廖 了以(りょう りょうい)は台湾の政治家。前亜東関係協会会長[1]逢甲大学統計学部卒。国民党に属し、元豊原市長や、台中県長、内政部長、総統府秘書長、2009年9月から2012年1月31日まで国民党秘書長。 台湾政治に付き物である地方派閥のうち、台中市紅派のボス。地盤は豊原区

廖了以
プロフィール
出生: (1947-10-29) 1947年10月29日(76歳)
出身地: 中華民国の旗 台湾台中県(現:台中市
職業: 政治家
各種表記
繁体字 廖了以
簡体字 廖了以
拼音 Liào Liăoyĭ
和名表記: りょう りょうい
発音転記: リャオ リャオイー
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右が廖了以。左は公益財団法人交流協会会長の大橋光夫

母親は日本人であり、外祖父に日本統治時代に台中庁長を務めた佐藤謙太郎がいる。日本語は「読むのは苦手だが話すのは可能」と語っており、日本人との会話には日本語を使用する[2]

2018年4月、日本政府より旭日重光章を受章した[3]

脚注 編集

  中華民国(台湾)
先代
陳庚金
台中県長
1989年 - 1997年
次代
廖永来
先代
李逸洋
 内政部長
2008年 - 2009年
次代
江宜樺