慈照寺
| 慈照寺 | |
|---|---|
| 所在地 | 京都府京都市左京区銀閣寺町2 |
| 位置 |
北緯35度1分36.75秒 東経135度47分53.7秒座標: 北緯35度1分36.75秒 東経135度47分53.7秒 |
| 山号 | 東山(とうざん) |
| 宗派 | 臨済宗相国寺派 |
| 寺格 | 相国寺境外塔頭 |
| 本尊 | 釈迦如来 |
| 創建年 | 1490年(延徳2年) |
| 開基 | 足利義政、夢窓疎石(勧請開山) |
| 別称 | 銀閣寺など |
| 文化財 | 銀閣、東求堂(国宝) 絹本著色春屋妙葩像(重要文化財) 庭園(特別名勝、特別史跡) 世界遺産 |
| 公式HP | 銀閣寺 |
慈照寺(じしょうじ)は、京都府京都市左京区にある、臨済宗相国寺派の寺院。銀閣寺(ぎんかくじ)と通称される。相国寺の境外塔頭(けいがいたっちゅう)である。室町時代後期に栄えた東山文化を代表する建築と庭園を有する。
山号は東山(とうざん)。開基(創立者)は、室町幕府8代将軍の足利義政、開山は夢窓疎石とされている。夢窓疎石は実際には当寺創建より1世紀ほど前の人物であり、このような例を勧請開山という。
足利義政が鹿苑寺の金閣舎利殿を模して造営した楼閣建築である観音殿は銀閣、観音殿を含めた寺院全体は銀閣寺として知られる。「古都京都の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。
歴史
室町幕府8代将軍足利義政は、1473年(文明5年)、嗣子足利義尚に将軍職を譲り、 1482年(文明14年)から、東山の月待山麓に東山山荘(東山殿)の造営を始めた。この地は、応仁の乱で焼亡した浄土寺のあったところであり、近代以降も左京区浄土寺の地名が残っている。
当時は応仁の乱が終了した直後であり京都の経済は疲弊していたが、義政は庶民に段銭(臨時の税)や夫役(ぶやく、労役)を課して東山殿の造営を進め、書画や茶の湯に親しむ風流な生活を送っていた。造営工事は義政の死の直前まで8年にわたって続けられたが、義政自身は山荘の完成を待たず、工事開始の翌年である1483年(文明15年)にはここに移り住んでいた。東山殿には会所、常御所(つねのごしょ)などの大規模な建物が建ち、足利義満の北山殿(後の鹿苑寺)ほどではないが、ある程度政治的機能ももっていた。ただし、現存する当時の建物は銀閣と東求堂(とうぐどう)のみである。
1490年(延徳2年)2月、同年に死去した義政の菩提を弔うため東山殿を寺に改め、相国寺の末寺として創始されたのが慈照寺である。
戦国時代末期には前関白近衛前久の別荘にもなったが、これは慈照寺の歴代住持に近衛家出身者が多かったことによる。前久の死後は再び相国寺の末寺として再興された。
1952年3月29日には庭園が 特別史跡および特別名勝に指定された。1994年12月17日には「古都京都の文化財」として 世界遺産に登録されている。
境内
銀閣
国宝。銀閣は、足利義政の山荘東山殿に造営された観音殿の通称で、義政の祖父・3代将軍義満が建てた金閣と対比されて用いられる呼称である。金閣、飛雲閣(西本願寺境内)とあわせて京の三閣と呼ばれる。1489年(延徳元年)に上棟されたことがわかっており、同年をさほど隔てない頃に完成したと思われる。
重層、宝形造、杮葺で、平面は長方形で正面8.2メートル、奥行7.0メートル。初層の「心空殿」は住宅風、上層の「潮音閣」は方3間(柱間の数が正面・側面とも3つ)の禅宗様(唐様)の仏堂で観音が安置されている。書院造につながる和風の住宅風意匠が取り込まれており、東山文化の代表的建築物である。
金閣になぞらえて慈照寺観音殿が銀閣と呼ばれるようになったのは江戸時代以降のことである[1]。1658年(万治元年)に刊行された『洛陽名所集』などの文献に「銀閣寺」の名前が見られる[2]。
金閣と通称される鹿苑寺舎利殿には金箔が貼り付けられているのに対し、銀閣と通称される慈照寺観音殿には外壁に黒漆は塗られているが銀箔は使用されていない。「当初は名前のとおり銀箔を貼る予定だったが、幕府の財政事情のためにできなかった」という説や、「銀箔を貼る予定であったが、その前に義政が他界してしまった」という説、「外壁の漆が日光の加減で銀色に輝いて見えたから」という説がある。また、「当初は銀で覆われていたが、剥がれ落ちてしまった」という説[3]もあったが、2007年(平成19年)1月5日に行われた科学的調査によって創建当時から銀箔が貼られていなかったことが明らかになっている[4]。ちなみに、義政の妻・日野富子は資金援助を一切しなかったともいわれている。
2008年(平成20年)2月から2010年(平成22年)3月まで大規模な修復が行われ、杮葺の屋根の葺き替えや柱や壁など傷んだ部材の交換、耐震補強、2階の潮音閣内部に黒漆を塗るなどの作業が行われた。なお、屋根は約30年ごとに葺き替えられているものの、大正初期以来の大掛かりな全体の修復となった。
修復に際し、京都府教育委員会は老朽化を防ぐために銀閣の外壁に黒漆を塗り創建当時の姿に戻すことを提案したが、所有者である慈照寺の意向により現在の外観を維持する方針で修理が行われることになった[5]。また、工事と同時に調査も実施され、1階の「心空殿」からは創建当時のものとみられる仏像を安置するための「仏間構え」の痕跡や、2階の外壁の軒下部分からは花などの模様をかたどった赤や青に彩色された跡が見つかった。総事業費は約1億4,000万円。修復終了後の2010年4月12日、住職の有馬頼底らによって落慶法要が営まれた。
東求堂
国宝。「とうぐどう」と読む。義政の持仏堂で、1486年(文明18年)の建立である。東求堂の名は横川景三の撰による。池に面して建てられ、大きさは3間半四方。正面左は方2間の仏間、右奥は義政の書斎(同仁斎とよばれる)である。書斎の北側に設けられた付書院と違棚は現存最古の座敷飾りの遺構であり、書院造や草庵茶室の源流として、日本建築史上貴重な遺構である。なお、創建当時は現在位置より南方の銀閣に近い位置に建てられていたと推定されている。関白・太政大臣を勤めた近衛前久が晩年隠棲した際、ここに寓した。薨去後の法名は東求院龍山空誉。
庭園
特別史跡・特別名勝。錦鏡池(きんきょうち)を中心とする池泉回遊式庭園。「苔寺」の通称で知られる西芳寺庭園(夢窓疎石作庭)を模して造られたとされるが、江戸時代に改修されており、創建当時の面影はかなり失われているといわれる。「銀沙灘」(ぎんしゃだん)、「向月台」と称される2つの砂盛りも、今のような形になったのは江戸時代後期とされている。なお、東方山麓の枯山水庭園は1931年(昭和6年)に発掘されたもので、室町時代の面影を残すとされている。
銀閣寺垣
慈照寺の門から庭園を結ぶ入り口の道の両側の垣根は銀閣寺垣(ぎんかくじがき)と呼ばれている。
文化財
国宝
- 慈照寺銀閣 - 解説は既出。
- 慈照寺東求堂(附 棟札) - 解説は既出。
重要文化財
- 絹本著色春屋妙葩像
特別史跡・特別名勝
- 慈照寺(銀閣寺)庭園
史跡(国指定)
- 慈照寺(銀閣寺)旧境内 - 特別史跡・特別名勝の「慈照寺(銀閣寺)庭園」とは別件で史跡に指定されている。指定範囲は「慈照寺(銀閣寺)庭園」より広く、北側の浄土院の境内も指定対象に含まれている。[6]
交通・拝観料
- 所在地 - 京都市左京区銀閣寺町
- 交通 - 「銀閣寺前」(京都市営バス32・急行100系統)下車徒歩6分、「銀閣寺道」(京都市営バス5・17・32・急行100・急行102・203・204系統、京都バス18・51・55系統、京阪バス56・56A系統)下車徒歩10分。
- 拝観料 - 大人・高校生500円、中学・小学生300円。(観音殿内部は拝観できない)
「銀閣」と「銀閣寺」
前述の通り、観音殿を「銀閣」と称するほか、寺院全体の通称は「銀閣寺」として知られている。一方、入学試験で当寺が正答となる問題が出題された際に「銀閣寺」と解答すると、誤答とされた事例があった。
1977年(昭和52年)3月に実施された北海道公立高校入学試験(北海道教育委員会作成)においては、「銀閣」「慈照寺」は正答とされた(ひらがな表記を含む)が、「銀閣寺」は誤答だった。この設問についての出題者の見解は、「銀閣は、慈照寺という寺のいくつかの建物の一つで、教科書でも銀閣寺とは記述されていない。『銀閣』または『銀閣(慈照寺)』と示されている」としている。なお、当寺の近隣には「銀閣寺前」「銀閣寺道」を称する電停(当時)やバス停があるほか、修学旅行などのガイドも銀閣寺と呼称していたことを挙げて「入試問題の落とし穴」とした報道もあった[7]。なお、2002年(平成14年)に実施された横浜中学校の入学試験における選択肢では「慈照寺銀閣」と記述されている。
ギャラリー
脚注
- ^ 銀閣寺(慈照寺) - 京都市情報館(京都市公式サイト、2010年11月28日閲覧)
- ^ 洛陽名所集(1658年) - 国文学研究資料館 ※ 慈照寺についての記述はデータベースの49コマ目に収録されている。
- ^ われわれはフィジカルな世界をもっともっと知る必要がある (PDF)(対談) - インターネットエディション No.25(1998年夏号、NTT出版) ISBN 雑誌01771-07
- ^ 銀閣寺に銀箔なし 創建時から 科学調査で検出されず - YOMIURI ONLINE(2007年1月7日付)[リンク切れ]
- ^ 『枯淡の銀閣維持 老朽化修理方針 創建時の黒漆塗りには戻さず』 京都新聞(2008年6月11日付)
- ^ 『図説日本の史跡 6 中世』、同朋舎、1991
- ^ 『足利義政が建てたのは ×銀閣寺 ○銀閣 公立高入試 “落とし穴”もあった』 北海道新聞(1977年3月6日付、16版 第17面)
参考文献
- 井上靖・塚本善隆 監修、竹中郁・村上慈海 著『古寺巡礼京都20 金閣寺・銀閣寺』 淡交社 1977
- 竹村俊則 著『昭和京都名所図会 洛東下』 駸々堂 1981
- 『週刊朝日百科 日本の国宝』68号(慈照寺ほか) 朝日新聞社 1998
- 『日本歴史地名大系 京都市の地名』 平凡社
- 『角川日本地名大辞典 京都府』 角川書店
- 『国史大辞典』 吉川弘文館
関連項目
外部リンク
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