張 祐植(ちょう ゆうしょく、チャン ウシク、ハングル장우식1914年1月18日 - 没年不明)は日本の元スピードスケート選手である[1]朝鮮新義州出身。

明治大学予科2年在学時の1936年ガルミッシュパルテンキルヒェンオリンピックに出場し5000m27位、10000m26位となった。

1980年代には東京在住だったが、取材を試みたルポライターには「多忙」を理由にインタビューに応じず[2]、その後の経歴等についてははっきりしていない。

脚注 編集

  1. ^ 後に朝鮮籍に復したか不明
  2. ^ 鎌田忠良『日章旗とマラソン』講談社《講談社文庫》、1988年、p452

外部リンク 編集