新井貴浩

新井 貴浩
阪神タイガース #25
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基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 広島県広島市中区
生年月日 1977年1月30日(35歳)
身長
体重
189 cm
94 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 三塁手一塁手
プロ入り 1998年 ドラフト6位
初出場 1999年4月3日
年俸 2億5,000万円+出来高(2012年)[1]
※2012年から3年契約中
経歴(括弧内は在籍年)
国際大会
代表チーム 日本の旗 日本
五輪 2008年
WBC 2006年

新井 貴浩(あらい たかひろ、1977年1月30日 - )は、阪神タイガースに所属するプロ野球選手内野手)。日本プロ野球選手会会長。

同じ阪神タイガース所属の新井良太は実弟。

来歴

プロ入り前

広島県広島市中区江波出身。県立広島工業高校では3年夏の大会でベスト16。その後、東都大学野球連盟所属の駒澤大学に進学し、4年時に日米大学野球打率5割を記録。同年秋のリーグ戦では打点王とベストナインを獲得。

1998年のドラフト広島東洋カープに6位で指名される。大学通算2本塁打で守備にも課題があったため、周囲からは驚きをもって受け止められた。ドラフト前、新井は大学の先輩である野村謙二郎の自宅を訪れ、自らのバットスイングをアピールした[2]。この縁により、ドラフト指名の際には野村からの強い推薦があったと言われる。

プロ入り後

広島時代

入団後は「将来の4番候補」として期待され、自身もその意気込みを「空に向かって打つ」と宣言する。2年目の2000年には16本、翌年は18本と2桁本塁打を記録し、2002年は本塁打28本を記録し、オールスターにも初出場。当時新井に目をかけていた広島の松田耕平オーナーに見送られたが、その直後に松田が他界した。新井は第2戦で本塁打を放ち、松田への手向けとした。

2003年は前年オフに阪神タイガースに移籍した金本知憲の後を継ぐ形で開幕から4番に座るが、地元出身のスラッガーという重圧、また精神的主柱でもあった金本の不在は大きく、不振に陥って後半戦からはアンディ・シーツに4番を譲り、打率.236、19本塁打と成績を落とした。2004年打撃不振が続き、ボールを待ちすぎて追い込まれて打ち取られるパターンを繰り返し、打率.263、10本塁打に終わった。同年12月に結婚、披露宴の席で山本浩二に叱咤激励された。

2005年内田順三コーチの指導によるフォーム改造と積極的に打ちに行く打撃スタイルに変えたことが功を奏し、自身初の3割となる打率.305を記録し、6月28日の対阪神戦ではリチャード・ランスに並ぶ球団タイ記録の6試合連続本塁打を放ち、山本浩二の持つ球団年間本塁打記録には1本差で届かなかったが43本塁打で本塁打王を獲得。シーズン終盤は打球を右肩に受けた影響から、栗原健太と入れ替わる形で一塁手として出場する場面も見られた。オフにはFAについて「そりゃ、一つのチームで選手生活を終えるのが理想ですよ。FA?そんな選手じゃないですよ。」と発言[3]

2006年1月、これまで金本や佐々岡真司らと共に行っていた鹿児島県最福寺での護摩行合宿を単独で3泊4日かけて行った。WBC日本代表にも選ばれたが、出場機会はごくわずかであった。シーズンでは、マーティ・レオ・ブラウン監督が掲げているケースバッティングを心がけたのが実を結び、本塁打数は25本と減少したものの、前年を上回る100打点を記録した。一方で、積極的に打ちに行く打撃スタイルから四球数が少なく選球眼の悪さを指摘された。オフには「カープが好きですし、いれるもんならずっといたいですよ。このチームで優勝したい」と語った[4]

2007年は自己最多の55の四球を選び、28本塁打、102打点を記録した。しかし、ケースバッティングに徹しすぎたせいか、今度は新井の魅力であった豪快な打撃が損なわれているという指摘もなされた。守備では三塁手として最多の守備機会でリーグトップの守備率記録。シーズン終了後、北京オリンピックアジア予選兼第24回アジア野球選手権大会に4番・一塁手として出場し、日本代表の五輪出場権獲得に貢献。

前年までの発言からメディアによって「生涯赤ヘル宣言」と解釈されていたが、オフにFAを宣言。阪神の他にソフトバンクなどが獲得に乗り出したが、新井にとって絶対的な存在の金本がいる阪神が圧倒的に有利な状況にあったため、他球団は獲得を見送り、新井も阪神と2度の交渉を経て入団の意志を表明した。アジア野球選手権大会終了後に正式入団発表をし、12月11日付でFA宣言選手契約締結合意が公示された。FA宣言について「残留に傾いた日もあれば、宣言しようとした日もある。その繰り返しで焦っていた」と語り、1ヶ月間悩み抜いた末の決断だったことを明かした。優勝できるチームでプレーし、一野球人として厳しい環境に身を置いて挑戦したいという気持ちが高まり、最終的には、「残留したら、いつか後悔するかもしれない」との発想に行き着いたという[5]。その会見の席で「辛いです・・・カープが好きだから」、「喜んで出て行くわけではない」、「FAなんてなかったら良かったのに…」と涙ながらに発言した[6][5]。翌年1月2日には、広島ホームテレビの特別番組において「僕のことを野次るファンよりも僕の方がカープを愛してる」と語り、広島への愛着と未練を覗かせた。

阪神時代

2008年4月12日の対横浜戦で、寺原隼人から通算1000本安打を達成。前半戦は好調で高打率を維持し、チームの首位独走に貢献した。しかし、前半戦終了間近になって腰痛を訴え、一時登録を抹消されて以降は不振に陥った。北京五輪日本代表に選ばれ、怪我を押して4番・一塁手として全試合に先発出場。予選リーグの対韓国戦では同点2ラン本塁打を放つ活躍を見せたが、腰痛により全体として満足な打撃を行うことはできなかった。五輪期間中に症状が悪化し、帰国後、腰椎の疲労骨折であったことが発覚。シーズン成績も8本塁打、59打点と大きく落ち込んだ。守備では自身初となるゴールデングラブ賞を一塁手部門で受賞。12月には宮本慎也から日本プロ野球選手会会長職を引き継いだ。

2009年第2回WBC日本代表の一次候補者入りを打診されたが、腰の状態を理由に辞退した。シーズンでは開幕から5番・三塁手で出場するが、腰痛の影響もあってか開幕から絶不調に陥り、打率は.210~.220を推移する。交流戦になると3番や6番に打順が変更されたが、調子は上向かなかった。前年の バットを使うなど試行錯誤して8月以降は持ち直し、全試合スタメンフル出場して15本塁打、82打点を記録したが、一方でリーグワーストの20併殺打、出塁率.299、 OPS.700に終わった。

2010年4月18日の対横浜戦で金本がスタメン落ちしたことより阪神移籍後初めて4番に座った。それ以降ほぼ全ての試合で4番を打ち続け自己最高の打率、打点、盗塁を記録した。また、2年連続のシーズンフルイニング出場(全て三塁手)を記録した。オフにトレードで弟・良太が阪神に移籍し、共に同じチームでプレイすることになった。

2011年東日本大震災後、労組プロ野球選手会会長として開幕日変更の問題で奔走し続けた。その中でもオープン戦には出場したが、心身ともに疲労が重なり、20打数以上の連続無安打が続いたが、開幕日決定後は調子を戻した。開幕戦では「4番・三塁手」で出場し、同点打を放ってお立ち台に立った。4月22日に4番定着後では初のサヨナラ安打を放ち、4月19日に弟・良太もサヨナラ安打を決めており、史上初の同年に同一チーム所属の実兄弟揃ってのサヨナラ安打が実現した[7]。しかし交流戦に入ると打撃不振に陥り、さらに得点圏に走者を置いての凡退も目立ったため2度の4番剥奪を経験するも、最後は4番に戻り、リーグトップの93打点で打点王のタイトルを獲得した。オフに再取得したFA権を行使した上で新たに3年契約を結び残留を表明[1]

プレースタイル

2003年に極度の打撃不振に陥って以降フォーム作りに四苦八苦していたが、2005年にグリップの位置が定まり本塁打王を獲得し、翌年からも2年連続で100打点以上を記録した[8]。阪神移籍後は腰痛の影響もあってバッティングの形を変更し本塁打数は減少したが[9]、移籍後3年間での得点圏打率は.302を記録している他、2010年までの5年間の対左打率.334と左投手に強い。2003年と2009年、2011年にはリーグ最多の併殺打を記録するなど併殺が多いが、一塁到達4.38秒[10]、二塁到達時には9秒を切ることも珍しくなく[9]、積極的に次の塁を狙う傾向がある。

チーム事情で一塁手右翼手を守ったこともあるが、主に三塁手として起用される。プロ入り当初は守備に難があり、最多失策を記録したシーズンもあったが、2008年に一塁手としてゴールデングラブ賞を受賞した。

人物

温厚で優しい性格であり、大学の1年先輩である高橋尚成は、大学時代の新井を「打てないし、守れないが、足はそこそこ速く、素直で先輩の受けはとても良かった」と話している。

初めて買った自家用車を弟・良太に無断で持ち帰られ、それを知らないまま自動車税を納付していたという(新井良太の項も参照)。良太とは年が7つ離れていることもあって喧嘩をしたことは一度もないという[11]

藤崎マーケットのラララライ体操の物真似が得意で、「アライアライ」と少しアレンジして披露したらチームメートに大受けだったという。弟の良太も2007年にチームメートに披露している。

2006年11月23日のファン感謝デーで行われたベース投げコンテストで13m60cm(ペアの子供との総飛距離)を記録し見事優勝。コンテストの生みの親であるブラウン監督は「彼は1年間、このコンテストのことばかり考えていたのだろう」とコメントした。

実弟の良太もプロ野球選手という野球一家。2006年9月10日の中日ドラゴンズ戦では良太と顔合わせをした。両チームで実の兄弟同士が同じグランドに立つのは、1998年7月16日の山田勉(広島)・山田洋(中日)兄弟以来8年ぶりだった。また、2007年7月31日の試合では延長10回に良太が決勝適時打を放ったのをサードの守備位置から見ていたが、翌8月1日は9回裏にベンチの良太の前でサヨナラタイムリーを放っている。

夫人は乙女塾6期生出身の元アイドル・大橋裕美子で「もし男に生まれていたらまじめに野球をやる」と普段から語っていたほどの野球ファンである。なお、新井は結婚するまでは金本と同様に、選手名鑑の「好きなタイプの女性」欄に、チームメートであった西山秀二の夫人の名を書いていた。

在日韓国人であったが、日本に帰化している。帰化前の本名は朴貴弘 (박귀홍) [12]。日本国籍取得後はワールド・ベースボール・クラシック、北京オリンピックに日本代表として出場している。

金本知憲を兄貴分として長きに渡って慕っており、金本の広島在籍時からの2人のやりとりは阪神での金本と藤本敦士のやりとり同様名物化していた。自身の阪神入団が内定した際も、阪神移籍を決めた理由として「金本さんの存在が大きかった」とコメントしている。「アニキ」という愛称で最初に金本を呼んだのは新井だと言われているが、新井自身は金本のことを「アニキ」ではなく「会長」と呼んでおり、オフには同じジムで自主トレに励む。

若手のころはとにかく先輩からオモチャにされ、本塁打を打った金本に張り手を食らったり、選手会ゴルフの始球式で打球方向に立たされたりするなど枚挙にいとまがない。

2011年に発生した東日本大震災の被災地支援のため、2011年シーズンに放った本塁打1本につき10万円、打点1点につき5万円の義援金を送ると開幕前に発表した。

阪神に移籍した後も「今でもやっぱりカープの試合は気になりますよ」と古巣への愛着を口にしていたが[13]、2008年の広島市民球場での広島戦初戦では、広島ファンから新井のカープ時代のレプリカユニフォームがグラウンドに投げ込まれ、大きなブーイングを受けた[14]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1999 広島 53 105 95 14 21 2 1 7 46 14 1 1 1 0 8 0 1 31 2 .221 .288 .484 .773
2000 92 233 208 26 51 6 0 16 105 35 3 1 0 2 18 0 5 54 6 .245 .318 .505 .822
2001 124 354 313 38 89 12 0 18 155 56 2 3 1 1 36 2 3 86 11 .284 .363 .495 .858
2002 140 559 512 63 147 28 2 28 263 75 1 3 0 3 38 2 6 124 17 .287 .342 .514 .855
2003 137 537 488 58 115 20 2 19 196 62 2 1 1 3 39 4 6 120 16 .236 .299 .402 .700
2004 103 294 262 36 69 10 1 10 111 36 3 0 0 1 29 0 2 55 4 .263 .340 .424 .764
2005 142 587 541 91 165 30 1 43 326 94 3 3 1 3 37 1 5 126 16 .305 .353 .603 .956
2006 146 611 566 78 169 23 2 25 271 100 1 1 0 9 32 2 4 117 14 .299 .336 .479 .814
2007 144 619 556 84 161 22 0 28 267 102 1 2 0 7 55 2 1 136 17 .290 .351 .480 .831
2008 阪神 94 410 366 54 112 22 4 8 166 59 2 1 0 4 35 1 5 83 7 .306 .371 .454 .824
2009 144 599 558 68 145 32 1 15 224 82 4 5 0 7 28 0 6 82 20 .260 .299 .401 .700
2010 144 641 570 96 177 42 0 19 276 112 7 2 0 8 52 1 11 89 19 .311 .374 .484 .858
2011 144 602 550 68 148 25 3 17 230 93 5 0 0 7 41 2 4 106 20 .269 .321 .418 .739
通算:13年 1607 6151 5585 774 1569 274 17 253 2636 920 35 23 4 55 448 17 59 1209 169 .281 .338 .472 .810

年度別守備成績


一塁 三塁 外野
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
1999 28 136 14 2 16 .987 3 0 5 0 0 1.000 2 2 0 0 0 1.000
2000 25 146 12 0 17 1.000 39 21 45 5 3 .930 2 0 0 0 0 ----
2001 47 122 12 0 9 1.000 45 22 64 8 7 .915 37 35 3 1 1 .974
2002 72 406 41 1 40 .998 102 69 142 16 13 .930 -
2003 106 898 97 3 69 .997 37 28 49 3 5 .963 -
2004 70 512 45 3 60 .995 8 4 13 3 0 .850 -
2005 35 210 18 2 16 .991 121 82 224 21 21 .936 -
2006 1 2 0 0 0 1.000 143 84 255 19 13 .947 -
2007 1 2 0 0 0 1.000 144 105 284 12 15 .970 -
2008 91 818 59 1 75 .999 1 1 0 0 0 1.000 -
2009 - 144 86 279 10 24 .973 -
2010 - 144 83 232 16 12 .952 -
2011 29 119 7 1 9 .992 138 84 215 17 14 .946 -
通算 505 3371 305 13 311 .996 1069 669 1807 130 127 .950 41 37 3 1 1 .976

背番号

タイトル

表彰

個人記録

初記録
節目の記録
その他の記録
  日付 対戦球団 球場 相手投手 先発投手
1 1999年6月6日 中日11回戦 浜松球場 4回表 野口茂樹 1
2 6月8日 阪神9回戦 大阪ドーム 1回表 ダレル・メイ 2
3 9月7日 ヤクルト20回戦 明治神宮野球場 1回表 山部太 5
4 2000年4月21日 巨人4回戦 広島市民球場 7回裏 木村龍治 9
5 8月15日 横浜19回戦 広島市民球場 2回裏 三浦大輔 15
6 2005年5月21日 東北楽天2回戦 広島市民球場 5回裏 有銘兼久 108
7 6月1日 千葉ロッテ5回戦 千葉マリンスタジアム 9回表 小野晋吾 109
8 6月5日 オリックス6回戦 広島市民球場 7回裏 香月良太 110
9 6月8日 福岡ソフトバンク5回戦 広島市民球場 5回裏 斉藤和巳 111
10 6月15日 北海道日本ハム5回戦 札幌ドーム 9回表 ダルビッシュ有 112
11 2006年5月18日 西武2回戦 広島市民球場 1回裏 帆足和幸 148
12 2008年5月14日 広島東洋7回戦 石川県立野球場 7回表 大竹寛 198

登場曲

奇数打席

偶数打席

脚注

  1. ^ a b 阪神の新井貴、新たに3年契約=「最高の準備をして優勝を」-プロ野球・契約更改 時事ドットコム、 2011年11月25日。
  2. ^ 野村謙二郎コラム 2007年11月09日 残念です。
  3. ^ ホームラン王・新井生涯赤ヘル宣言デイリースポーツ
  4. ^ 黒田に続き新井も“コイ一筋”宣言"デイリースポーツ
  5. ^ a b 木村雅俊,落胆「カープどうなる」 新井選手移籍へ,中国新聞(2007年11月8日付),2009年8月30日閲覧
  6. ^ 「つらいです。カープが好きだから」 広島新井がFA会見で涙MSN産経ニュース 2007年11月8日
  7. ^ 同年同一球団は史上初!今度は新井兄がサヨナラ劇打 スポニチ、 2011年4月23日。
  8. ^ 小関順二、西尾典文、泉直樹 『プロ野球スカウティングレポート2008』 アスペクトムック、2008年、114-115頁。ISBN 978-4-7572-1439-2
  9. ^ a b 小関順二、西尾典文、泉直樹 『プロ野球スカウティングレポート2009』 アスペクトムック、2009年、302-303頁。ISBN 978-4-7572-1628-0
  10. ^ 小関順二、西尾典文、泉直樹 『プロ野球スカウティングレポート2010』 アスペクトムック、2010年、152-153頁。ISBN 978-4-7572-1744-7
  11. ^ 2009年8月11日MBSラジオでのインタビューにて
  12. ^ 新井貴浩君 プロ野球へ(チョアヨ 第8号)
  13. ^ http://www.daily.co.jp/baseball/2008/03/06/0000863034.shtml(リンク切れ)
  14. ^ 中国新聞朝刊2008年4月2日付より

関連項目