愛のモッキンバード」(Mockingbird)は、アイネズ・アンド・チャーリー・フォックス英語版が子守唄の「Hush little baby」を基に1963年に作って録音した曲。

愛のモッキンバード
アイネズ・アンド・チャーリー・フォックス英語版シングル
B面 Jaybirds
リリース
規格 シングル盤
ジャンル ソウル
時間
レーベル Symbol 925
作詞・作曲 アイネズ・フォックス英語版
チャーリー・フォックス英語版
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1960年代 編集

オリジナル・シングルは歌詞をアルファベット順に入れ替えたもので、アイネズ・フォックスが兄のチャーリーによるサイド・ボーカルとともにクレジットされている。コミックソングのようなものと見なされていたが、スー・レコード(シンボル・レコード)からリリースされて大成功をおさめ、1963年の夏の終わりには全米トップ・ブラック・シングル/リズム&ブルース・チャートで2位、全米ポピュラー・ミュージック・シングル・チャートで7位に達した[1]アイランド・レコード社のクリス・ブラックウェルはジャマイカのキングストンのレコード店で「愛のモッキンバード」がかかっているのを聴いてこの曲のイギリスでの発売についての交渉のためにニューヨークに飛び、その結果、アイランド・レコードのイギリスでの流通のためにスーのブランドを借用し、1963年12月の「愛のモッキンバード」を皮切りにアメリカの会社の作品をイギリスで販売した。しかしながら、「愛のモッキンバード」は1969年の再発売で33位を獲得するまでイギリスで成功を収めることはなかった[2]

この曲はダスティ・スプリングフィールドによって1964年の彼女のアルバムA Girl Called Dusty でカバーされ、スプリングフィールドはこの曲で二人分のパートを一人で歌った。「愛のモッキンバード」はアレサ・フランクリンの1965年のアルバムRunnin' Out of Fools でもカバーされ、フランクリンはテレビ番組Shindig! の1965年の3月10日のエピソードでレイ・ジョンソンのカウンター・ボーカルとともにこの曲を演奏した。「愛のモッキンバード」のフランクリンのバージョンは1967年に歌手がアトランティック・レコードで商業的に成功した後にコロムビア・レコードがシングル発売した何曲かの1曲で、1967年12月にフランクリンのアトランティックからのシングル "Chain of Fools" が2位になったのと同時にリリースされ、1967年12月にBillboard Hot 100で94位になった。

1970年代:カーリー・サイモンとジェームス・テイラー 編集

愛のモッキンバード
カーリー・サイモンジェームス・テイラーシングル
初出アルバム『ホットケーキ
B面 グロウンアップ(カーリー・サイモン)
リリース
規格 シングル盤
録音 ニューヨーク市のThe Hit Factory、1973年秋
ジャンル ロック
時間
レーベル エレクトラ 45880
作詞・作曲 アイネズ・アンド・チャーリー・フォックス英語版
プロデュース リチャード・ペリー英語版
カーリー・サイモン 年表
愛する喜び英語版
1973年
愛のモッキンバード
1974年
悲しむ時はなく英語版
1974年
ジェームス・テイラー 年表
One Man Parade
1973年
愛のモッキンバード
1974年
君の愛に包まれて英語版
1975年
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アメリカのシンガー・ソングライター、カーリー・サイモンジェームス・テイラー は1973年の秋に「愛のモッキンバード」のリメイクを録音し、曲は1974年のサイモンの4枚目のアルバム『ホットケーキ』からのリードシングルとしてリリースされた。「愛のモッキンバード」のアイデアは、1965年のアポロ・シアターでのアイネズ・アンド・チャーリー・フォックスのライブ演奏でこの曲を知っていて、自身と妹のケイト・テイラーが10代のころに度々楽しんで歌っていたテイラーのアイデアだった。曲はテイラーによる歌詞のかなりの修正と、ドクター・ジョンのキーボード演奏、ロビー・ロバートソンのリズムギターとマイケル・ブレッカーのテナー・サクソフォーンのソロをフィーチャーしていた[3]

「愛のモッキンバード」は即座にヒットし、ビルボード・ポップ・シングル・チャートで最高5位に、ビルボード誌のアダルト・コンテンポラリー・チャートで10位に達し、米国内で100万枚を売り上げてRIAAゴールドディスク認定された[4] 。このシングルはカナダ(3位)、ニュージーランド(7位)、オーストラリア(8位)、南アフリカ(13位)[5]、およびイギリス(34位)でもチャートインした。

サイモンは1975年のテイラーのツアーで「愛のモッキンバード」をテイラーとともに歌うためにステージのライブ演奏への恐怖を克服し、デュオは1979年9月のマディソン・スクエア・ガーデンでの反核コンサートでのライブで「愛のモッキンバード」を演奏し、この演奏は1979年の二枚組のLPアルバム No Nukes: The Muse Concerts for a Non-Nuclear Future と1980年の映画 No Nukes に向けて録音された。近年ではテイラーは「愛のモッキンバード」を(サイモンとの間の)娘のサリー・テイラー英語版と演奏し、サイモンはテイラーとの間の息子のベン・テイラー英語版とライブで歌っている。2015年11月25日、サイモンは「ザ・レイト・ショー・ウィズ・スティーヴン・コルベア」でのライブでスティーヴン・コルベアと「愛のモッキンバード」をデュエットした。

ジム・ブリックマンの1979年のアルバム Destiny にはカーリー・サイモンが("Hash Li'l Baby" として)歌っている "Hush Little Baby" が収録されているが、これはブリックマンがサイモンのために選んだもので、「彼女が1974年に "Mockingbird "でトップ5入りを果たしたので、彼女がモッキンバードのことを歌っていたらかっこいいと思った」からである[6]

チャート履歴 編集

オーストラリア:ジョニー・オキーフ 編集

オーストアリアでは「愛のモッキンバード」のサイモン/テイラーのバージョンはオリジナル歌詞を使い、地元のバックグラウンド・ボーカリスト、マーガレット・マクラーレンとジョニー・オキーフ英語版が歌った別のバージョンと同時にチャートインし、この2つのバージョンは並んで1974年5月初めから4週間に渡ってチャートインし、最高8位を記録した。Sing Sing Sing ミュージカルショーの司会者として1964年に「愛のモッキンバード」を演奏したオキーフは1972年10月にマクラーレンとともにこの曲を録音し、この曲は1973年にシングルとしてリリースされ、サイモンとテイラーのバージョンが録音された頃にはアデレードの地元のヒット曲となっており、フェスティバル・レコード英語版がオキーフのバージョンをアメリカのレコード会社に売ったと信じていてサイモン/テイラーのバージョンが事実上のカバー・バージョンだと考えたオキーフは、彼のヴァージョンの「モッキンバード」がオーストラリアのラジオでサイモン/テイラー・ヴァージョンと少なくとも同等の放送時間が与えられるようにメディア大臣と放送管理委員会に働きかけた[12]

ジョニー・オキーフの人生を元にしたオーストラリアのミュージカル Shout! では、オキーフと母親のテルマのキャラクターが1975年のオキーフのThis is Your Life への出演をドラマ化するシーケンスの一部として「愛のモッキンバード」を演奏する。ミュージカルは2001年1月4日に開幕し、ジョニーとテルマ役としてデヴィッド・キャンベル英語版トリシャ・ノーブル英語版が出演し、キャベルとノーブルは同年3月に発売されたShout! のサウンドトラック・アルバムのために彼らのバージョンの「愛のモッキンバード」を録音した。

その他のバージョン 編集

Mockingbird
ベル・スターズ英語版シングル
初出アルバム『The Belle Stars
B面 Turn Back the Clock
リリース
録音 1982年
ジャンル シンセポップ
時間
レーベル Stiff
作詞・作曲 アイネズ・アンド・チャーリー・フォックス英語版
プロデュース ピーター・コリンズ英語版
ベル・スターズ英語版 シングル 年表
The Clapping Song
1982年
Mockingbird
1982年
Sign of the Times
1983年
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ベル・スターズ英語版は1982年にこの曲をカバーした。この曲はバンドの3曲目で最後のカバーとなった。チャートで51位に達し、その後のシングル "Sign of the Times" もまた3位となった。この曲はバンドのアルバムonly self-titled album からの三枚目のシングルだった。

愛のモッキンバード
トビー・キースクリスタル・キース英語版シングル
初出アルバム『Greatest Hits 2
リリース
ジャンル カントリー
時間
レーベル DreamWorks Nashville
作詞・作曲 アイネズ・アンド・チャーリー・フォックス英語版
プロデュース ジェームス・ストラウド英語版、トビー・キース、ラリ・ホワイト英語版
トビー・キース 年表
Stays in Mexico
2004年
愛のモッキンバード
2004年
Honkytonk U
2005年
クリスタル・キース英語版 年表
愛のモッキンバード
2004年
Daddy Dance with Me
2013年
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イギリス生まれのスペインの歌手、ジャネットは10代の頃に音楽的キャリアを1967年にデビューシングル "Cállate niña" でスペインのチャートでトップになったカリフォルニア・スタイルのフォーク・ロック・バンド Pic-Nic のリードボーカルとしてスタートした。この曲は "Hush Little Baby" に酷似している。

タジ・マハールのソウルフルなバージョンはエタ・ジェイムスをフィーチャーして、1993年のアルバムDancing the Blues に収録されている。

2007年、エディー・マニー英語版は「愛のモッキンバード」をクラシック・ソウルのカバー・アルバムWnna Go Back で、娘のジェス・マニーをパートナーにしてリメイクした。

テレビドラマ『ブロッサム』で、メリサ・マンチェスタージョーイ・ローレンスは母と息子の役で、マンチェスターの "Hush Little Baby" ソロのあとでデュエットした。

「愛のモッキンバード」はテレビドラマ「ふたりは友達? ウィル&グレイス」や、コメディ映画『ホリデーロード4000キロ』(1983年)や『ジム・キャリーはMr.ダマー』(1994年)のキャラクターにも演奏された。

アメリカ人ラッパーのエミネムもまた自身の2004年のアルバム『アンコール』からのシングル「モッキンバードの歌詞に子守唄 "Hush Little Baby" で使用した。

ザ・シンプソンズ』の2003年のエピソード「夫婦愛が壊れる時」で、シンプソンズが組み合わせたジグソーパズルの一部にテイラーの顔が入ったピースをマージが見つけたあとで、テイラー/サイモンのバージョンの歌い出しをマージとホーマーが歌った。同じバージョンは2013年のエピソード「ハロウィーン・スペシャルXXIV」で再びパロディー化され、この時はセルマの体に縫い付けられたバートの死体の頭を相手にデュエットしている。

イギリスの歌手ダスティ・スプリングフィールドは自分のITVでのバラエティ番組で1968年にジミ・ヘンドリクスとこの曲をデュエットした。今日では高画質の記録は残っていないが、視聴者が菅面撮影したものがオンラインで公開されている[14]

脚注 編集

  1. ^ Whitburn, Joel (2004). Top R&B/Hip-Hop Singles: 1942–2004. Record Research. p. 213 
  2. ^ Bordowitz, Hank (2004). Every Little Thing Gonna Be Alright: the Bob Marley reader. Cambridge MA: Da Capo Press. p. 265. ISBN 0-306-81340-8. https://archive.org/details/everylittlething0000unse/page/265 
  3. ^ White, Timothy (2001). Long Ago and Far Away: James Taylor, his life and music. London: Omnibus Press. pp. 216–17. ISBN 0-7119-8803-X. https://archive.org/details/jamestaylor00timo/page/216 
  4. ^ Carly Simon certifications”. RIAA.com. 2014年9月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年4月29日閲覧。
  5. ^ Brian Currin. “South African Rock Lists Website – SA Charts 1965 – 1989 Acts (S)”. Rock.co.za. 2016年9月27日閲覧。
  6. ^ Billboard vol 111 No. 2 (January 9, 1999) p. 70.
  7. ^ Flavour of New Zealand, 20 April 1974
  8. ^ SA Charts 1965 – March 1989”. 2018年9月5日閲覧。
  9. ^ Bac-lac.gc.ca
  10. ^ Top 100 Hits of 1974/Top 100 Songs of 1974”. Musicoutfitters.com. 2016年9月27日閲覧。
  11. ^ Top 100 Year End Charts: 1974”. Cashbox Magazine. 2015年7月16日閲覧。
  12. ^ Mockingbird – JOHNNY O'KEEFE & MARGARET MCLAREN (1973) – Pop Archives – Sources of Australian Pop Records from the 50s, 60s and 70s”. Pop Archives. 2016年9月27日閲覧。
  13. ^ Official Charts Company”. Officialcharts.com. 2016年9月27日閲覧。
  14. ^ Metzger, Richard (2013年6月2日). “When Jimi Hendrix met Dusty Springfield, 1968”. Dangerous Minds. 2016年9月27日閲覧。

外部リンク 編集