廖 寿恒(りょう じゅこう、Liào Shòuhéng1839年 - 1903年)は、の官僚。字は仲山、晩号は抑斎戊戌の変法を支持した。

江蘇省嘉定出身。同治年間に進士となり、庶吉士となった。その後湖南学政、国史館纂修、侍読学士、総理各国事務衙門大臣、兵部・礼部・戸部・吏部侍郎、左都卸史、刑部尚書、礼部尚書を歴任した。

1884年清仏戦争が勃発すると、廖寿恒は武器の補給にあたり、西南の辺境の防衛に尽力した。1898年軍機大臣となり、同年に戊戌の変法が開始されると、康有為光緒帝の文書のやり取りを取りつぐ役割を果たした。1900年に病のために辞職。

先代
銭応溥
都察院漢左都御史
1897
次代
徐樹銘
先代
薛允升
刑部漢尚書
1897-1898
次代
趙舒翹
先代
李端棻
礼部漢尚書
1898-1900
次代
鹿伝霖