新庄節
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概要 編集
最上郡鮭川村の羽根沢地区で草刈りの際に甚句として歌われていた『羽根沢節』が新庄の遊廓万場町に座敷唄となり、この曲の原型となった[1]。1914年(大正3年)、新庄の劇場・三吉座のこけら落としで歌舞伎役者の尾上多賀之丞が来演したのを機会に、改作と振付を依頼して完成し、それが現在のものとなった[1]。
主な歌詞 編集
- ハアー キタサ あの山高くて 新庄が見えぬ ハ キタサ 新庄恋しや 山憎や ハ キタサ
- ハアー キタサ 馬子よ叱るなのどかじゃないか ハ キタサ 馬の眠いも 無理はない ハ キタサ
- ハアー キタサ 猿羽根山越え 舟形越えて ハ キタサ 逢いに来たぞや 万場町に ハ キタサ