斎藤 太吾(さいとう だいご、1980年3月7日 - )は埼玉県所沢市出身のドリフトドライバー。愛称は「ダイゴ」。チューニング・マシン製作などを手掛けるショップであるFAT FIVE RACINGの代表も務める。2008年、2016年のD1グランプリシリーズチャンピオン。

斎藤太吾
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1980-03-07) 1980年3月7日(44歳)
出身地 日本の旗 日本埼玉県所沢市
D1グランプリでの経歴
デビュー 2004
所属 FAT FIVE RACING
車番 87
優勝回数 17
シリーズ最高順位 1位 (2008年、2016年)
選手権タイトル
2008, 2016
2012
2012
D1グランプリ
フォーミュラ・ドリフト
フォーミュラ・ドリフト アジア

来歴 編集

高校時代、軽井沢バイクでツーリングに出かけた際、通りかかった峠で偶然ドリフトを見かけ、ドリフトに興味を持つ。免許取得後当初はミニクーパーに乗るが、その後シルビア(S13型)でドリフトを始める[1]

2004年度よりD1GPに参戦し、2006年頃から追走にしばしば進出するようになった。マシンはマークII(JZX90型)を使用し、重量のある4ドアセダン車で、軽量の2ドアクーペ車をも上回るほどの進入速度を効果的に利用して戦った。しかし当時は単走を得意とする一方で追走では成績が安定せず、審査委員長の土屋圭市からは「単走番長」とのレッテルを貼られたことがある。

2007年、第2戦富士スピードウェイでは、ベスト8での川畑真人とのサドンデスで300Rの芝生に乗り、アンダーステアとなり川畑のマシンに接触してしまったことがきっかけで、D1史上最悪とも言われる大クラッシュが発生する。このクラッシュで特に川畑の安否が心配されたが、結果的に双方に大事はなかった[2]。クラッシュの後の第3戦鈴鹿サーキットからマシンをマークII(JZX100型)に変更、シーズンの途中からは松田豊久・前田謙の所属先であるチームK&L JAPANに加入しシリーズ成績7位。なお2007年のシード選手の中では、唯一、追走準決勝への進出経験がなかった。

2008年度は単走の審査基準から進入速度が外されると、より大きな角度と大量の白煙を出す走り方に切り替えた。パワーを生かした追走で、第2戦富士スピードウェイで決勝進出、第3戦鈴鹿で4位、続いて第4戦岡山国際サーキットで準決勝へと進出した。第5戦オートポリスにて地元出身の野村謙を下して優勝。最終戦富士スピードウェイでは、マシントラブルにて準決勝で敗退するも、2位の今村陽一を直接対決で下し、2008年度のシリーズチャンピオンを決めた。

2009年からはベールマンのエアロ提供でマシンをフォード・マスタングに切り替え、メンテナンスとチューニングはこれまでと同様FNATZが担当する予定だったが白紙になった。

2012年からインドネシアのアキレスタイヤのサポートを受けてフォーミュラ・ドリフトレクサス・SCで参戦、シリーズ初参戦にして見事シリーズチャンピオンを獲得。さらにフォーミュラ・ドリフト・アジアでもレクサス・IS Cで参戦し、こちらもチャンピオンを獲得しており、D1でチャンピオンを獲得した場合三冠の可能性があったものの、フォーミュラ・ドリフト及びアジアを優先した都合上3戦を欠場したのが最終的なリザルトに響き、出場したラウンドのうち最終戦以外の全てで決勝に上がるなど活躍したものの、シリーズランキング2位に終わった。

2013年は自身のショップであるFAT FIVE RACINGを立ち上げ、フォーミュラ・ドリフト、フォーミュラ・ドリフト・アジア、D1GPに参戦。シーズン終盤に車両を保管していたガレージが火災に見舞われ、それまで使用していたマシンが焼失してしまうという憂き目に合う。

2014年にはJZX100型マークIIをベースに、車重わずか1トンのボディに、2JZ-GTE改3.4Lとギャレット製GTX40タービン(レスポンスを重視してインタークーラーレス仕様)を組み合わせて1000馬力を発揮するフルチューンエンジンを搭載したマシンを新規製作し、第4戦から投入した(製作が間に合わなかったため、第3戦までは前年までフォーミュラ・ドリフト・アジアで使用していた車両をD1規定に合うように改修して使用した)。

2015年にはHKSと共にR35型GT-Rでフォーミュラ・ドリフトに参戦。一方D1GPでは前年に引き続きマークIIをドライブし、第2戦、第5戦、第6戦と3度の優勝を果たし、シリーズランキングを2位で終えた。また、同年にはランボルギーニ・ムルシエラゴの世界初となるドリフト仕様を製作し[3]、10月のD1最終戦・お台場に参戦した。

2016年にはD1に初参入となる中国企業のワンリタイヤと契約を結び、同社のワークスドライバーとしてD1に参戦[4]。同社のデビュー戦となる開幕戦・お台場を優勝で飾ると[5]、続く第2戦、第3戦も優勝し開幕3連勝とした。第5戦エビスも優勝し、第6戦終了時点で、6戦中4勝という圧倒的な成績を残し、最終戦のお台場を待たずしてシリーズチャンピオンを決めた。また、最終戦お台場でも優勝を収め、前人未到の年間5勝という金字塔を打ち立てた。

2017年はマシンをマークIIからコルベットGT3をベースとした車両にスイッチ。第6戦エビスサーキットでの優勝を含め四度表彰台に立ち、シリーズランキング3位となった。

2018年はグッドライドタイヤのサポートを受けて参戦。また、同年12月に南アフリカで行われたジムカーナ・グリッドにもコルベットで出場、初出場にしてRWDクラス優勝を飾った[6]

2019年はTOYOTA GAZOO RacingとZeknovaタイヤのサポートを受けて、新型車となるGRスープラを発売前にお披露目し、D1GPに参戦した。

2020年も引き続きGRスープラでD1GPに参戦し、第2戦エビスで準優勝の成績を収めた。また同年、埼玉県内にある自身のファクトリー近くに建設していた練習やテスト用のマイサーキットが完成した[7]

2021年もGRスープラで参戦。タイヤはSAILUNタイヤのサポートを受ける。第1戦の奥伊吹を優勝で飾ったが、その後は成績がやや安定せず、第3・4戦の欠場もありシリーズ12位となった。

2022年は松山北斗とともにチームTMARよりFDJに、またD1GPにも同チームから松山・中村直樹上野高広とともに参戦。マシンはFDJでは新たに製作したGR86を、D1GPでは引き続きGRスープラを使用する。タイヤはヨコハマのサポートとなる。D1GPでは第8戦エビスで単走優勝・追走3位を獲得しシリーズランキングは総合10位、FDJでは第1戦鈴鹿ツインで3位、第4戦奥伊吹で準優勝するなど活躍しシリーズ5位の成績を収めた。

2023年はFDJには参戦せず、D1GPのみを戦うこととなった。車両は変わらずGRスープラを使用する。タイヤは2023年1月のオートサロンの時点でTOYO TIREであると発表されていた[8]が、開幕戦はGOODRIDEを使用した。第3戦筑波サーキットからはシバタイヤのサポートを受け参戦する[9]

2024年はシバタイヤのセミワークスドライバーとなることが発表された。車両は変わらずGRスープラだが、完成次第GT3マシンベースのSLS AMGに変更するとのこと。

エピソード 編集

  • マシンメイクを得意とし、近年はカスタムビルダーとしても腕を振るっている。大排気量でハイパワーを得ることのできる2JZ-GTEエンジンを日本国内で流行らせた[10]ほか、ムルシエラゴやコルベット、GRヤリス[11]など、ドリフト界では異色と言えるマシンの製作も行っている。アンチラグシステムをドリフトの世界に持ち込んだのは斎藤であると言われている[12]。またWRCドライバーのカッレ・ロバンペラは、斎藤がチューニングしたGRスープラで欧州ドリフト選手権に参戦したことがある[13]
  • 強烈な角度やスピードによるアグレッシブな走りを持ち味とする。かつてD1で審査委員長を務めていた土屋圭市は「太吾の走りは凄すぎて参考にならないから、みんなは真似しないように」と笑いながら言った[14]
    • 2008年6月7・8日にお台場で行われたエキシビジョンでは、他の選手が皆ホイールスピンを警戒してアクセルをコントロールしながら走っていたのに対し、アクセル全開で白煙を巻き上げながら1コーナーへ進入していった[15]
    • 2010年第5戦エビスでは、特別ルールによるライン変更を効果的に利用し、最終コーナーの飛び出しで前2輪が完全に浮き上がる進入速度でドリフトし、車体の下から向こう側が見えるという当時はあり得なかったジャンピングドリフトを行い、会場を大いに沸かせた。この時、審査委員長の土屋圭市は立ち上がって実況の鈴木学とハイタッチをするほど絶賛した[16]
    • 2012年のD1セントレアラウンドにて行われた「角度番長決定戦」にて70.7°をマークし、2位の日比野哲也に10°の差をつけて優勝した。表彰式にて賞品のリーゼントカツラを着用したところ、あまりに似合っていたため会場を爆笑させた[17]
    • 2015年のD1鈴鹿では、D1GP史上最速となる234km/hの進入スピードを見せた。
  • 主に練習の相方を務めている同じD1ドライバーの箕輪慎治のマシンは、特訓のおかげで至る所が凹みだらけになっているという。
  • 憧れの人に、WRCドライバーであったコリン・マクレーを挙げている。
  • 実家が経営する保育園で、保育園バスの運転手をしていた時期がある[1]

脚注 編集

出典 編集

  1. ^ a b 白いベンツとの出会いがボクを変えた J.D.M. OPTION、2007年1月
  2. ^ OPT 159 ⑥ 2007 D1GP Rd.2 FUJI TSUISO BEST8 ① VIDEO OPTION、2017年10月20日
  3. ^ ドリフトドライバー齋藤太吾が世界初 ドリフト仕様の”ランボルギーニ・ムルシエラゴ”を完成 製作過程を収めたメイキングムービー 「World’s First Lamborghini Drift Car」が本日より公開
  4. ^ D1 GRAND PRIX 2016・齋藤太吾スポンサー契約”. WANLI Motor sports (2016年3月23日). 2016年8月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月8日閲覧。
  5. ^ D1開幕戦:斎藤太吾がワンリータイヤにデビューウインを捧げる - オートスポーツ・2016年3月27日
  6. ^ ケン・ブロック主催の『ジムカーナ・グリッド』で、初参戦の斎藤太吾がRWDクラス優勝 auto sport web、2018年12月7日
  7. ^ D1ドライバー 齋藤太吾 選手 がマイ サーキット 建設!! / D1 driver Daigo Saito builds my circuit【ENG Sub】 - VIDEO OPTION、2020年6月9日
  8. ^ 和浩, 松永 (2023年1月19日). “斎藤太吾選手がトーヨーチームに加入!TOYO TIRESブースのD1ドライバートークショーでサプライズ発表【東京オートサロン2023】”. clicccar.com. 2023年7月2日閲覧。
  9. ^ SHIBATIRE サポート選手に斎藤大吾選手が加入のお知らせ | SHIBATA R31 HOUSE 7th SKYLINE PRO SHOP”. 2023年7月2日閲覧。
  10. ^ 「あの頃キミは若かった!」D1GP選手の昔と今を比較してみた!Part.2 web option、2020年6月26日
  11. ^ 「斎藤太吾のGRヤリス開発現場を直撃取材!」FR仕様&4WD仕様の2台体勢で攻める!? web option、2020年10月27日
  12. ^ 「アンチラグシステムのすべて」愛車への導入方法からコストまで完全解説!
  13. ^ ロバンペラ、欧州ドリフト選手権参戦へ。ソルドはWRC第4戦から2戦連続出場が決定【SNSまとめ】
  14. ^ (日本語) 2010 D1GP Rd.5 EBISU TSUISO BEST16 V OPT 198 ⑤, https://www.youtube.com/watch?v=W9O-seYics0&list=PLo7tuPA_ENrP7wtrqjbtjyeV38uizDpcQ&index=5 2022年5月13日閲覧。 
  15. ^ V OPT 179 ② 2008 TOKYO DRIFT SAT TANSO VIDEO OPTION、2017年12月28日
  16. ^ 2010 D1GP Rd.5 EBISU / エビスサーキット ① D1GP MOVIE CHANNEL、2018年3月26日
  17. ^ D1マシン 角度番長決定戦 ドリ天 Vol 72 ② VIDEO OPTION、2018年5月3日

外部リンク 編集

先代
2007年
川畑真人
D1グランプリ
シリーズチャンピオン
(2008年)
次代
2009年
今村陽一
先代
2015年
川畑真人
D1グランプリ
シリーズチャンピオン
(2016年)
次代
2017年
藤野秀之