新日本主義(しんにほんしゅぎ/しんにっぽんしゅぎ)は、思想の一種。

概要 編集

日本では、1933年以降増加した日本精神論[1]や日本主義を説く図書と論説に対抗して、自らを運動の正当性を主張するために明倫会が「新日本主義」という名称を用いて、大衆の受け皿となろうとした[2]

芸術の分野では、1930年に設立された独立美術協会において、児島善三郎が主導権を握る形で、日本画の画材を油彩画に混ぜて使ったり、主観的・表現主義的な具象絵画を描いたり、日本風のモチーフを追求したりするなどの発展を見せ、これを「新日本主義」という[3][4]。他に新日本主義の画家として川口軌外や福沢一郎などの名前が挙げられる[5]

脚注 編集

  1. ^ 精神文化学会『日本精神論叢』明善社、1941年。doi:10.11501/1038424NCID BB25508232全国書誌番号:46001250 
    田中康二「日本精神論の敗戦―宣長国学の表象をめぐって(その二)」『皇學館大学紀要』第59巻、皇學館大学、2021年、52-95頁、ISSN 1883-6984NAID 120007000944 
  2. ^ 松尾理也「昭和戦前期“二流紙”の日本主義化プロセス : 『大阪時事新報』を例に」『マス・コミュニケーション研究』第94巻、日本マス・コミュニケーション学会、2019年1月、113-130頁、doi:10.24460/mscom.94.0_113ISSN 13411306NAID 130007660875 
  3. ^ 独立美術協会|現代美術用語辞典2.0”. 2021年7月17日閲覧。
  4. ^ 崔在赫「交差する満洲イメージの検証:満洲国における民芸運動を中心に (「美術に関する調査研究の助成」研究報告) : (2009年度助成)」『鹿島美術財団年報』別冊第27号、鹿島美術財団、2009年、181-191頁、CRID 1524232505407914368 
    崔在爀「「満洲美術」研究 : 交差する満洲イメージの検証」東京藝術大学。 
  5. ^ 1930年代における「日本絵画の成熟」について”. 三重県立美術館. 2021年7月17日閲覧。

関連文献 編集