新高型防護巡洋艦(にいたかがたぼうごじゅんようかん)とは、大日本帝国海軍が建造した防護巡洋艦である。新高対馬の2隻が建造された。日露戦争および第一次世界大戦で活躍した。

新高型防護巡洋艦

1918年時の「新高」
艦級概観
艦種 防護巡洋艦
艦名 山名(新高) 島名(対馬)
前級 笠置型
次級 音羽
性能諸元
排水量 常備:3,366t
全長 102.01m(垂線間長)
全幅 13.44m
吃水 4.92m
機関 石炭専焼罐×16基
蒸気機関×2基、2軸推進、9,400hp馬力
燃料 石炭600t
最大速力 20.0ノット
航続距離
乗員 320名
兵装 40口径152mm単装速射砲6門
40口径76mm単装速射砲10門
47mm単装砲4門
装甲 甲板傾斜部:76mm
司令塔:100mm

概要 編集

国産の防護巡洋艦である。新高型以降の巡洋艦は国産化されることになる。

従来の艦隊型巡洋艦とは違い、当初から偵察任務型巡洋艦として設計されたため、武装(雷装が無い)・速力は見劣りするが、堅牢で実用的な面から大いに成功した艦であるといえる。

日露戦争開始間際であったために突貫工事で建造され、戦争中は黄海海戦日本海海戦で敵国軍艦を撃沈するなど華々しい戦果を挙げ、第一次世界大戦においては連合国艦艇として長躯アフリカ大陸沿岸まで遠征した。

同型艦 編集

 
新高型の艦型と装甲・兵装配置
新高型巡洋艦一番艦。横須賀工廠にて建造。艦名は当時日本領であった台湾新高山(現・玉山)に由来。
日露戦争に従軍し仁川沖海戦帝政ロシアの巡洋艦と砲艦を撃沈、続く日本海海戦ではロシア残存艦隊を追撃し巡洋艦と駆逐艦を撃沈した。第一次世界大戦では南アフリカケープタウンまで遠征する。大戦後の1922年8月26日、北洋警備で沿海州付近に停泊していたところ、北上してきた熱帯性低気圧の暴風雨に巻き込まれボイラー罐に浸水、右舷に傾斜転覆し沈没した。これにより生存者16名を除く327名が殉難する悲劇となった。
新高型巡洋艦二番艦。呉工廠にて建造。艦名は日本と朝鮮半島との交易の要衝であった対馬に由来。
新高とともに日露戦争・第一次世界大戦そしてシベリア出兵にも参加した。日本海海戦ではロシア残存艦隊の追撃に加わりロシア巡洋艦1隻を撃沈する。大戦後は標的演習艦として運用され、外板の腐食と演習砲撃の直撃弾で沈没した。


参考文献 編集

  • 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第5巻 重巡Ⅰ』(光人社、1989年) ISBN 4-7698-0455-5
  • 『造艦技術の全貌』興洋社、昭和27年。

関連項目 編集

外部リンク 編集

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