って日本との経済関係も、これまで以上に緊密になった。

中華人民共和国との関係
北京オリンピック上海万博を開催して、「四つの近代化」を進めてきた中国は急速に経済的存在感を強め、日中関係は「政冷経熱」と呼ばれるように緊密化した(日本の最大の貿易相手国は中国である)。それとともに、ガス田開発、領土問題などで日本との摩擦が表面化している。また、中国は天安門事件で国際社会から制裁を受けた1989年(平成元年)以降、年々軍備増強を強力に推し進めており、日本にとって脅威になっていると言われている(中国脅威論)。
大韓民国との関係
大韓民国は民主化が進み、1993年(平成5年)には朴正煕政権以来32年間続いていた軍事政権は消滅して、金泳三による文民政権に移行して、民間での文化交流が活発化した。しかし、「反日カード」を外交問題・内政問題に利用するスタンスは軍部政権時代と変わらず、金泳三は歴史問題などで中国と連携して強硬な反日キャンペーンを行った。続いて1998年(平成10年)に発足した金大中政権は日本文化の受容や日本との関係改善に取り組み、折からの2002 FIFAワールドカップ共催、マスコミ主導の韓流ブームと相まって、文化面では友好ムードが高まった。しかし、政治面では竹島の領有権問題の表面化や、小泉純一郎首相の靖国神社参拝により、日韓関係は冷えた。2003年(平成15年)からの盧武鉉時代には、近隣諸国に対し強硬な外交姿勢を示すことが多くなり、日本だけでなく中国・米国との摩擦も高まった。2008年(平成20年)に「未来志向」を唱える李明博政権が発足すると、関係改善の動きが見られる。
朝鮮民主主義人民共和国との関係
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)との間で日本人拉致問題核開発問題が深刻化している。日本政府は拉致問題を解決するために、経済制裁を可能とする法整備を進め、ミサイル発射訓練を機に制裁を発令した。
東南アジア諸国との関係
この他の東南アジア諸国でも自国の経済発展や華僑の人口増加、中国の経済発展に伴って、日本を先頭とした雁行型経済に代表されてきた伝統的な対日依存を見直し、新たな経済大国として浮上した中国や、EUなど他地域との関係を強化する事で、経済の多極化を図る動きがある。
なお、東南アジアにおいては東南アジア諸国連合(ASEAN)が結成され、東南アジア諸国は共同体形成を模索している。
アジア全体との関係
東アジア共同体、およびアジア共同体構想が浮上している。これはEUのアジア版であり、ASEANや日中韓などの各国が共同して立ち上げた大戦略だが、ASEANや日中韓といった地域には人種、宗教、言語、文化、経済力といった地域統合を促す要素に共通性が希薄で、また共同体の主導権を巡って日中が激しく争う向きがあるものの、アジア諸国が日中の二者択一を望んでいないといった理由などで、構想自体が空中瓦解するだろうという見方も少なくない。

文化史

(平成前期)バブル景気全盛期 - 崩壊期から失われた10年1989年〈平成元年〉- 2000年〈平成12年〉頃)

この時期の文化は1980年代(昭和末期)からの継続という色が濃い。

1960年代生まれ(新人類)の青壮年の間で、ハイレグ水着や、真っ赤な口紅にソバージュやトサカヘアー、太眉ボディコンという押しの強いファッションが流行した。食の本格志向が強まり、イタリア料理エスニック料理が定着し、消費の多様化とブランド志向の高消費文化を築いた。東京ラブストーリー』『101回目のプロポーズ』などトレンディドラマの最盛期であり、当時の人気俳優を起用したドラマは軒並み高視聴率を叩き出した。音楽業界ではバンドブームビーイング系の最盛期。バブル景気時代の風俗の代名詞として知られる「ジュリアナ東京」が営業していた時期は、バブル崩壊期に当たる1991年(平成3年)から1994年(平成6年)であり、当時既に時代の最先端から半歩遅れていたディスコであった。情報化社会の到来も叫ばれ、パソコン通信ポケベルが最も普及したのもこの頃である。

バブル崩壊により「右肩上がりの時代」は完全に終わり、デフレ時代が到来し、日本の風俗は大きな転機を迎えた。

ファッションの多様化が起こり、1970年代後半 - 1980年代前半生まれ(ポスト団塊ジュニア)の青少年の間で、アムラー裏原宿系・B系渋谷系などのファッションが流行した。バブル景気時代の流行から一転して細眉が流行し、茶髪が定着した。中高生が一気にファッションの中心の一部として認知され、コギャルが風俗として注目された。コミュニケーション手段としてはPHSを含む携帯電話インターネットが爆発的に普及。Windows 95の発売を機に、安価になったパーソナルコンピュータが多くの家庭に浸透していった。1994年(平成6年)末には『週刊少年ジャンプ』が653万部の歴代最高部数を達成し、1995年(平成7年)頃には日本の漫画の売り上げがピークに達した。音楽業界ではビーイング系(ビーイングブーム)・小室系ヴィジュアル系の最盛期で、1998年(平成10年)頃にはCDセールスがピークとなった。

(平成後期)21世紀 - いざなみ景気から世界同時不況2001年〈平成13年〉頃 - 2010年代以降)

パソコンや携帯電話は2000年代に入るとほとんどの国民に普及し、インターネットの利用が一般化した。ブログSNS動画投稿サイトなど、個人が発信者となるネットサービスが新たな媒体として普及していった。

デフレが続き、行政による福祉サービスの縮小に伴い、漫画喫茶インターネットカフェが、低所得者向けビジネスとしての機能を果たすようになった。雑誌や漫画を始めとする出版物の発行部数が減少(出版不況)したが、発行点数はむしろ増加している。iPodが爆発的な売上げを記録し、音楽のインターネット配信がそれまでのパッケージ媒体(CD)を置き換えていった。一部ではテレビ離れも囁かれ始め、メディア業界の不振が目立つようになった。映画では、テレビ局制作作品を初めとした邦画洋画を上回る興行成績を上げるようになり、日本映画の復活が注目を集めた。1980年代生まれの青年層では、秋葉系おたく文化の浸透が進み、メイド喫茶フィギュアに代表される、「萌え」をめぐる社会現象が盛んに取り上げられた。また、世界的な健康指向の定着により、たばこ離れやアルコール離れと言われる現象が日本でも顕著になった。ファッションでは、環境省主導でクール・ビズファッションが広まった。若者のファッションは著しく多様化し、世代全体に広がるようなファッションの流行はもはや見られなくなった。戦中生まれ世代(焼け跡世代)や団塊世代などの中高年層では、1950年代-1960年代高度経済成長時代を懐古する風潮も広がっている。

アメリカのサブプライムローンに始まる恐慌が世界を覆い(世界同時不況)、少子高齢化や貧困層の増大が進む日本の風俗にも深い影を落としている。

地方経済の疲弊は著しく、地方商店街は軒並みシャッター通りと化した。公共事業に頼らない地域振興を狙った地域おこし事業が模索されるようになり、ご当地グルメゆるキャラが取り上げられ、人気を集めるようになった。インターネット配信やウェブアプリケーション、ネット通販などによる、従来の様々な媒体やサービスの置き換えが進んだ。TwitterYouTubeニコニコ動画などの新しいソーシャルメディアが急激に成長し、文化・政治・社会の各方面に大きな影響を及ぼしつつある。雑誌の休廃刊が相次ぎ、新聞・広告業界は深刻な不振に陥り、社員に希望退職を募る出版社や新聞社が続出した。アナログテレビ停波に伴いテレビ離れは若者から中高年にも及び、印刷媒体の出荷量は急激に落ちこみ、レジャー産業やメディア産業の縮小が著しい。一方で、携帯電話を対象にした各種サービスの成長は著しく、携帯電話からのインターネット利用がパソコンを上回った。大都市圏ではiPhoneをはじめとしたスマートフォンの普及も進み、書籍や雑誌のネット配信も本格化しはじめる。

宗教史・社会思想史

社会問題

高齢化と年金問題

平成の少子化問題

  • 1989年(平成元年)に合計特殊出生率が1.57となり、1966年(昭和41年)の丙午の1.58をも下回ったため「1.57ショック」として社会的関心を集めた。平成期になり、出生率低下が続き、1992年(平成4年)度の国民生活白書で少子化という言葉が使用されて、少子高齢化が国民に知られるようになった。1995年(平成7年)に生産年齢人口(15 - 64歳)が最高値(8717万人)となり、1996年(平成8年)から生産年齢人口が減少過程に入った。1997年(平成9年)には少子社会となった。
  • 2003年(平成15年)には年間出生数が112万人まで減少した。2005年(平成17年)の出生数は106万2530人であり、合計特殊出生率は1.26人と過去最低となり総人口の減少が始まった。その後は合計特殊出生率が上昇して、2010年(平成22年)に合計特殊出生率は1.39となった。しかし、出生数は微増なのでこれからも日本人の人口の減少は止まらない。

医療問題・福祉問題

環境問題

女性史

平成以前の女性史

高齢化と年金問題

女性と結婚と子どもの問題

  • ポスト団塊世代から新人類世代において、女性の社会進出と非婚化、若年男性の経済的貧困化が進んだ事が理由で、出生率は1.5人以下の過去最低を更新し続けた。団塊ジュニア世代以降は、専業主婦志向が強まりだすが、不景気の中で専業主婦になることは非常に難しく、男性も専業主婦の妻を抱えることは歓迎せず、なりたくてもなれないという現実に直面している。[13]。2006年(平成18年)以降出生率は増加に転じたが、若年の女性の人口が減っているために出生数はあまり増えていない。
  • 少子化特命担当大臣が設置される。
  • 結婚の時期が20歳前後から30代後半と長期に亘って分散する傾向になり、適齢期という概念は薄くなった。
  • 2000年(平成12年)にミレニアム結婚(ミレニアム婚)とミレニアムベビー濱田龍臣などが誕生)。2001年(平成13年)に新世紀ベビー敬宮愛子内親王などが誕生)して小規模な結婚ブームとベビーブームがあった。
  • 総務省の国際結婚の統計では、 中国人女性(婚姻数は約7000件〜約13000件)韓国人女性(婚姻数は約5000件〜約8000件)フィリピン人女性(婚姻数は約7000件〜約13000件)など主にアジア人女性と日本人男性との国際結婚が急増して、2006年(平成18年)にはピークに達する。同年誕生した日本の新生児(約110万人)の内、片親が外国国籍の子供である混血(ハーフの日本人)は約3.2%を占めた。ただし、2007年(平成19年)以降は国際結婚は減少に転じている。
  • 欧米を中心とする外国人男性と日本人女性との国際結婚の破綻(国際離婚)が急増し、子の日本への連れ去りが国際問題化。子供の親権を定義するハーグ条約の加盟が欧米諸国から要求されるようになった。
  • 2007年(平成19年)1月18日菅直人元代表代行が「愛知や東京は生産性は高いが、子どもを産む生産性が低い」、同年1月27日柳澤伯夫厚生労働大臣が「女性は子供を産む機械」と、女性を出産マシーンに例える発言があった。
  • 2006年(平成18年)に熊本県熊本市慈恵病院が「こうのとりのゆりかご」と呼ばれる赤ちゃんポストを設置して賛否をめぐる議論となった。
  • 自民党が政権の時に幼保一元化政策として、認定こども園に関する法律が施行された。
  • 民主党が政権の時に幼保一体化政策としてのこども園構想が具体化されて実施へと移る動きがでてくる。
  • 2010年(平成22年)度に子供手当法が施行され、児童手当から子ども手当へと変更された。しかし、2011年(平成23年)はつなぎ法案の平成二十三年度における子ども手当の支給等に関する特別措置法で子ども手当は存続したが、2012年(平成24年度)から再び「児童手当」と云う名称となった。
  • 2012年(平成24年)には、50歳時点で一度も結婚したことがない生涯未婚の人の統計の生涯未婚率が、男性で20.1%、女性で10.6%にのぼった。

フェミニズム(女性運動の内容)

男女雇用機会均等法による社会進出と結婚

  • 女子アナウンサーを代表例に成人女性を女子とする概念に変化して、30代になってもおばさんと思わない女性の精神年齢の若返りが起きた。
  • 女性の社会進出に伴い、30代男女の未婚率が急上昇した。

女性に関する社会問題

性犯罪や性的モラルの問題

女性アイドルと女性芸能人

女性の政治史

  • 1991年(平成3年)の芦屋市長選挙で、日本初の女性市長として北村春江が当選する。昭和時代までは男性首長のみであったが、以後平成期となって地方自治体に女性市長・女性町長・女性村長・女性区長などの女性首長が次々と誕生した。
  • 2000年(平成12年)の大阪府知事選挙で、日本初の女性知事である太田房江が当選する。以後熊本県千葉県滋賀県北海道山形県に女性知事が誕生する。

女性に関わる文化と流行

1989年(平成元年)- 2000年(平成12年)
2000年代(平成12年 - 平成21年)
2010年代(平成22年 - )

スポーツ史

プロ野球

1980年代・1990年代(1989年〔平成元年〕 - 1999年〔平成11年〕)
2000年以降(平成12年 - )

大相撲

1980年代・1990年代(1989年〔平成元年〕 - 1999年〔平成11年〕)
2000年代(平成12年 - 平成21年)
2010年以降(平成22年 - )
  • 2010年(平成22年) - 2012年(平成24年)の時期は放駒輝門が理事長で、2012年(平成24年)に再び北の湖敏満が日本相撲協会の理事長となった。貴乃花部屋の貴乃花親方が日本相撲協会の理事に当選して、外部理事制度が設けられた。外部理事である元東京高等検察庁検事長の村山弘義が日本相撲協会の理事長代行となり、副理事長職が新設された。朝青龍時代が暴行事件の責任で朝青龍が引退したことで終わる。大相撲野球賭博問題など暴力団角界の間で交際があった不祥事で、2010年(平成22年)に開催された名古屋場所でのNHK(日本放送協会)によるテレビ放映が中止となった。2011年(平成23年)に大相撲八百長問題が発覚した不祥事で大阪場所が中止されて、夏場所は技能審査場所となった。横綱白鵬が、連勝記録である63連勝して、さらに7場所連続優勝などの記録を更新した。大関魁皇2011年(平成23年)の名古屋場所で通算勝星が歴代1位となる1046勝目をあげた。魁皇が引退をして日本人大関が不在となった。横綱・大関は全て外国人力士となったが2011年(平成23年)11月場所に日本人力士の大関琴奨菊が誕生した。2012年(平成24年)には日本人大関の稀勢の里とモンゴル出身の大関鶴竜が誕生して史上最多の6大関となった。2006年(平成18年)初場所の大関栃東以来日本人力士の幕内最高優勝が長らく途切れていて、2003年(平成15年)初場所に貴乃花が引退して以来日本人横綱が存在せず、平成期に誕生した横綱の内訳は7人中4人が外国出身の外国人横綱である。

サッカー

1980年代・1990年代(1989年〔平成元年〕 - 1999年〔平成11年〕)
2000年以降(平成12年 - )

オリンピック競技

その他

競馬
ゴルフ

歴史的類似時代

平成・享保
古田隆彦による新語で[15]江戸時代1716年から1735年享保期の約20年間の転換期と同じように、1990年(平成2年)からの約20年間は調節の時代となるだろうという予測から、戦後の高度経済成長期に流行語となった「昭和元禄」にならって「平成・享保」と名付けられた。
その他
平成期は坂本龍馬ブームがあり、また平成維新の会の設立など維新思想があった事から幕末期から明治維新に続く明治時代に類似している。近代史の大正時代に類似している。昭和時代大日本帝国期)世界恐慌の時代と類似しているという者もいる。
時代には周期があると唱える者もいる(文明法則史学の800年周期説や世代による周期説など)
「人類史第一革命」の農業革命と「人類史第二革命の工業化」による産業革命に次ぐ「人類史第3革命論」の情報革命アルビン・トフラーが唱えた。2000年代を情報革命の時期としている

年表

1989年(平成元年)
昭和天皇大葬の礼日本労働組合総連合会(連合)が発足。消費税導入。手塚治虫美空ひばり松下幸之助死去。宇野内閣が発足。参議院議員通常選挙で参院が与野党逆転、平成で初のねじれ国会に。宇野内閣退陣。第1次海部内閣発足。坂本堤弁護士一家殺害事件が発生。女子高生コンクリート詰め殺人事件東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の容疑者が逮捕。東証の日経平均株価が史上最高値を記録。六四天安門事件ベルリンの壁崩壊マルタ会談
1990年(平成2年)
即位の礼第2次海部内閣発足、その後新たに第2次海部改造内閣も発足。ドイツ再統一イラククウェート侵攻礼宮文仁親王(現:秋篠宮)と川嶋紀子が結婚。『ちびまる子ちゃん』放映開始。秋山豊寛が日本人として初めて宇宙へ。スーパーファミコン発売。
1991年(平成3年)
雲仙普賢岳が大噴火。湾岸戦争勃発。第58代横綱千代の富士が引退。大韓民国朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が国際連合加盟。宮澤内閣発足。東北・上越新幹線東京駅乗り入れ開始。ソ連8月クーデターソビエト連邦解体。バブル経済崩壊。
1992年(平成4年)
バルセロナオリンピックアルベールビルオリンピック開催。尾崎豊死去。毛利衛が宇宙へ(スペースシャトル日本人初搭乗)。PKO協力法の成立。天皇が初めて中華人民共和国を訪問。米大統領にビル・クリントンが当選。宮澤内閣改造内閣発足。山形新幹線開業。
1993年(平成5年)
皇太子徳仁親王小和田雅子が結婚。レインボーブリッジが開通。非自民連立政権細川内閣発足により、自由民主党最初の下野(55年体制の崩壊)。歴史的冷夏。1993年米騒動によりコメの部分開放を決定。ドーハの悲劇田中角栄死去。北海道南西沖地震
1994年(平成6年)
リレハンメルオリンピック開催。羽田内閣が発足。自社さ連立政権村山内閣発足。中華航空機墜落事故。女性宇宙飛行士の向井千秋が宇宙へ。大江健三郎ノーベル文学賞受賞。松本サリン事件関西国際空港開港。三陸はるか沖地震金日成死去。
1995年(平成7年)
阪神・淡路大震災地下鉄サリン事件が発生。オウム真理教麻原彰晃代表逮捕。ウィンドウズ95発売。戦後50周年村山談話野茂英雄投手がメジャーリーグ新人王に。大統領シラク南太平洋ムルロア環礁核実験を強行。
1996年(平成8年)
第1次橋本内閣発足。第2次橋本内閣発足。アトランタオリンピック開催。ペルー日本大使館人質事件が発生。藤本弘渥美清死去。北海道豊浜トンネルが落盤事故。O157による食中毒事件。
1997年(平成9年)
神戸連続児童殺傷事件ナホトカ号重油流出事故香港中国に返還。秋田新幹線長野新幹線開業。映画『もののけ姫』が公開。ダイアナ元英皇太子妃事故死。第2次橋本改造内閣発足。サッカー日本男子代表がW杯初出場を決める。ポケモンショック京都議定書が採択される。
1998年(平成10年)
山一證券が自主廃業。和歌山毒物カレー事件参議院議員通常選挙で参院が与野党逆転、平成で2度目のねじれ国会に。小渕内閣発足。長野オリンピック開催。サッカーワールドカップに日本が初出場。横浜ベイスターズが38年振りに日本一。北朝鮮テポドン1号発射実験。新しく民主党が結党される。
1999年(平成11年)
天皇陛下御即位十年をお祝いする国民祭典の開催。全日空61便ハイジャック事件発生。国旗国歌法成立。マカオ中国に返還。ミッチー・サッチー騒動。「だんご3兄弟」が大ヒット。ノストラダムス現象(7の月に恐怖の大王)。2000年問題が話題に。NATO軍がユーゴスラビアに大規模空爆。東海村JCO臨界事故
2000年(平成12年)
九州・沖縄サミット開催。二千円札発行。小渕恵三死去。第1次森内閣発足。神の国発言神の国解散第2次森内閣発足。日比谷線脱線事故韓国北朝鮮南北首脳会談が実現。9月11日東海豪雨が発生。三宅島が噴火し全島避難。シドニーオリンピック。米大統領にジョージ・ウォーカー・ブッシュが当選。加藤の乱世田谷一家殺害事件20世紀が終わる。
2001年(平成13年)
21世紀が始まる。えひめ丸事件第1次小泉内閣発足。附属池田小事件アメリカ同時多発テロ事件が発生。米英軍がアフガニスタンに報復攻撃。九州南西海域工作船事件皇太子徳仁親王妃雅子愛子内親王を出産。ウィキペディアが設立される。
2002年(平成14年)
ソルトレイクシティオリンピックが開催。EU圏内で新通貨ユーロに完全統合。住民基本台帳ネットワークが開始。東北新幹線が八戸駅までに延伸。サッカーワールドカップ韓国と日本が共催。日朝首脳会談。拉致被害者5人が日本へ帰国。
2003年(平成15年)
天皇前立腺癌となり摘出手術東海道新幹線品川駅が開業。イラク戦争勃発。サッダーム・フセイン拘束。玄界灘海難事故阪神タイガースが18年ぶりにセ・リーグ制覇。第2次小泉内閣発足。感染症SARSの世界的流行。
2004年(平成16年)
九州新幹線が開業。佐世保小六女児同級生殺害事件。観測史上最多の10個の台風が日本列島に上陸。アテネオリンピック開催。新潟県中越地震発生。日本銀行券のデザインを20年ぶりに変更。 『東北楽天ゴールデンイーグルス』がプロ野球パ・リーグに新規参入。 スマトラ沖地震(インド洋大津波)
2005年(平成17年)
H-IIAロケット打ち上げ成功。福岡県西方沖地震JR福知山線脱線事故愛知万博開幕。中部国際空港開港。ロンドン同時多発テロ衆議院解散を断行、総選挙郵政民営化法案成立。第3次小泉内閣発足。構造計算書偽造問題が発覚。
2006年(平成18年)
平成18年豪雪ライブドアショック堀江貴文逮捕。トリノオリンピック開催。ワールドベースボールクラシック開催、日本が初代優勝。ワールドカップ ドイツ大会開催。村上ファンド代表の村上世彰逮捕。秋篠宮妃紀子悠仁親王出産。安倍内閣発足。北朝鮮が核実験。サッダーム・フセインイラク元大統領処刑。
2007年(平成19年)
食品に関する不祥事が相次ぐ。防衛庁が防衛省に移行。能登半島地震長崎市長射殺事件松岡利勝農相自殺。新潟県中越沖地震参議院議員通常選挙で参院が与野党逆転、平成で3度目のねじれ国会に。福田康夫内閣発足。日本郵政公社民営化、日本郵政グループ(JPグループ)発足。
2008年(平成20年)
石油価格高騰による物価上昇。チベットで大規模暴動四川大地震秋葉原通り魔事件岩手・宮城内陸地震後期高齢者医療制度が施行される。北京オリンピックリーマンショック、世界的な金融危機(世界同時不況)、急速な景気後退。麻生内閣発足。バラク・オバマが史上初の黒人大統領になる。東海道新幹線0系引退。
2009年(平成21年)
2009年新型インフルエンザ発生。第2回WBCで日本2連覇。北朝鮮によるミサイル発射核実験民社国連立政権鳩山由紀夫内閣発足により、自由民主党が2度目の下野。天皇陛下御在位二十年記念式典の開催。
2010年(平成22年)
朝青龍引退。バンクーバーオリンピック開催。公立高校無償化宮崎県南部を中心に口蹄疫の流行菅内閣発足。ワールドカップ 南アフリカ大会開催。第22回参議院議員通常選挙参院が与野党逆転、平成で4度目のねじれ国会に。高齢者所在不明問題日本各地で記録的な猛暑尖閣諸島中国漁船衝突事件東北新幹線東京 - 新青森間全面開通。2010年欧州ソブリン危機
2011年(平成23年)
タイガーマスク運動アラブの春大相撲八百長問題発覚。カンタベリー地震オサマ・ビンラディン殺害東日本大震災福島第一原発事故九州新幹線鹿児島ルート全面開通。サッカー女子W杯なでしこジャパン優勝。テレビアナログ放送が被災地を除き停波(地デジ移行)。野田内閣発足。台風12号被害。カダフィー殺害タイ洪水金正日死去。
2012年(平成24年)
コスタ・コンコルディアの座礁事故天皇狭心症の症状で心臓バイパス手術東京スカイツリーが完成、5月開業。新東名高速道路開通。

西暦との対照表

平成 元年 2年 3年 4年 5年 6年 7年 8年 9年 10年
西暦 1980年代 1990年代
1989年 1990年 1991年 1992年 1993年 1994年 1995年 1996年 1997年 1998年
干支 己巳 庚午 辛未 壬申 癸酉 甲戌 乙亥 丙子 丁丑 戊寅
平成 11年 12年 13年 14年 15年 16年 17年 18年 19年 20年
西暦 1990年代 2000年代
1999年 2000年 2001年 2002年 2003年 2004年 2005年 2006年 2007年 2008年
干支 己卯 庚辰 辛巳 壬午 癸未 甲申 乙酉 丙戌 丁亥 戊子
平成 21年 22年 23年 24年 (25年) (26年) (27年) (28年) (29年) (30年)
西暦 2000年代 2010年代
2009年 2010年 2011年 2012年 2013年 2014年 2015年 2016年 2017年 2018年
干支 己丑 庚寅 辛卯 壬辰 癸巳 甲午 乙未 丙申 丁酉 戊戌

平成を冠するもの

企業・団体

文化・芸能

番組名・作品名

鉄道

地名

なお、岐阜県関市(改元当時は武儀町)の地名のみは平成改元以前の昭和時代1988年(昭和63年)以前にも存在していた小字名である。

道の駅

教育

小学校

中学校・高等学校

大学

博物館

病院

橋梁・トンネル

その他

平成に改元した直後の平成元年(1989年)1月には、平 成(たいら しげる)という名前の個人を見つけ出してインタビューする番組も見られた。

逸話

脚注

  1. ^ 佐野眞一『ドキュメント昭和が終わった日2 元号「平成」の決定の瞬間』(『文藝春秋』2009年3月号掲載)
  2. ^ 的場は新元号考案の委嘱を受けた人物には諸橋轍次貝塚茂樹坂本太郎の名をあげているが昭和天皇崩御前に物故したため彼らの提案はすべて廃案になったとしている。佐野(同掲文)
  3. ^ 佐野(同掲文)
  4. ^ 「雑学大全」230ページ 東京書籍2007年刊/ISBN 978 4 487 80130 5C
  5. ^ 文藝春秋 2012年2月号
  6. ^ 2011年2月15日放送の夕やけ寺ちゃん 活動中にゲスト出演した石原信雄の発言にも「亡くなっている人の案は採用されない」とある[要高次出典]
  7. ^ a b 『解禁! マル秘ストーリー』 TBSテレビ、 11月16日放送。発表時の記者会見の映像が抜粋され放送された。
  8. ^ 西村 和雄 「基礎学力低下防ぐために」
  9. ^ ニートの救急箱 中年ニート(中年無業者)
  10. ^ Benesse 携帯電話の利用実態 〜第3回(2008年版)〜
  11. ^ 朝日新聞 2010年12月12日
  12. ^ 第二次世界大戦の最高権力者で、最後に死んだ者が昭和天皇である。
  13. ^ 夫は外で働き、妻は家庭を守るべき」賛成は男性45%・女性35%
  14. ^ 1970年生まれ以前の世代の短大卒のステータスは、1980年生まれ以降の世代に比べると高かった。
  15. ^ 日本経済新聞(夕刊) 1989年9月18日
  16. ^ TBSラジオ伊集院光・『日曜日の秘密基地』より。
  17. ^ 第18回(平成17年)「人事院総裁賞」個人部門受賞者 人事院、2009年7月23日 閲覧。

参考文献

改元の項目
歴史学的類似時代の項目
政治史の項目
経済史の項目
宗教史の項目
教育史の項目
時代概説
女性史の項目
大正時代類似説

関連項目

外部リンク


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