斎藤 信夫(さいとう のぶお、1911年3月3日 - 1987年9月20日)は、小学校教諭をしながら童謡の創作を続けた童謡作詞家である。終戦を境に神州不滅皇国史観教育をしてきた自分を反省し、教職を辞めてしまうという気骨を持った人物であったが、童謡を通じ子供や動物を見る目は暖かかった。終戦直後に発表された童謡「里の秋」を作詞したことで知られ、生涯の詩作は1万余篇におよぶ。勲五等双光旭日章を受勲。

経歴 編集

1911年 (明治44年) 3月3日、千葉県山武郡南郷村 (現:山武市) 五木田に生まれる。

1930年 (昭和5年) に千葉師範学校 (現:千葉大学教育学部) 第2部に入学し、1931年 (昭和6年) に卒業して小学校[注釈 1]に奉職する。1936年 (昭和11年)、25歳の時に1年間休職して千葉師範学校の専攻科へ進んだ[1]。1940年 (昭和15年) 3月より終戦の年まで、葛飾町 (現・船橋市) の葛飾町立葛飾尋常小学校で訓導を務める[2]。教職のかたわら独学で詩作に取り組みながら教材雑誌に投稿を続けるうち、雑誌で作曲家海沼實の存在を知り、海沼とは面談をしたのちに手紙を交わした。1941年 (昭和16年) 12月の日米開戦愛国心が高揚すると、一気に書き上げた詩の数編より『星月夜』を海沼ほかに郵送したものの、返事はなかった。

1945年 (昭和20年) の12月、海沼實に依頼されて改作した『星月夜』は、『里の秋』と改題してラジオ番組『外地引揚同胞激励の午后〈ごご〉』[2]で放送。翌年3月に教職を離れ、1947年 (昭和22年) に中学校の教壇に復する。

ふたたび教職についたあとも作詞と詩の研究を続けており、童謡の研究会を主宰して1954年 (昭和29年)に月刊同人誌「花馬車」を、翌1955年 (昭和30年) に幼児童謡研究誌「三輪車」を創刊する[3]。「三輪車」は55歳で定年退職した1967年 (昭和42年) に、また「花馬車」は1986年 (昭和61年)にそれぞれ終刊。1987年(昭和62年) 9月20日死去。享年76。

里の秋 編集

終戦の年の12月中旬、突然、作曲家の海沼實から『スグオイデコフ カイヌマ』 (すぐ来て下さい 海沼) の電報が届いた。何の用事か見当も付かず、海沼にも戦意高揚の童謡を送り付けていた事も忘れている。『星月夜』を示して海沼は、1番、2番はこれでいいが3番、4番を作り直してもらいたいと告げた。『星月夜』の3番は戦地の父を励まし、4番は自分も大きくなったら立派な兵隊になるという、まさに少国民向けの詞であったのだ。海沼は、改作した歌を12月24日のNHKのラジオ番組『外地引揚同胞激励の午后〈ごご〉』で放送し復員兵に歓迎と慰労の意を伝えるため、期日までに3番と4番をまとめて新しい3番を作ってほしいと説明した。

『星月夜』は戦意向上の勢いにまかせて作った詩である。1、2番の歌詞はそのまま変えず新3番を書くとは、作詩当初と内容が全く正反対の詩にしろ、というに等しい。詩人にとって厳しい要求であり詩作は難航した。苦吟すること1週間ほど、放送前夜にやっと完成。斎藤は後になって、3番は無くてもよいという意味のことを言っているが、研究者の間では新3番の舞台として戦地を象徴する『椰子の島』 (『星月夜』の3番の歌詞) を残し、“ご無事を祈ります”という詩の流れを導いて歌詞を結んだと評価している。また1番の冒頭“しずかなしずかな”、2番の“あかるいあかるい”に呼応して新3番に“さよならさよなら”を採用、戦争を含むこの時代の負の部分との訣別の表現として詩全体を支配させた点を秀逸とする見解も多い。

斎藤は放送当日、新『星月夜』を持参して放送局[4]に駆け付ける。海沼の案で曲名を『星月夜』から『里の秋』と改め、歌詞の2番にある“星の夜”を“星の空”と変更する。かくして昭和20年12月24日午後1時45分、『里の秋』は当時小学5年生の川田正子[5]の声に乗って全国に流れた。番組終了後の反響は大きく、川田は翌日ふたたび、この歌をマイクの前で歌っている。

『里の秋』は初めての放送の後、「復員だより」という番組のテーマソングに採用されたことをきっかけに、長く親しまれ愛される大ヒット曲に育った。斎藤は1963年 (昭和38年) 、主宰する同人誌「三輪車」で前年の暮れまでに放送回数が1万回を突破したと報告したのである。

主な作品 編集

歌碑・その他 編集

「里の秋」の歌碑 編集

  • 「文学の森」 歌詞と肖像写真・解説 (千葉市若葉区野呂町、千葉東金道路野呂パーキングエリア上り線)[9]
  • 作曲家の海沼實の故郷・松代町のつつみ公園 歌詞全文・楽譜、栗の葉と実の形をしている[9]
  • 歌手の川田正子の母須磨子の故郷・いすみ市の「童謡の里」 楽譜に記した歌詞の一部 (千葉県いすみ市岬町岩熊)[9]

「蛙の笛」の歌碑 編集

  • 歌手の川田正子の母須磨子の故郷・いすみ市の「童謡の里」 楽譜に記した歌詞の一部 (千葉県いすみ市岬町岩熊)[11]
  • 作曲家の海沼實の故郷・松代町の真田公園  歌詞全文・楽譜 (長野県長野市松代町)[11][12]
  • 作曲家の海沼實の故郷・松代町のつつみ公園 歌詞全文・楽譜、長野市設置 (長野市松代町十五区石切町)[9][13]

その他の碑 編集

  • 海沼美智子[14]の寄稿碑 (いすみ市「童謡の里」) 

注釈 編集

  1. ^ 山武郡の緑海尋常高等小学校・訓導 (教諭)[1]

脚注 編集

  1. ^ a b 斉藤信夫の職歴”. 2015年10月28日閲覧。
  2. ^ a b 「池田小百合なっとく童謡・唱歌」による。池田小百合なっとく童謡・唱歌「里の秋」” (2010年9月1日). 2015年10月27日閲覧。
  3. ^ tan-探-探求探訪 童謡作詞家 斎藤信夫の生涯”. hananozaidan.or.jp. 花と緑の農芸財団. 2019年12月14日閲覧。
  4. ^ 放送が行われたJOAKは、社団法人日本放送協会 (NHKの前身) の放送局。
  5. ^ アーティスト情報「川田正子」”. 日本コロムビア. 2015年10月28日閲覧。
  6. ^ 『みっちゃん たっち;ちょちちょちあばば;にこにこえくぼ;いい先生 』”. 東京: コロムビア. 2015年10月29日閲覧。国立国会図書館、請求記号:YMAS-AJ-2-2;原本代替記号:Cas-560;発売番号:C-53
  7. ^ 習志野市立袖ケ浦西小学校の校歌の歌詞を紹介。校歌”. 習志野市立袖ヶ浦西小学校. 2015年10月28日閲覧。
  8. ^ 童謡「里の秋」の歌碑”. 公益社団法人千葉県観光物産協会. 2015年10月28日閲覧。
  9. ^ a b c d e f 歌碑を訪ねて西東”. 2015年10月27日閲覧。
  10. ^ 童謡の小径配置図”. たつの市. 2015年10月27日閲覧。
  11. ^ a b 千葉県いすみ市岬町岩熊635 童謡の里にある 蛙の笛 歌碑”. 2015年10月27日閲覧。
  12. ^ a b 鹿島岳水『童謡・唱歌・叙情歌名曲碑50選』――都道府県別歌碑302基ガイド、文芸社、2005年、41頁。ISBN 978-4-2860-0215-6 
  13. ^ 市川健夫、吉本隆行『信州ふるさとの歌大集成――胸にしみる懐かしい調べ歌い継がれる信州のこころ…』一草舎、2008年、273頁。ISBN 978-4902842401 
  14. ^ 海沼美智子は童謡歌手で児童合唱団音羽ゆりかご会を率いた川田美智子の本名。父は斎藤と組んだ作曲家の海沼實。

関連資料 編集

斎藤信夫の著作 編集

ペンネーム「葉山春夫」による資料を含む。

  • 斎藤信夫『紅緒のかっこ』詩と歌謡の社、1935年。  昭和10年
  • 葉山春夫『童謡劇作集:川田正子愛唱』 1巻、白眉音樂出版社、1948年。 NCID BA65610190  ペンネームで執筆、川田正子は初演した歌手で作曲家海沼實の娘。昭和23年
  • 葉山春夫『童謡劇作集:川田正子愛唱』 2巻、JP番号45013935、白眉音樂出版社、1948年。  ペンネームで執筆。昭和23年
  • 斎藤信夫『童謡の作り方』JP番号48005841、NDC=909.1、白眉音樂出版社、1948年。  ペンネームで執筆。昭和23年
  • 葉山春夫『愛唱童謠劇作集 (低・中学年向)』 上、白眉音樂出版社〈誰でも知ってる〉、1949年。  ペンネームで執筆。昭和24年
  • 葉山春夫『中学生のオペラ』 2巻、白眉音樂出版社〈楽譜と舞踊振付の付いた〉、1952年。  ペンネームで執筆。昭和27年
  • 葉山春夫『こどもオペラ』JP番号21632862、白眉音樂出版社、1953年。  ペンネームで執筆。昭和28年
  • 斎藤信夫『童謡詩集 子ども心を友として』里の秋誕生50周年記念出版、成東町教育委員会、1996年。  斎藤信夫の歌詞代表作135編。 平成8年

その他の資料 編集

  • 『里の秋』里の秋出版後援会、1986年。  童謡75編:校歌15編収録。里の秋誕生40周年記念出版。 昭和61年
  • 『童謡詩人 斎藤信夫のあしあと』NDC9=911.52:詩歌、成東町教育委員会、1990年。  斎藤信夫の自筆原稿
  • 『童謡詩人 斎藤信夫のあしあと』NDC8=909.1、成東町教育委員会、1997年。  斎藤信夫の生涯
  • 宮澤康造、本城靖『全国文学碑総覧』日外アソシエーツ・紀伊国屋書店、1998年、1215頁。ISBN 4-8169-1477-3  歌碑の所在地
  • 読売新聞文化部『唱歌・童謡ものがたり』岩波書店、1999年。ISBN 978-4-0002-3340-8  読売新聞連載「名曲を訪ねて」の書籍化 (297ページ)。文庫版 (464ページ・2013年)、同改版 (448ページ・2014年) あり
  • 川田正子『童謡は心のふるさと』東京新聞出版局、2001年。ISBN 978-4-8083-0744-8 
  • 横山太郎『童謡大学 童謡へのお誘い』自由現代社、2001年。ISBN 978-4-7982-1031-5  楽譜と解説
  • 池田小百合『もっと好きになる日本の童謡』有楽出版社、2004年。ISBN 978-4-4085-9237-4 
  • 鹿島岳水『童謡・唱歌・叙情歌名曲碑50選』――都道府県別歌碑302基ガイド、文芸社、2005年。ISBN 978-4-2860-0215-6 
  • 井筒清次『図説 童謡唱歌の故郷を歩く』(ふくろうの本)、河出書房新社、2006年。ISBN 978-4-3097-6077-3 
  • 池田小百合『読む、歌う 童謡・唱歌の歌詞』夢工房、2007年。ISBN 978-4-8615-8013-0 
  • 畑中圭一『日本の童謡――誕生から90年の歩み』平凡社、2007年。ISBN 978-4-5822-1970-8 
  • 『斎藤信夫童謡集 夢のお馬車』山武市教育委員会、2014年。  斎藤信夫の歌詞代表作53編を楽譜でたどる。地元の混声合唱「なるなみコーラス」企画・編集、A4判118ページ、非売品。 平成26年

外部リンク 編集