強行採決(きょうこうさいけつ)とは国会などでどの野党からも採決合意が得られず、過半数議席の与党単独が賛成する形で審議を打ち切り、委員長議長が採決を行うこと[1][2]、を意味する日本のマスコミ用語[2][3][4]与党単独採決ともいう[5][6]

概要 編集

55年体制下で衆参単独過半数を持っているのにも関わらず、自民党が野党へ配慮し、与野党対決法案[7][8]以外の法案は基本的に全会一致で可決しようとする姿勢であるために、逆に与党単独採決がレアケースとなったことで生まれた言葉[2]。政権交代のほぼ無い日本を背景とした慣習である[9]。日本マスコミ由来の造語であるが、韓国でも利用されるようになった。欧米で同様の行為は単に「議会の多数派による採決」であるため、該当用語が存在しない[2]。 

他にも与党単独過半数時のパフォーマンスとして、自民党政権が揺るぎなかった時代(55年体制下の万年与党時代)などは、野党は可決濃厚な法案へ牛歩戦術なども取られていた。しかし、「1990年代以降から、野党が国政選挙で自民党に勝つこともあり得るような状況になると、『牛歩で議会の進行を妨害するくらいなら、選挙に勝てよ』という風潮になり、時代遅れの戦術になった」(有馬晴海)[10]。立憲民主党が野党第一党となっても事前取り決めの慣習は続いている。「強行採決をやる時」は、「与党側から事前に申し入れがされ、野党側は可決させる代わりにパフォーマンスで暴れる。事前に議員ごとの役目を決め、打ち合わせをしてから行っている」(馬場伸幸[11]

日本 編集

現代の「強行採決」と報道される行為は、大東亜戦争太平洋戦争第二次世界大戦以前帝國議会の時代から存在していた。ただし、帝国議会は議院法の規定により本会議中心の読会制で運営されていたため、採決は本会議で行われることがほとんどで、委員会での強行採決はまずなかった。戦後の国会では委員会中心主義に変わり、委員会、本会議の2回の採決を経ることになったが、どちらにおいても質疑応答および議論を審議で一通り終われば採決に至ることと決められており、この審議の手続きが明確に立法化されている場合は審議の無作為な引き延ばしや中断ができない。

戦後の与党単独過半数・野党への配慮 編集

長らく政権交代のない55年体制国対政治で醸成された日本的慣習・慣例である。

戦後日本国会では、制度上は多数派による議事運営が規定されており、55年体制以降から自民党が選挙で勝ち続け、衆参両院で単独過半数を占める状態であった。そのため、政党支持率を大きく落とさせない状態を続ける限り、法的にはすべての法案を通すことが可能であった。しかし、自民党は野党へ配慮し、法案採決において何らかの形で野党の合意を取り付けるという暗黙の紳士協定として、対決法案以外では与野党一致の可決が慣例化されていた[12][2]。そのため、対決法案での与党単独採決が珍しくなり、これをマスコミは「強行採決」と呼んだ。これが対決法案以外でも多数派の採決が基本である欧米では該当用語が存在しない理由である[2]

国対政治以後のパフォーマンス化 編集

戦後の国会で野党が行ってきた日本独特の慣習である[9]。マスコミに「与党独裁」へ対決する見せ場を作らせ、「強行採決」への批判から次の選挙戦で与党を不利にさせる。与党側は野党へ「見せ場」をつくらせないために、与党から一定の妥協を引き出せさせる目的がある[13]。「強行採決の茶番」は自民党が単独過半数を選挙で獲得し続ける55年体制やその後の自公連立政権の中で、政権交代出来ない野党がマスコミに担がれる唯一の舞台となっている[9]

 
衆議院本会議での新安保条約承認に際してなされた、会期延長の強行採決シーン。金丸信自民党議員によって、野党議員から守られながら清瀬一郎議長が延長を宣言している(1960年5月19日

かつては岸内閣における日米安保条約改定を巡る安保国会(1960年)、佐藤内閣における日韓基本条約を巡る日韓国会(1965年)[14]などでは、最大野党日本社会党(現・社会民主党)への事前通告なしに抜き打ちでの強行採決が行われていた。しかし、その後は与野党の了解のもとで行われるようになった。そのため、野党側では呼吸を知らない若い議員が本当に採決を阻止してしまわないようにベテラン議員が前に出て、勢いを調整するようになった[15]

第62-63代内閣総理大臣佐藤栄作の下で田中角栄が第13代自民党幹事長を務めた昭和40年代中頃に、野党を懐柔するために裏舞台で根回しをする国会運営が浸透し、事前通告なしの抜き打ちでの強行採決は減っていった[16]

また、かつては強行採決が原因で各会派入り乱れての乱闘となる場合、それに巻き込まれた国会職員には国会特別手当が支給される制度があった[17]。この制度は第2次小泉改造内閣時代の2005年(平成17年)に廃止が決定され[18]2006年度以降は管理職には国会特別手当の支給は行われなくなり、2007年度をもって廃止された[19]

与党が野党の顔を立てるパフォーマンスの場と化してからは、マスコミの配置や終了場面も事前に各種決まっている[9]

国対政治・廃止と復活 編集

議案に充当させる審議時間の配分や審議の順番など議事日程は議案ごとの均等割ではなく、議案ごとに議院運営委員会で調整され、ここでの調整が重要な政治上での駆け引きの材料となってきた(国対政治[20][21]

  • 委員会の議事運営は委員長の職権である(衆議院規則参議院規則)が、現実には当該委員会の理事会や理事懇談会での与野党交渉で審議日程が決定される。
  • 本会議の議事運営は議長衆議院議長参議院議長)の職権であり(国会法第55条)、議院運営委員会(議運)の決定に基づいて審議日程が組まれる。しかし、現実には議運の理事会あるいは理事懇談会での与野党交渉によって審議日程が決定され、議運においても多くの場合は(多数決採決ではなく)全会一致で決定される[22]
  • 本会議や委員会の議事運営の与野党交渉が暗礁に乗り上げた場合は、各政党の機関である国会対策委員会が調整に乗り出す。

しかし、それでも与野党が合意に達しない場合は、与党が単独で採決日を決めて採決を行うべきか否かが与党内で検討される。

55年体制下では、単独与党の自民党が最大野党の社会党と与野党国対委員長会談を行い、社会党に花を持たせる国会運営を行っていた(国対政治)[23][24]。国対政治への反発から「不透明な国対政治の一掃」が主張され、1995年に非自民の政権である細川連立政権の誕生時に実行された。しかし、与野党国対委員長会談を廃止したた途端に、審議日程が行き詰まるなどの実害が生じた。そのため、細川連立政権下に復活した[23]

民主党政権以降 編集

2009年(平成21年)の第45回衆議院議員総選挙で自民党が惨敗し、民主党に政権交代した後約2ヶ月で、民主党が野党時代、自民党のそれに対して攻撃を重ねていた強行採決をしだしたことには批判が起きた。

評論家大宅映子は「『数の横暴だ』と言っていたのに、権力を持つと数で押し切ろうとする」「好意的に見るなら政権政党の『お勉強』をしている過程なのかもしれない」「勉強中なら政権党を名乗るな、と言いたい」と批判している[25]。3年3カ月の民主党政権では、24回行われた[26]。特に鳩山内閣ではわずか2カ月半で11回という圧倒的なペースを含む合計16回もの強行採決を行い、そのうち9回が騒乱採決となっている [27]

2012年末の第46回衆議院議員総選挙で自民党が政権を奪還した後も、第2次以降の安倍政権下だけで15回の強行採決が行われ[28]、第96-98代内閣総理大臣安倍晋三はその度に日本維新の会共産党など各会派による攻撃に晒された。とりわけ2020年の第201通常国会では検察官の定年を引き上げる検察庁法改正案成立のため採決を強行する構えを見せたが、野党側の強硬な反対とSNSに端を発した世論の抵抗に加え、与党内からも異論が噴出した結果廃案に追い込まれた[29]

安倍の後を継いで発足した菅義偉内閣も翌年の第204通常国会に提出された入管法改正案のメインだった難民認定申請の回数制限を巡り、与野党協議が決裂して強行採決も辞さない方針を示しながら、世論調査における支持率下落と次期総選挙への影響もふまえ見送りを余儀なくされた[30]。同改正案はその後、第2次岸田内閣下の第211通常国会で成立している。

語源など 編集

この際、議院運営委員会での与党側の優勢を背景に、野党の合意を取り付けないまま審議を終了させ、法案を採決することを「強行」とマスコミや野党が表現したのがもともとの語源である。また与党が一方的に審議を打ち切ることから、「与党による審議拒否」とのレトリックが用いられることもある。ただし、議案に反対する野党側が無作為に審議継続を要求し、不信任決議案の提出などで議案の採決を引き延ばす行為に出た場合に審議を終了させるのは批判の対象とならない。

委員会審議における強行採決は、通常、与党の若手議員が質疑打ち切りの動議を審議途中に挙手して口頭で提案し、それを可決する[31]か、委員長の職権で質疑終局の宣告をして採決に移る。これに対して、野党が議案の採決を阻止を企図する場合もある。物理的な議事妨害としては、委員長の入室を妨害する、委員長のマイクを奪う、などが挙げられる(これに対して与党は、委員長を衛視に護衛させて入室させ開会し審議を通す)。このほか、牛タン戦術審議拒否などの手法が採られることもある。本会議の場合、議長の本会議場入場を阻止するピケ戦術を行う、内閣不信任決議案・議長不信任決議案・委員長解任決議案等を提出して牛歩戦術を行う、などの手法が挙げられる。

委員長が与党議員であると比較的円滑に採決が行われるが、野党議員の場合は一般にそのままでは強行採決は不可能となる。このため、野党が委員長ポストを占める「逆転委員会」に付託される内閣提出法案は、野党に宥和的な内容となる傾向がある[32] 。また、逆転委員会で法案審議が滞った場合、本会議が中間報告を求め、直ちに本会議での審議に移行して採決させるという手法が採られることもある。

一方の議院で可決してももう一方の議院で可決できないまま会期終了すると国会の議決とならないため、法案成立のためには衆議院の再議決するためのみなし否決の60日間、予算成立や条約承認のために自然成立する30日間の日数が必要なため、会期日数を考慮して衆議院で強行採決をする場合がある。特に一般会計総予算当初予算)の年度内成立を与党側が絶対譲れないとした場合や、いわゆるねじれ国会で与党による参議院での強行採決が不可能なケースでは、会期末までないしは年度内成立期限までの残り日数を考慮に入れて衆議院における委員会と本会議での採決日が決められる。

評価 編集

法的には、衆参議会の過半数を与党が獲得している場合必然的に問題は生じない。

選挙上の影響としては、1960年(昭和35年)の猛烈な反対闘争に晒された日米安保条約の成立後に退陣した岸信介の後を受けた池田内閣が、安保解散においては単独過半数を超える圧倒的な勝利を収めたこともあれば[2]、他方2004年厚生年金保険法改正など一連の年金関連法案を強行採決した後に年金未納問題が発覚した小泉内閣の支持率が10%以上下落し[33]同年の参議院選挙の比例票で野党民主党の後塵を拝して躍進を許したように、世論の変化に一定の影響を及ぼす。このため前述の検察庁法改正法案なども含め、一度は与党間で確認された法案成立の強行方針がその後の選挙への悪影響を懸念して廃案・先送りに追い込まれる事態も少なからず存在する。

命令委任の観点[34]では個々の議員は有権者団の結論の仮の投票者にすぎないため、「強行」採決には倫理上の問題は生じず「強行」と表現されることもない。日本の国会議員は自由委任と解される(憲法第43条)が半代表の主張も有力である(国民主権も参照)。判例でも強行採決による立法過程が法律の効力に影響を与えることは無いと判示している[35]

1990年代には、衆議院の選挙制度が小選挙区比例代表並立制になる等する政治改革は日本も二大政党政治に移行しようという風潮が見られた。この場合、野党側としては与野党対決議案については与党の政策を批判して明確な対立的立場を表明する方が旧来の支持者基盤の強化につながるという形で次期の選挙において有利と考えることから、与党側の議案に賛成しない傾向が増えてきているためことから、審議が野党の合意を取り付けないまま採決に至る「強行」が増えてきている。

一方、野党が採決で議案を否決しようとせず最初から採決そのものを否定するのは、議案を可決・成立することによる問題点を審議過程で野党が明らかにしても、殆どの場合、与党の党議拘束に基づく数の論理を背景に議案が可決されるためである。一方で議案採決において多くの与党議員の造反が見込める場合は、与党議員減少が視野に入り野党にとって望ましい結果となる可能性があることから野党が採決に同意する形で強行採決と批判せずに議案の採決で否決することで議案成立を阻止することもある。数少ない具体例の1つとしては、いわゆる郵政国会における郵政民営化法案の採決(2005年7月8月)が挙げられる。

また、野党が複数存在し、法案採決に対する態度が統一されていない場合、どの程度の党が採決への反対を続けていれば「強行採決」と定義し得るかという問題もある。2013年以降議会勢力で絶対安定多数を誇る第二次安倍から菅義偉内閣にかけ分断に晒された野党の間では、従来の対決姿勢を不毛で非建設的とみなす日本維新の会や[36]逆に1990年代以前の日本社会党のような過激な闘争方針を打ち出すれいわ新選組[37]といった会派の台頭によりなかなか足並みが揃わないことも強行採決を最終的に国民に受容させる結果をもたらしている。

池田信夫は日本の国会が諸外国とは異なり、多数決で決めることを基本としていないことを批判している。衆参過半数を握っている際の与党法案は多数決すれば必ず通るので、野党は「利害の対立する法案」には審議拒否による国会を引き延ばし・会期切れによる廃案を目標とする。そして、審議時間を浪費させ、官僚徹夜を強いて、「強行採決」の場面を作る茶番劇が日本の国会では繰り返されている、と評する。[38]

このように与野党ともどこまで強硬な姿勢を維持できるかは、その時世における世論の動向により対応が異なる。

背景 編集

日本で強行採決が注目されたり、起きる理由としては、

単独過半数を握る与党自民党による野党への配慮[16]
ねじれ国会となることが少ないこと(衆参与党で過半数状態の多さ)[39]
野党議員のパフォーマンスの場となっていること[40][41][9]
審議時間が比較的短いこと[42]
「議論が尽くされていない」などの野党側の言い分が説得力を持ちやすい。
会期が短く、本会議で継続審議の議決をしない限り会期終了とともに廃案となること(「会期不継続の原則」)
審議未了を防ぐために早めに採決をしなければならない与党の事情と、採決を引き延ばせば廃案になるという野党の国会戦略が対立して、採決日程が合意に至らない。
与野党とも造反が少ないこと[43]
内閣提出法案が採決に持ち込まれた場合は、可決がほぼ保証されている。

が挙げられる。このような事情から、円滑に法案を成立させるためには、与党が野党の法案修正協議に応じる[44]か、与党が強行採決に踏み切ることとなる。

これに対して、多くの西側民主主義国の議会では、

  • 審議時間が比較的多いこと
  • 議会で単独過半数がある際に、日本のように対決法案以外でも野党への配慮がないこと[2]
  • 会期制や法案審議の継続性が緩やかであること[45]
  • 造反が多いこと[46]、あるいは党議拘束がかけられないこと[47]

という特徴がある。そもそも、与党が(両院)議会の多数派を握っている際には、野党の反対は無視し、可決してしまうことが普通である。そのため、日本のようにレアケースだから注目される「(対決法案での)強行採決」がピックアップされない[2]。日本の国会でも衆院は与党過半数・参院は野党過半数という「ねじれ」状態では、与野党協調賛成法案は別に、「与野党対決法案」の議論では、政権与党は苦しい国会運営を強いられる。特に野党の有力会派が立憲民主党と日本維新の会の2つになった2010年代後半以降は、維新が自民・立民両党から懐柔の対象とみなされ、政局運営は益々難しいものになった[39]

与野党対決法案の具体例 編集

1965年第1次佐藤改造内閣

1969年第2次佐藤第2次改造内閣

(参議院にて先決案件である副議長不信任案の審議が続く中の休憩明けに突如法案採決がなされている)[49][50]

2006年第1次安倍内閣

2009年鳩山由紀夫内閣

2010年鳩山由紀夫内閣

2013年第2次安倍内閣

2015年第3次安倍内閣

2016年第3次安倍第2次改造内閣

2017年(第3次安倍第2次改造内閣)

2018年第4次安倍内閣

韓国 編集

衆参単独過半数を持っている自民党が、対決法案以外で与野党一致での可決方針をとったことで、逆に与党単独採決が珍しくなった。これをマスコミは「強行採決」と呼んだ。対決法案以外でも多数派の採決が基本である欧米では該当用語が存在しない理由である。ただし、日本への関心の強いマスコミ関係者が多い韓国では、そのまま韓国語発音に翻訳されて、概念が輸入された[2]

2009年のメディア規制緩和法案ではハンナラ党による採決の強行に対して乱闘騒ぎが発生した[65]

2011年米韓自由貿易協定(FTA)批准案では与党の採決の強行に対して野党議員が催涙弾を投げ込む騒ぎが発生した[66]

台湾 編集

民進党国民党の対立する立法院では、採決をめぐり議場で乱闘が起きることも珍しくなく、これらの政争を国民党寄りの中国側メディアが好意的に取り上げる場合がある(强行表决[67])。

2014年3月、与党・国民党が対中国間で通信、金融などの分野の自由化を目指す「サービス貿易協定」の審査通過を強行採決した。これに抗議する100人以上の学生が18日夜から立法院の議場を占拠した[68]

2020年6月、民進党や蔡英文総統による法案の強行採決や人事案に抗議する野党国民党が議会にバリケードを築き、これを突破した民進党議員と揉み合い怒号が飛び交った[69]


脚注 編集

注釈 編集

出典 編集

  1. ^ コトバンク ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「与野党による採決の合意を得ずに,委員長や議長の職権の下で突発的に行なう採決」 デジタル大辞泉「国会などで、少数派が審議の継続を求めているにもかかわらず、多数派が一方的に審議を打ち切り、採決を行うこと」 2015年7月16日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j 戦後日本資本主義と「東アジア経済圈」 - p68,小林英夫 ,1983
  3. ^ 安保法案で野党が批判する「強行採決」とは? 問題点はどこにあるのか(THE PAGE)”. Yahoo!ニュース. 2023年12月12日閲覧。
  4. ^ 強行採決/審議拒否 | 時事用語事典 | 情報・知識&オピニオン imidas - イミダス”. 情報・知識&オピニオン imidas. 2023年12月12日閲覧。
  5. ^ 与党単独採決とは”. 日本経済新聞 (2015年7月15日). 2023年12月12日閲覧。
  6. ^ 平和安全法制成立へ | 公明ニュース(2015/9/19)”. 公明党. 2023年12月12日閲覧。
  7. ^ イデオロギーなどを理由に全野党と激しく対立する与党の議案
  8. ^ 小項目事典, ブリタニカ国際大百科事典. “与野党対決法案(よやとうたいけつほうあん)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2023年12月12日閲覧。
  9. ^ a b c d e 国会乱闘はメディアもグルのヤラセ!? 杉村太蔵氏が発言”. ITmedia ビジネスオンライン (2011年5月10日). 2023年12月12日閲覧。
  10. ^ 安保法案採決では山本太郎議員のみ 「牛歩戦術」は時代遅れ?|日刊ゲンダイDIGITAL”. 日刊ゲンダイDIGITAL (2015年10月11日). 2023年12月12日閲覧。
  11. ^ 馬場伸幸列伝【野党第一党へ 立憲との違い】強行採決 実は……日本維新の会 代表”. 政界24時【MK通信社】政治・選挙. YouTube. 2024年3月3日閲覧。
  12. ^ ただし、日本共産党は55年体制時代には合意形成の過程に参加すらできないことが多かった。
  13. ^ 危機対応と財政(6) 戦後に出来上がった我が国の意思決定の仕組み”. 財務省. 2023年12月12日閲覧。
  14. ^ NHK. “日韓条約案を強行採決|ニュース|NHKアーカイブス”. 日韓条約案を強行採決|ニュース|NHKアーカイブス. 2023年12月12日閲覧。
  15. ^ 竹下登 『政治とは何か 竹下登回顧録』 第3章6節 "演出された強行採決" pp. 89-92 講談社 2001年1月 ISBN 4-06-210502-0
  16. ^ a b 日本経済新聞「自民党半世紀 - 国対政治 なれ合い招く」2009年10月5日
  17. ^ 平成17年度一般会計、特別会計算出予算目の区分表「国会開会中勤労の強度が著しい事務に従事した国会職員に対して支給する手当」2015年7月16日閲覧。
  18. ^ 国会改革の軌跡-平成元年以降-「6月14日 衆議院運営委員会庶務小委員会、「国会特別手当」 を平成20年度から、 「衛視特別手当」を平成18年度から廃止することを決定」 2015年7月16日閲覧。
  19. ^ 決算検査報告等の反映状況「国会特別手当につきましては、平成十八年度から管理職には一切支給せず、平成十九年度をもって最終年度とすることとなりました」2015年7月16日閲覧。
  20. ^ たとえば1970年代には当時の参議院議長河野謙三が主導して強行採決と単独審議は行わないことが与野党で申し合わされた。
  21. ^ 戦前の帝国議会でも、議事運営は議長の職権とされていたが、現実には各派協議会1904年に設置、後に各派交渉会へ改組)における政党間の非公式折衝で決定されていた。特に1939年(昭和14年)に制定された各派交渉会規程では、各派交渉会での決定に際しての全会派一致が明文で規定されていた。このため、アメリカ政治学者マイク・モチヅキ戦後の国会でも与野党合意を尊重するのは戦前の名残であると考えた。しかし、川人(2005)は、
    • 戦後国会の初期では、議運は多数決で本会議の議事日程を決定しており、各派交渉会の流れを汲んだ全会一致による議事運営機関(たとえば議院運営小委員協議会)は定着しなかった。
    • 一方で、他の常任委員会では理事会での全会一致による議事運営が定着し始めた。ただし、帝国議会は本会議中心主義だったので、各委員会での全会一致による議事運営は戦前の名残ではなく、戦後国会の独自の慣例である。
    • 理事会での与野党協議が議運でも定着したのは、他の委員会から波及したためである。実際、議運で多数決採決が減少するのは55年体制の成立以降のことである。
    • よって、戦後の議運および本会議の議事運営は、戦前以来の制度的慣行に立脚するものではなく、与野党が合意する限りにおいて全会一致が成立するに過ぎない。
    として、モチヅキの論に異を唱えている。
  22. ^ ある議案について野党が本会議で反対の立場である場合でも、その議案の議事日程を議運で採決することには賛成する場合がある。この場合、議運の議事日程は理事会で全会一致で合意され、議運における採決では野党が反対することになる。
  23. ^ a b 褒められず批判されてばかり、それでも政権の命運をも左右する「コクタイ」”. 読売新聞オンライン (2023年2月14日). 2023年12月12日閲覧。
  24. ^ 意外と知らない?「国対委員長」の仕事の中身”. 東洋経済オンライン (2021年1月11日). 2023年12月12日閲覧。
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  27. ^ INC, SANKEI DIGITAL (2015年7月27日). “【酒井充の野党ウオッチ】3年3カ月で計244回! 民主党は強行採決を連発した〝黒い過去〟をお忘れなのか?(3/4ページ)”. 産経ニュース. 2023年12月12日閲覧。
  28. ^ 暴走政権に急ブレーキ 桜疑惑にカジノ疑獄、辺野古移設は計画破綻 ”. ニュースサイト ハンター. 2024年3月3日閲覧。
  29. ^ 検察庁法改正案見送り「首相の求心力」に影響か 与党内にも異論多数、強行採決あえて避けた?”. 東洋経済ONLINE. 2024年3月3日閲覧。
  30. ^ 「強行すれば選挙は負ける」入管法改正、追い込まれ断念”. 朝日新聞デジタル. 2024年3月3日閲覧。
  31. ^ 本会議の場合、打ち切り動議は衆議院規則第140条と参議院規則第111条に定めがあり、それぞれ議員20人以上による提案が必要となる。
  32. ^ たとえば増山(2003)が1970年代の保革伯仲国会期の逆転委員会について分析している。
  33. ^ 【2004年7月号】政界のたるみが政治不信を増幅する─強い自戒を求める─”. 公益社団法人 国際経済労働研究所. 2024年3月3日閲覧。
  34. ^ たとえばアメリカ合衆国大統領選挙における大統領選挙人は有権者団から選出された代表であり、自らの意志で大統領に投票することが認められている。彼らは評議員(議員)ではなく、代表同士での理性的な対話や互譲や合意を得ることは期待されていない。また、通常は立候補のさいに自らが投票する大統領候補を宣言・宣誓し、大統領選挙人に選出されたあとは有権者団の代表として宣言・宣誓に従い投票をおこなう。
  35. ^ 「所定の手続きにのっとって可決成立した法律の効力が国会における審議の内容、経過によって左右される余地はない」(最高裁大法廷平成16年1月14日民集58巻1号1頁)『選挙規程・立法過程・司法審査に関する試論』山岸敬子(中京法学42巻3・4号2008年)[1]PDF-P.3
  36. ^ 混乱国会、繰り返されるお約束の光景 カメラマン席に向け「強行採決反対!」のボード 維新「『8時だョ! 全員集合』のよう」”. 産経ニュース. 2024年3月3日閲覧。
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  42. ^ 審議時間に対する制約としては、二院制衆議院参議院で二度の審議を要する)、委員会制(委員会の議事運営が与野党交渉に委ねられるため、与党による集権的な議事運営の妨げとなる)、本会議や委員会における定例日の慣例、などが挙げられる。また、委員会審議については、開会日数では諸外国と遜色がないものの、1回あたりの審議時間が短い。また、与党議員は党内の事前審査で詳しく審議をすることが可能なのに対し、野党議員は法案が国会に提出されてから、初めて審議に加わることが可能になるため(もちろん、法案の内容は提出前から知ることができるが、政府に対して審議する機会がない)実質的な審議時間の差が生じる。
  43. ^ 自民党の場合、内閣提出法案に対して与党政務調査会での事前審査を経ており、さらに総務会が与党議員へ党議拘束をかける。
  44. ^ モチヅキは、このような国会審議の制度的制約が野党のヴィスコシティ(viscosity、粘着性)を高めているため、自民党の長期政権下にありながら法案修正や廃案が比較的多い、と論じた。
  45. ^ アメリカ合衆国議会は1年単位で会期が切れるが、2年に1度の下院議員選挙の間は会期を跨いで法案審議が継続する。ドイツ連邦議会は下院議員の任期中の4年間は会期が継続する。イギリス議会では、法案審議の会期不継続原則を採用しているが、会期は1年間であり、日本よりも長い。なお、増山(2003)の整理に拠れば、日本と同様の会期不継続原則を採用しているのは、北欧西欧南欧の18ヵ国中ではデンマークアイスランド・イギリスの3ヵ国に過ぎない。
  46. ^ フランス議会では、政党による造反議員への制裁が少なく比較的寛容である。また、イギリス議会でも与党の若手議員(バックベンチャー)の造反がしばしば見られる。
  47. ^ アメリカ合衆国議会では法案に対してはほとんど党議拘束がかけられていないため、議案ごとに個々の与野党議員が是々非々で交差投票(クロスボーティング)を行う。
  48. ^ a b 平凡社 世界大百科事典10 2007年9月1日改定新版 368p
  49. ^ 第61回 参議院 文教委員会 昭和44年8月2日 第25号 参議院文教委員会会議録
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  54. ^ 3年3カ月で計24回! 民主党は強行採決を連発した〝黒い過去〟をお忘れなのか?
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参考文献 編集

  • 岩井奉信 『立法過程』 東京大学出版会、1988年。
  • 大山礼子 『国会学入門 第2版』 三省堂、2003年。
  • 川人貞史 『日本の国会制度と政党政治』 東京大学出版会、2005年。
  • 増山幹高 『議会制度と日本政治』 木鐸社、2003年。
  • 中山千夏 『国会という所』 岩波書店、1986年。
  • 「強行採決の議事手続法上の問題点--「委員長報告」の省略を中心にして」清水睦(ジュリスト(341),30-34,1966-02有斐閣)
  • 「強行採決と議会制民主主義の動揺」橋本公亘(ジュリスト(341),24-27,1966-02有斐閣)

関連項目 編集