徐 海(じょ かい、拼音:Xú Hăi、生年不詳 - 1556年)は、明代倭寇の頭目である。法名は普浄、通称は明山和尚。自称天差平海大将軍

徽州歙県の生まれ。幼くして杭州虎跑寺に預けられるが、後に王直の腹心であった叔父徐碧溪とともに密貿易に携わる。

嘉靖三十一年(1552年)、王直の暗殺を画策するが、叔父に阻止される。その後、叔父の借金のかたとして大隅の領主の人質となる。以後は倭寇に加わり、辛五郎らと江蘇浙江方面の沿岸各地を襲撃するようになる。

大陸に上陸した徐海は柘林乍浦に根拠地を構えた。嘉靖三十五年(1556年)、陳東麻葉らの率いる倭寇集団と合わせて数万の兵力を以て、江浙諸都市を攻略するが、胡宗憲の離間策にはまった徐海は陳東を拘束し、その身柄を官軍に引き渡す。胡宗憲は陳東に徐海討伐を命じ、徐海の一団を壊滅させる。

このとき徐海は海に身を投げ自害したと言われる。陳東、麻葉、辛五郎は捕らえられて処刑され、四人の首は北京に送られた。

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