式守伊之助 (6代)

大相撲の行司 (1814-1880)

6代 式守 伊之助(ろくだい しきもり いのすけ、1814年-1880年9月2日)は、大相撲立行司。本名は長岡宗助→式守伊之助。出身地は現在の宮城県仙台市

6代式守伊之助
6th Shikimori Inosuke
基礎情報
行司名 式守宗助 → 2代式守鬼一郎 → 6代式守伊之助
本名 ながおか そうすけ
長岡 宗助
生年月日 1814年
没年月日 1880年9月2日
出身 日本の旗 日本宮城県仙台市
データ
現在の階級 引退
最高位 立行司(式守伊之助)
初土俵 1830年11月
立行司 1853年11月
引退 1880年9月2日
備考

人物 編集

4代伊之助の弟子で、文政13年11月式守宗助で番付につく。後に2代式守鬼一郎を襲名、嘉永3年(1850年)11月に次席に就いた。嘉永6年(1853年)11月に6代伊之助を襲名、年寄永浜を兼務した。明治13年(1880年)に死去するまで伊之助在位28年、53場所は史上最多の記録。明治10年(1877年)1月から首席(木村庄之助の上位)に就いた。

参考文献 編集

  • 「相撲」編集部 編『大相撲人物大事典』ベースボールマガジン社、2001年4月1日。ISBN 978-4583036403NCID BA51895886 

関連項目 編集

脚注 編集