敷地 藤安(しきち ふじやす)は、室町時代後期から戦国時代にかけての武将土佐一条氏の家臣。

 
敷地 藤安
時代 室町時代後期 - 戦国時代
生誕 文明元年(1469年
死没 天文9年(1540年
官位 民部少輔
主君 一条房家房冬
氏族 敷地氏
一条房冬側室
テンプレートを表示

略歴 編集

文明元年(1469年)、誕生。一条房家に仕えた老臣で、土佐一条家の確立に功績があったという。

房家の信任も厚く、その嫡男・房冬の守役を任されている。房家の没後は房冬に仕えて、当初は自分の娘を側室に迎えるなど重用されたが、天文9年(1540年)、その権勢を妬んだ重臣による讒言を信じた房冬によって自害を命じられた。

房冬は藤安の死後にその無罪を知り、激しく後悔したという。これが原因かどうかは不明だが、房冬も翌年に病死している。