忘れられた者 (ムソルグスキー)

バラード忘れられた者』(ロシア語: Баллада«Забытый»ラテン文字表記の例:Ballada«Zabytyi»)は、モデスト・ムソルグスキー1874年に作曲したピアノ伴奏による歌曲。演奏時間はおよそ2分。

概要 編集

 
『戦争の結末』(1871年 トレチャコフ美術館
作曲の契機となった絵画『忘れられた者』ではない(脚注参照)。

戦争画家として知られるヴァシーリー・ヴェレシチャーギン1871年トルキスタン・シリーズロシア語版の一環として描いた同名の絵画[1]に触発されて作曲された。この絵は、前線で斃れそのまま戦場に置き去りにされたロシア軍兵士の遺体と、それをついばもうと群がるカラスの群れを描いている[2]。ムソルグスキーは、1874年にサンクトペテルブルクで開催された展覧会でこの絵を観て心を動かされ、同じく絵に感銘を受けたアルセニイ・ゴレニシチェフ=クトゥーゾフが書いた詞に付曲、画家に献呈している[3]。ムソルグスキーとゴレニシチェフ=クトゥーゾフの最初の合作となった作品で、作曲家と詩人の協力はこの後、歌曲集『日の光もなく』、『死の歌と踊り』などの諸作品を生み出すこととなった。曲調は陰鬱で、葬送行進曲を思わせるものとなっている。作曲された年にベッセリ社から出版され[4]、ムソルグスキーの死後、1887年にグートヘイル社から再版された。

なお、ヴェレシチャーギンの絵は、彼の才能を高く評価していたロシア皇帝アレクサンドル2世から「ロシア軍には同朋の遺体を異国の地に置き去りにする者はいない」と批判されたことから、画家自らの手で破棄してしまうこととなった[5]。このことが原因で、ヴェレシチャーギンは一時、精神的失調に陥ったという。

歌詞大意 編集

彼は異郷で敵と戦い死んだ。
敵は戦友らに打ち破られ―
戦友は歓呼の声をあげ
ただ彼だけが忘れられ
戦場に一人横たわっている。

貪欲なカラスが血を飲み
死の脅威を浮かべた
見開いた瞳をついばむ。
そして満腹し飛び立っていく―

はるか彼方の故郷で
窓辺で母が子に乳を飲ませる。
「よしよし、泣かないで坊や
父ちゃん帰って来るからね、
お祝いに小さなピローグを
焼いてあげようね…」

だが―彼は忘れられ、一人横たわっている。

脚注 編集

  1. ^ http://www.mussorgsky.ru/bio52.html
  2. ^ 参考文献 「名曲解説全集」「作曲家別名曲解説ライブラリー」の井上頼豊による解説では、「空虚な戦場に詰まれた骸骨の上に禿鷹が舞う画に感銘を受けた作曲者が(以下略)」という説明になっているが、これはヴェレシチャーギンの別の絵『戦争の結末』(ロシア語: Апофеоз войны)を指していると思われる。
  3. ^ 作曲時期は参考文献の大半が1874年秋としているが、「ロシア音楽の魅力」は同年5月7日から17日としている。
  4. ^ 出版についても「名曲解説全集」で井上頼豊は「反戦的内容のため、作曲者の在世中は演奏も出版も禁止されていた」としている。「作曲家別名曲解説ライブラリー」では、出版年を改訂されていない井上の解説文の前に記したため、矛盾した内容となってしまっている。
  5. ^ 他にも『不意の攻撃』『突撃!』が破棄されたという。現在観ることのできる『忘れられた者』は、下書きから復元されたもの。

外部リンク 編集

参考文献 編集

  • 伊東一郎・一柳富美子 編訳「ムーソルグスキイ歌曲歌詞対訳全集」(新期社)
  • アビソワ(伊集院俊隆 訳)「ムソルグスキー その作品と生涯」(1993年 新読書社)ISBN 4-7880-6003-5
  • 「最新名曲解説全集23 声楽曲III」(音楽之友社ISBN 4-276-01023-3
  • 作曲家別名曲解説ライブラリー22「ロシア国民楽派」(1995年 音楽之友社)ISBN 4-276-01062-4
  • 一柳富美子「ムソルグスキー 「展覧会の絵」の真実」(2007年 東洋書店ISBN 978-4-88595-727-7
  • 森田稔「ロシア音楽の魅力 グリンカ・ムソルグスキー・チャイコフスキー」(2008年 東洋書店)ISBN 978-4-88595-803-8