戦時国債

戦費調達のため戦時に募集する国債

戦時国債(せんじこくさい)は、戦争をするにあたって、軍事作戦や兵站その他に必要な費用を賄うために戦争当事国の政府が発行する債券である。戦時国債は、しばしば勝利債券と呼ばれ、プロパガンダに使われる。

1918年、イギリスにおける戦時国債の広告

歴史 編集

 
モントリオールの債券販売所

カナダ 編集

1939年9月10日第二次世界大戦カナダが参戦すると、戦時国債の発行が開始された。カナダの戦費の半分は戦時国債と戦争貯蓄証明書で賄われていた。

ドイツ 編集

ドイツは、第一次世界大戦のときと同様に、長期の戦時国債を購入するする説得は行わなかった。短期の戦時国債を金融機関から直接借りることで戦争資金を確保した。

日本 編集

日本は日中戦争太平洋戦争期の戦争財政の財源の7割強は戦時国債であった。この戦時国債の約7割が日本銀行の直接引受(その後市中売却)で発行されていた[1]

戦時中の国債新規発行額の推移[1]

年度 総額 軍事公債 歳入補填公債 植民地事業公債 内地事業公債
1937年 2,230 1,751 355 52 71
1938年 4,530 3,807 579 88 55
1939年 5,517 4,371 940 142 64
1940年 6,885 5,228 1,265 166 65
1941年 10,191 7,100 2,433 159 119
1942年 13,719 12,564 308 175 75
1943年 20,471 17,538 1,866 408 232
1944年 30,810 23,809 5,870 654 568
1945年 42,474 32,260 9,011 990
合計 136,827 108,428 22,627 1,844 2,239

戦時国債の処理 編集

第二次世界大戦に日本が敗北すると、日本政府の手元には1408億円の戦時国債が残された。日本政府は、一度限りとして財産税を導入してこの戦時国債を返済しようとした。終戦当時、日本国民が保有する総財産は4000~5000億円ほどであった。「物の金が極端に不均衡な現状では、国債は実体のない財産にすぎず、むしろ悪性インフレや経済崩壊の原因である。」とした政府は、国民が所有する財産を吸収してその不均衡を是正する必要があるとした。財産税の初期構想では、税率は20~100%とされ、最終的に25~90%とされた[2]

脚注 編集

  1. ^ a b 日本の戦費調達と国債”. 中央大学学術リポジトリ. 2024年1月24日閲覧。
  2. ^ 敗戦後日本の巨額の戦時国債はどのように処理されたのか”. 財務省. 2024年1月24日閲覧。