捕虜裁判(ほりょさいばん、Hostages Trial)は、1947年7月8日から1948年2月19日にかけてアメリカ合衆国ニュルンベルクで行ったナチ戦犯法廷。被告は全員バルカン戦線ギリシャアルバニアユーゴスラヴィアなど南東ヨーロッパに駐留したドイツ軍の指揮官である。捕虜パルチザンの殺害、民間人を人質にとった行為についての裁判であった。ニュルンベルク継続裁判の中では7番目に行われた裁判である。

捕虜裁判(1947年7月8日~1948年2月19日)
裁判中の被告とその弁護団

被告 編集

名前 役職 罪状 判決
    1 2 3 4  
ヴィルヘルム・リスト   元帥
1941年から1942年の南東方面軍司令官
1941年の第12軍司令官
G I G I 終身刑
病気を理由に1952年12月に釈放
1971年死去
マクシミリアン・フォン・ヴァイクス   元帥
バルカン戦線 (第二次世界大戦)の間の第二軍司令官
I I I I 病気を理由に裁判から除かれる
1954年死去
ロタール・レンデュリック   上級大将
1943年から1944年の第二装甲軍の司令官
G I G G 20年禁固刑,10年に減刑
1951年釈放。1971年死去
ヴァルター・クンツェ(de:Walter Kuntze)   工兵大将
リストの後任の南東方面軍司令官、第12軍司令官
G I G G 終身刑
1953年釈放。1960年死去
ヘルマン・フェルチュ(de:Hermann Foertsch)   歩兵
大将

第12軍幕僚長
I I I I 無罪。1961年死去
フランツ・ベーメ   1940年から1943年にかけてXVIII山岳軍団の大将
1944年にレンデュリックの後任
I I I I 罪状認否前の1947年5月30日に自殺
ヘルムート・フェルミー(de:Hellmuth Felmy)   大将
南方ギリシャ軍集団司令官
G G I I 15年禁固刑
1951年に10年に減刑。1965年死去
フーベルト・ランツ(de:Hubert Lanz)   1943年から1945年のXXII山岳軍団の大将 G I G I 12年禁固刑
1951年釈放。1982年死去
エルンスト・デーネル(de:Ernst Dehner)   少将
レンデュリックの部下
G I I I 7年禁固刑
1951年釈放。1970年死去
エルンスト・フォン・レイザー   歩兵大将
レンデュリックやベーメの部下
I I G G 10年禁固刑
1951年釈放。1962年死去
ヴィルヘルム・シュパイデル(de:Wilhelm Speidel)   少将
1942年から1944年のギリシャ軍事司令官
G I I I 20年禁固刑
1951年釈放。1970年死去
クルト・フォン・ガイトナー(de:Kurt Ritter von Geitner)   セルビアとギリシャの軍事司令官幕僚長 I I I I 無罪。1968年死去。

I — 起訴   G — 起訴および有罪