斯波 義康(しば よしやす、生没年不明)は安土桃山時代の武将。斯波義銀(津川三松)の子。武衛義康、津川義康、羽柴義康とも称する。官途は従五位下左兵衛佐、左衛門佐、侍従。

概要 編集

尾張守護の斯波義銀(義近)の子として生まれる。義銀の長男である斯波大蔵はこの義康の事と考えられ、長じて羽柴姓を賜って侍従に任官したため左衛門侍従を称した。豊臣秀吉による天正15年(1587年)の九州征伐に際し、秀吉の前備として400騎の兵を率いた「羽柴左衛門侍従殿」、翌天正16年(1588年)5月の後陽成天皇聚楽第行幸に見える「左衛門侍従義康」にそれぞれ比定されている。なお、この後史料上から活動が見られなくなるため、まもなく早世したと思われている。法名は大蔵と同一人物とするのであれば、法性院殿覚山元了とする。

参考文献 編集