徳永悠平

日本のサッカー選手

徳永 悠平(とくなが ゆうへい、1983年9月25日 - )は、長崎県南高来郡国見町(現:雲仙市)出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー(DF)・ミッドフィールダー(MF)。本職は右サイドバック[2][5][6]。元日本代表株式会社マルシャル代表取締役[7]

徳永 悠平
名前
愛称 トク
カタカナ トクナガ ユウヘイ
ラテン文字 TOKUNAGA Yuhei
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1983-09-25) 1983年9月25日(40歳)
出身地 長崎県南高来郡国見町[1](現:雲仙市
身長 180cm
体重 77kg
選手情報
ポジション DF / MF
利き足 右足[2][3]
ユース

1996-1998
1999-2001
2002-2005
国見少年SC
国見中学校
国見高校
早稲田大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2003-2017 FC東京 396 (7)
2018-2020 V・ファーレン長崎 68 (2)
通算 464 (9)
代表歴
2001-2003  日本U-18/19/20
2003-2012  日本U-22/23
2009-2013[4] 日本の旗 日本 9 (0)
獲得メダル
ユニバーシアード
2005 イズミル サッカー
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj
徳永悠平

来歴 編集

プロ入り前 編集

国見高校DF(リベロ)にコンバートされ、攻守に活躍[1]。2年時にインターハイ国体全国高校選手権三冠達成に貢献し[8]、3年時には全日本ユース選手権初優勝と全国高校選手権連覇を達成[8]。当時はチーム事情により、FWをこなしたこともあり得点も挙げている。

2002年早稲田大学に進学し、同大学の蹴球部に所属。当時の早稲田は成績低迷の最中にあり、徳永にとっては物足りない環境だったが[9][10]4年時には大榎克己監督の下、主将として同部を牽引[10][11]関東大学リーグ2部での優勝を果たし[8]9年ぶりに1部に復帰させた。また、大学選抜として2005年のユニバーシアードに参戦し優勝[8]

2004年にはアテネオリンピックに臨むU-23日本代表に選出。しかしイタリア戦でデ・ロッシとの接触によって負傷退場し[2]不完全燃焼に終わった[12]。高校・大学時代を通じ常に各年代の日本代表に選出されており、U-22・U-23日本代表監督の山本昌邦からも絶大な信頼を寄せられ、トップクラスの出場時間を得ていた。在学中からA代表入りも期待されるほど大学サッカー界では突出した存在だった。

FC東京 編集

2002年11月頃から大学に程近いFC東京の練習に参加し[13]、翌2003年[14][15]、2004年[16] にはJリーグの特別指定選手[注 1]としてFC東京でプレー。右SBのレギュラーで日本代表にも定着しつつあった加地亮からポジションを奪い[11]、レギュラーとして試合出場を続けた。2004年ナビスコカップ優勝にも予選リーグで貢献。

2005年夏にはスペインリーグバレンシアCFの練習に参加[18]。バレンシアのスタッフからは高評価を受けたものの、当時の同クラブには外国籍選手枠の空きが無く出場機会が危ぶまれたため[19] 入団を保留。バレンシアを含め[20]多くのJリーグクラブによる激しい争奪となったが[11][21]2006年よりFC東京と正式にプロ契約し[8] 入団。以後東京ではガーロ原博実城福浩と監督が替わる中でも不動のレギュラーとして出場を続けた。2007年12月に日本代表候補合宿初招集され、翌2008年4月の代表候補トレーニングキャンプにも招集されたが、正式発表される代表メンバーからは外れる事が続いた。

2008年3月にタレントの八田牧子と入籍。2009年1月に地元・長崎で挙式。同年12月22日に長男が誕生した[22]

2009年10月、これまで候補止まりであったA代表に初招集。2008年からの長友佑都加入に伴い、FC東京のその時点でのチーム状況や、対戦相手の選手の特長によって徳永・長友がSBの左右を入れ替えて起用されるなど左SBを務める機会も多かったことから[23]岡田武史日本代表監督からは「DFであればどこでもできて、フィジカルが強い」と評価され[24]、10月8日のアジアカップ予選香港戦に途中出場しA代表デビュー。得点をアシストし[25][26]、その後も主力の内田篤人を上回る運動量と守備力でアピールを続けたが[20] 連携面で遅れを取り[27]ワールドカップ南アフリカ大会には予備登録メンバーとして選出されるに留まった。

2010年には羽生直剛からゲームキャプテンを引き継ぎ[注 2]、負傷離脱した米本拓司に代わり、主にボランチを務めた[5]

2011年はキャプテンを今野泰幸に託し、右SBに復帰[注 3]。勝ち点を得るべく、得点できるSBを目標に掲げ[29]、自身初のリーグ戦複数得点を記録した。

2012年アルベルト・ザッケローニ日本代表監督より、SBとCBを高いレベルでこなす能力を見込まれ[6] 日本代表に復帰。同年7月、ロンドンオリンピックに臨むU-23日本代表オーバーエイジ枠で[注 4]選出された[32]。U-23日本代表では弱点となっていた[33] 左SBで起用されると、劣勢の時間帯でも動じることの無いプレーで[34] 守備陣を安定させ[35] チームの上位進出に貢献した[36]

2013年7月、柴崎岳に代わって東アジアカップ2013の日本代表に追加招集された[37]韓国戦では粘り強い対応で尹日録らの突破を封じ[38] 日本の同大会初優勝に貢献した。また同年は2009年[39] 以来となるリーグ戦全試合フル出場を記録した[40]

2015年、J1リーグ300試合出場達成[41]。2016年は室屋成橋本拳人の右SB起用もあり、多くを左SBでプレーした[42]

2017年、退団した羽生直剛の背番号「22」を着用[43][注 5]。8月26日、第24節の横浜F・マリノス戦で、史上50人目となるJ1リーグ通算350試合出場を達成した[45]

V・ファーレン長崎 編集

2017年11月23日、V・ファーレン長崎への完全移籍が発表された[46]。2020年12月18日、2020年シーズン終了をもって現役引退することを発表した[47]

人物 編集

家族は妻と4子。父はコンクリート二次製品などの製造販売を行う会社を経営している。引退後はその会社に入社して仕事をする傍ら、休日は農家の友人から借りた畑でスイートコーンの栽培を始めるなど、農業を通じた地方創生に取り組んでいる[48]。収穫したコーンはV・ファーレン長崎のホームゲーム(6月26日のJ2第20節ジュビロ磐田戦)で販売された[49]

所属クラブ 編集

ユース経歴
プロ経歴

個人成績 編集

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2000 国見高 5 - - - 2 0 2 0
2001 10 - - 2 2 2 2
2003 FC東京 32 J1 8 0 2 0 - 10 0
2004 35 6 0 4 0 - 10 0
2006 25 32 1 5 0 2 0 39 1
2007 33 0 7 0 3 0 43 0
2008 30 1 8 0 4 0 42 1
2009 34 0 10 0 0 0 44 0
2010 2 30 0 7 0 5 0 42 0
2011 J2 37 3 - 6 0 43 3
2012 J1 31 1 2 0 0 0 33 1
2013 34 1 5 0 5 0 44 1
2014 34 0 3 1 3 0 40 1
2015 33 0 7 0 2 0 42 0
2016 30 0 2 0 1 0 33 0
2017 22 24 0 5 0 1 0 30 0
2018 長崎 32 27 0 0 0 2 0 29 0
2019 22 J2 31 1 2 0 1 0 34 1
2020 10 1 - - - 10 1
通算 日本 J1 386 4 67 1 28 0 481 5
日本 J2 78 5 2 0 7 0 87 5
日本 - - 4 2 4 2
総通算 464 9 69 1 39 2 572 12

※2003年、2004年は特別指定選手として出場。

その他の公式戦
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFCACL
2012 FC東京 2 7 1
2016 7 0
通算 AFC 14 1
その他の国際大会
出場歴

タイトル 編集

国見高校
早稲田大学
FC東京
日本代表

代表歴 編集

出場大会など 編集

試合数 編集

  • 国際Aマッチ 9試合 0得点 (2009年 - 2013年)[4]


日本代表国際Aマッチ
出場得点
2009 5 0
2010 2 0
2012 0 0
2013 2 0
通算 9 0

出場 編集

No. 開催日 開催都市 スタジアム 対戦国 結果 監督 大会
1. 2009年10月8日  静岡 アウトソーシングスタジアム日本平   香港 ○6-0 岡田武史 AFCアジアカップカタール予選
2. 2009年10月10日  横浜 日産スタジアム   スコットランド ○2-0 キリンチャレンジカップ2009
3. 2009年10月14日  宮城 宮城スタジアム   トーゴ ○5-0
4. 2009年11月14日  ポート・エリザベス ネルソン・マンデラ・ベイ・スタジアム   南アフリカ共和国 △0-0 国際親善試合
5. 2009年11月18日  銅鑼湾 香港スタジアム   香港 ○4-0 AFCアジアカップカタール予選
6. 2010年2月2日  大分 九州石油ドーム   ベネズエラ △0-0 キリンチャレンジカップ2010
7. 2010年4月7日  大阪 大阪長居スタジアム   セルビア ●0-3
8. 2013年7月25日  華城 華城競技場   オーストラリア ○3-2 ザッケローニ EAFF東アジアカップ2013
9. 2013年7月28日  ソウル 蚕室総合運動場   韓国 ○2-1

出演 編集

テレビ番組
CM
映画

脚注 編集

注釈
  1. ^ 大学生としては初の特別指定選手である[13][17]
  2. ^ 特にクラブとしてのキャプテンは設けていなかった[要出典]
  3. ^ ただし、SBからスライドする形で第3のCBを兼任[28](そのためCBがベンチ入りしないことも多かった。)。
  4. ^ 徳永を選出した理由について、関塚隆監督は、最終ラインの建て直しを図ることができ、五輪経験者であること[30]原博実技術委員長は、複数のポジションへの対応、正GK権田修一との連携、若い選手達との協調を挙げている[31]
  5. ^ ダニエウ・アウヴェスが2013年に背番号を2から22へ変更したことを意識したという。空き番となった2番には太田宏介の復帰で6番を譲った室屋が玉突きで着用した[44]
出典
  1. ^ a b 長崎発 アテネへ 五輪へ挑む県勢 長崎新聞 (2004年7月23日)[リンク切れ]
  2. ^ a b c ロンドン五輪 選手名鑑 徳永悠平 スポーツニッポン
  3. ^ 『Jリーグ選手名鑑 2014J1・J2・J3エルゴラッソ特別編集』三栄書房、2014年、64頁。 
  4. ^ a b “徳永 悠平”. サッカー日本代表データベース. http://www.jfootball-db.com/players_ta/yuhei_tokunaga.html 
  5. ^ a b 東京徳永ボランチ先発濃厚「必死にやる」 日刊スポーツ (2010年3月3日)
  6. ^ a b FC東京 徳永“ポリバレント”CBで完封貢献 スポーツニッポン (2012年5月7日)
  7. ^ About us”. 2023年6月13日閲覧。
  8. ^ a b c d e 徳永悠平選手(早稲田大学) 来季新加入のお知らせ”. 2012年7月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年8月28日閲覧。 FC東京 (2005年12月7日)
  9. ^ “W”発“J”行きの選手・第1弾 徳永悠平 (1)”. 2013年5月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年8月28日閲覧。 早稲田スポーツ (2006年3月15日)
  10. ^ a b ア式蹴球部 大榎監督インタビュー wasedawillwin (2007年10月4日)
  11. ^ a b c d e 『FC東京ファンブック2006』毎日新聞社、2006年、57頁。 
  12. ^ OA登録のF東京・徳永「あえて難しいところに挑みたかった」 ゲキサカ (2012年6月14日)
  13. ^ a b 徳永第1号 大学生Jリーガー誕生 早大サッカー部とFC東京をかけもち!!”. 2003年4月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月27日閲覧。 スポーツ報知 (2003年3月13日)
  14. ^ 徳永悠平選手(早稲田大学)「特別指定選手」登録のお知らせ”. 2012年7月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年8月28日閲覧。 FC東京 (2003年3月19日)
  15. ^ 徳永悠平選手(早稲田大学)「特別指定選手」継続のお知らせ”. 2004年9月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年8月28日閲覧。 FC東京 (2003年7月22日)
  16. ^ 徳永悠平選手(早稲田大学)「JFA・Jリーグ特別指定選手」承認のお知らせ”. 2005年2月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年8月28日閲覧。 FC東京 (2004年3月24日)
  17. ^ 大学生が特別指定選手に 日本サッカー協会 47NEWS (2003年3月19日)
  18. ^ バレンシアが徳永獲得か 早大のアテネ五輪代表DF 47NEWS (2005年9月15日)
  19. ^ 徳永、バレンシア最優先! 10月にも決める”. 2005年9月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年8月27日閲覧。 日刊スポーツ (2005年9月2日)
  20. ^ a b 岡ちゃん秘蔵っ子を逆転!徳永が右サイド君臨 スポーツニッポン (2010年1月29日)
  21. ^ 早大DF徳永に12クラブ担当が熱視線”. 2005年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年8月27日閲覧。日刊スポーツ (2005年4月16日)
  22. ^ FC東京・徳永に長男が誕生 サンケイスポーツ (2009年12月22日閲覧)
  23. ^ 長友 安田とガチンコ勝負だ チームで初の右SB起用 東京中日スポーツ (2008年7月16日)
  24. ^ 【日本代表メンバー発表!】会見での岡田武史監督(日本代表)コメント Jリーグ:J's GOALアーカイブ (2009年10月1日)
  25. ^ 徳永が初出場で初アシスト/アジア杯予選 日刊スポーツ (2009年10月9日)
  26. ^ 徳永 絶妙アシストに岡田監督も合格点 スポーツニッポン (2009年10月9日)
  27. ^ 南アフリカへのサバイバル (9) DF徳永悠平 (FC東京) ゲキサカ (2010年2月8日)
  28. ^ 【J2:第7節 FC東京 vs 大分】プレビュー Jリーグ:J's GOALアーカイブ (2011年10月25日)
  29. ^ 週刊サッカーダイジェストNo.1138 「THE MAN」』日本スポーツ企画出版社、2011年。 
  30. ^ “サプライズOA枠”扱いの徳永悠平。その秘めたる才能と、これまでの道程。 Number web (2012年7月14日)
  31. ^ 原技術委員長「OA枠はJでの出場や経験が少ない守備陣で使った」 サッカーキング (2012年6月14日)
  32. ^ a b ロンドンオリンピック2012日本代表メンバー 徳永悠平選手、権田修一選手選出のお知らせ FC東京 (2012年7月2日)
  33. ^ 関塚ジャパン 課題克服へ“ユーロ上演会”で脳内トレ スポーツニッポン (2012年7月10日)
  34. ^ ミケル・エチャリ小宮良之『日本サッカースカウティング127選手』東邦出版、2013年、132頁。 
  35. ^ OA徳永が先制点演出の右足ミドル、関塚監督「安定感が増した」 ゲキサカ (2012年7月12日)
  36. ^ 吉田・徳永、若き侍が「守る」関塚J躍進の原動力 MSN産経ニュース (2012年8月2日)
  37. ^ EAFF東アジアカップ2013 決勝大会 SAMURAI BLUE(日本代表)選手入れ替えのお知らせ samuraiblue.jp (2013年7月19日)
  38. ^ チームメイトも絶賛した「徳永の安定感」、緊急投入で存在感 ゲキサカ (2013年7月29日)
  39. ^ 選手出場記録 (1/2) Jリーグ (2009年12月5日)
  40. ^ 選手出場記録 (1/2) Jリーグ (2013年12月7日)
  41. ^ a b 2015明治安田生命J1リーグ 2ndステージ 第12節 徳永悠平 選手(FC東京)J1通算300試合出場達成 Jリーグ (2015年9月26日)
  42. ^ 【試合詳報】「左SB」徳永、相手エース封じた 東京中日スポーツ (2016年5月18日)
  43. ^ FC東京・徳永悠平、ルヴァン杯で放ったいぶし銀の存在感。背番号変更に込められた思い (3/5) フットボールチャンネル (2017年3月16日)
  44. ^ FC東京・徳永悠平、ルヴァン杯で放ったいぶし銀の存在感。背番号変更に込められた思い (2/5) フットボールチャンネル (2017年3月16日)
  45. ^ 2017明治安田生命J1リーグ 第24節 徳永 悠平 選手(FC東京)J1通算350試合出場達成”. Jリーグ.jp (2017年8月26日). 2018年6月22日閲覧。
  46. ^ 徳永 悠平 選手 完全移籍加入のお知らせ』(プレスリリース)V・ファーレン長崎、2017年11月23日https://www.v-varen.com/news/57358.html2017年11月23日閲覧 
  47. ^ 徳永 悠平選手 現役引退のお知らせ』(プレスリリース)V・ファーレン長崎、2020年12月18日https://www.v-varen.com/news/130002.html2020年12月24日閲覧 
  48. ^ 指導者にならないJリーガーは何をする? 徳永悠平が麦わら帽と長靴姿でスイートコーンを栽培するワケ”. 石井宏美、Number Web (2021年3月17日). 2021年7月3日閲覧。
  49. ^ 【試合情報】6月26日(土)明治安田生命J2リーグ第20節vsジュビロ磐田』(プレスリリース)V・ファーレン長崎、2021年6月22日https://www.v-varen.com/gameinfo/140259.html2021年7月3日閲覧 
  50. ^ 「徳永悠平選手J1リーグ戦200試合出場記念フォトフレーム」販売のお知らせ FC東京 (2012年11月10日)

関連項目 編集

外部リンク 編集