広瀬 真一(ひろせ しんいち、1913年1月25日[1] - 1986年1月20日)は、日本官僚経営者運輸事務次官や、日本通運社長、会長を務めた。「日通中興の祖」と呼ばれた[2]

経歴・人物 編集

新潟県柏崎市出身[1]1938年東京帝国大学法科を卒業し、同年に鉄道省に入省し、同期に若狭得治がいた[1][2]。運輸省鉄道管理局国有鉄道部長、鉄道管理局長などを経て、1964年6月に運輸事務次官に就任した[1]1968年をもって退官し、地元新潟県選挙区参議院選挙自由民主党公認で出馬したが、落選した[2]1968年11月に日本通運専務に就任し、日通事件で揺れていていた会社の立て直しに尽力していた[1][2]1972年に副社長に就任し、1976年に社長に就任した[1]。社長在任中は宅配便事業の拡大、国内でのトラック輸送部門の拡大、国際化の強化を推進し、日通を総合物流会社に育て上げた[2]1983年6月に会長に就任した[1]

日野自動車工業取締役、第一ホテル取締役、日本航空監査役、朝日生命保険監査役なども歴任した[1]

1986年1月20日肺がんのために東京都内の病院で死去[3]。72歳没。

脚注 編集

  1. ^ a b c d e f g h 人事興信所 1985, ひ101頁.
  2. ^ a b c d e 1986年 1月21日 日経流通新聞 p27
  3. ^ 1986年 1月20日 日本経済新聞 夕刊 p9

参考文献 編集

  • 人事興信所 編『人事興信録 第33版 下』人事興信所、1985年。 
先代
岡本悟
運輸省鉄道監督局長
1963年 - 1964年
次代
佐藤光夫
先代
岡本悟
運輸事務次官
1964年 - 1965年
次代
若狭得治
先代
沢村貴義
日本通運社長
1976年 - 1983年
次代
長岡毅