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恋愛資本主義(れんあいしほんしゅぎ)は、本田透の著書『電波男』によって提唱された概念。日本の現在(80年代以降)の恋愛の常識とされ、金と美貌の交換などで恋愛が行われている状況。この概念の上においては、恋愛自体が「他人と相対的に見た優越感を体感する」などのために行われるとされ、日本の女性には、無意識的あるいは意識的に、恋愛資本主義を当然視している者が多いと本田は述べている。
「恋愛資本主義」という語句は本田透が『電波男』を著す以前の1997年の時点で経済アナリストの森永卓郎が自身の論文のタイトルとして使用している[1]。
解釈編集
さまざまな解釈が可能であるが、主に
- 個々人の恋愛行為が、メディアや広告代理店の流布する大量のイメージに縛られ、資本の論理に汚染されている状況
- 純愛物語が、安直な映画・ドラマ・書籍などによって金儲けの道具にされ(娯楽のレベルに落とし込まれ)、逆に恋愛の至高性が失われている状況
- 「年収○○○万以上でないと」のような、金持ちであることが恋愛の条件になり、愛情とお金(や車・家など)が交換可能になっている状況
- そもそも愛情などという観念が消え失せ、恋愛・結婚がお金(や車・家など)と顔面の美しさの交換と化している状況
- 恋愛行為が、他人に相手を見せびらかしたり他人に優越感を持ったりする目的で行われ、他者の欲望を欲望するという契機のもと、資本主義的な差異の体系に(ボードリヤールの意味での「商品」を買うときのように)取り込まれてしまう状況
- 人を愛するということが、物を買うこと(そのために高い服を買う、出会い系を利用する、クラブに行ってみる、高い車を買う、高い料理を食べる等)と同一の規律として内面化されている状況
などという感じに捉えられている。(出典:はてなキーワード)
恋愛資本主義の批判者編集
脚注編集
- ^ 森永卓郎 「恋愛資本主義」『現代日本文化論 (8) 欲望と消費』 岩波書店、1997年、47-76頁。ISBN 978-4000261289。