御船町

日本の熊本県上益城郡の町

御船町(みふねまち)は、熊本県上益城郡にある

みふねまち ウィキデータを編集
御船町
御船町旗 御船町章
御船町旗 御船町章
1960年4月1日制定
日本の旗 日本
地方 九州地方
都道府県 熊本県
上益城郡
市町村コード 43441-8
法人番号 8000020434418 ウィキデータを編集
面積 99.03km2
総人口 16,639[編集]
推計人口、2024年4月1日)
人口密度 168人/km2
隣接自治体 熊本市上益城郡嘉島町益城町甲佐町山都町下益城郡美里町阿蘇郡西原村
町の木 モッコク
町の花 フジ
御船町役場
町長 藤木正幸
所在地 861-3296
熊本県上益城郡御船町大字御船995-1
北緯32度42分52秒 東経130度48分07秒 / 北緯32.71456度 東経130.80186度 / 32.71456; 130.80186座標: 北緯32度42分52秒 東経130度48分07秒 / 北緯32.71456度 東経130.80186度 / 32.71456; 130.80186
御船町役場
御船町役場
外部リンク 公式ウェブサイト

御船町位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町 / ― 村

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南北朝時代から西南戦争に至るまで幾度か戦いが繰り返され、これら古戦場や古い文化史跡名勝の類も多い。日本で初めて肉食恐竜の化石「ミフネリュウ」が発見されたため、恐竜の里として知られる。

地理 編集

隣接している自治体・行政区

地名 編集

  • 滝川
  • 辺田見
  • 御船
  • 小坂(旧小坂村)
  • 木倉(旧木倉村)
  • 陣(旧陣村)
  • 高木(旧高木村)
  • 滝尾(旧滝水村)
  • 水越(旧滝水村)
  • 豊秋(旧豊秋村)
  • 上野(旧七滝村)
  • 田代(旧七滝村)
  • 七滝(旧七滝村)

歴史 編集

御船町の名は、景行天皇の九州平定ご巡幸の際、その「御船(おんふね)」が着岸したことによって名づけられたと伝えられる。

南北朝のころは、阿蘇氏の一族、御船氏が支配。

戦国時代御船行房が支配。行房は阿蘇氏の智将、甲斐宗運に討たれ、甲斐氏が支配。

1587年天正15年)、豊臣秀吉によって肥後国は2分され、小西行長が支配。

関ヶ原の戦いで行長が滅ぼされると、加藤清正が支配。さらに1633年加藤忠広の改易により細川忠利が支配。以後、細川氏明治まで支配。

加藤、細川の時代には、豪商の町「御船」の名は関西まで知られ県内第一の町として栄えた。

その後、明治を経て大正になり、文明開化とともに交通が発達するに従い、御船の名は影を薄めたが、昭和30年(1955年)の合併に際しても町名は「御船町」を残した。[1]

沿革 編集

行政 編集

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  • 町長:藤木正幸(2015年4月27日就任、3期目)
  • 町議会議員 14人

国の機関 編集

県の機関 編集

経済 編集

  • 2002年度町内総生産 409億円

産業 編集

  • 主な産業
  • 産業人口

その他 編集

地域 編集

健康 編集

  • 平均年齢

人口 編集

 
御船町と全国の年齢別人口分布(2005年) 御船町の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 御船町
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性

御船町(に相当する地域)の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より


教育 編集

 
平成音楽大学

大学 編集

高等学校 編集

中学校 編集

小学校 編集

交通 編集

空港 編集

鉄道 編集

2012年現在、鉄道路線はない。鉄道を利用する際の最寄り駅はJR九州豊肥本線南熊本駅

かつて存在した路線 編集

バス 編集

高速バス
一般路線バス

道路 編集

高速道路
一般国道
主要地方道
一般県道

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事 編集

  • 辺田見若宮神社
  • 東禅寺(南北朝時代の1360年建立 上益城郡内最古の寺院)
  • 玉虫寺 - 平家物語に登場する玉虫御前は御船出身といわれる。源平合戦のあと人目を避けて故郷の御船へ帰り、この寺を建立しとなり平家一門の菩提を弔った。
  • 七滝神社例大祭(5月第2日曜)
  • 御船があーっぱ祭り(かっぱ祭り 8月第2日曜)
  • 吉無田高原 - 九州でも屈指の高原美を誇る自然観光の地。キャンプ場、グランピング施設「星の森ビラ」、ローンスキー場、マウンテンバイクコース、化石発掘体験施設などがある。
  • 吉無田水源 - 熊本名水100選。江戸時代の植林地であり阿蘇外輪山伏流水が湧く。
  • 御船町恐竜博物館
  • 城山公園(甲斐宗運御船城跡)
  • 妙見坂公園 - 桜の名所。西南戦争の激戦地でもあり、その遺跡も残る。
  • くまもと野鳥の森(熊本県鳥獣保護センター) - 九州唯一の野鳥保護センターだったが、2009年4月から傷病業務の受け入れのみとなった。
  • 長生のイチイガシ - 幹周り8.6mの全国4番目に大きい巨木。御船町の天然記念物
  • 御船目鑑橋(1848年完成 宇市・丈八(のちの勘五郎)作 熊本県指定重要文化財) - 県内で最も美しく幾度の洪水にも耐え抜いた、肥後随一と称される御船町のシンボルであったが、1988年の集中豪雨により流失。現在は「思い出橋」に姿を変え再架されている。
  • 八勢目鑑橋(1855年完成 甚兵・卯助 作 熊本県指定重要文化財)
  • 下鶴目鑑橋(1886年完成 名工 勘五郎・弥熊 作 旧二重橋や日本橋の架設者 御船町指定文化財)
  • 熊本県庁跡 - 1877年 西南戦争の戦火を避けた熊本県庁が一時御船町に移転(御船県庁)。庁舎は、当時の公立御船小学校があてられた。
  • 御船街なかギャラリー - 1802年建設の大型町家で、御船町の先哲「林田能寛」の生家と言われ、熊本県内では最も古い部類の建物となる。現在は、建物の見学だけではなく、各種活動の場として提供され、個展や文化交流の場、ミニコンサートやワークショップ等にも利用できる。
  • 七滝 - 南北朝時代から朝廷に名前を知られていた歴史のある滝。高さ約40m、幅約30mの滝で七段からなる巨石を伝わって流れ落ちるところから名付けられた。現在は近隣のダムの影響で普段はごくわずかな水流だが、毎年5月第2日曜の「ふるさと滝まつり(七滝神社例大祭)」時に放水され、往時の荘厳な姿を観ることが出来る。
  • 御船街道ハゼ並木 - 赤穂事件での討ち入り(1702年)の後、大石良雄赤穂浪士17名は沙汰を受けるまで肥後細川藩の江戸屋敷に預けられたが、武士の鑑として手厚くもてなしを受けたことに感謝した大石は恩返しにと、当時財政が困窮していた藩の為に薩摩で習ったハゼの栽培と精ろう法を伝授した。これを受けた細川藩では各地にハゼを植え、その実から「櫨(はぜ)ろうそく」を作り出し、藩の専売事業となり財政を潤した。そのとき最初に植えられたといわれるのが、御船川に沿って延びる日向街道沿い、現在の御船街道のハゼ並木であった。しかし、1988年の集中豪雨で移植され現存するのは数本のみである。

著名な出身者 編集

脚注 編集

  1. ^ 熊本県市町村合併史”. 熊本県. 2023年1月1日閲覧。

外部リンク 編集