日下部 三九郎(くさかべ さんくろう、1870年9月16日明治3年8月21日) - ?)は、日本外交官東京府平民。

経歴・人物 編集

旧暦明治3年8月21日(1870年9月16日)、伊勢国桑名(現:三重県桑名市)生まれ。共立学校(現:開成中学校・高等学校)、第一高等中学校を経て、1894年6月に帝国大学法科大学卒業[1]

1894年9月に外交官補となった後[1][2]、領事官補、在スウェーデンノルウェー臨時代理公使、在イタリア臨時代理公使などを経て、1906年1月より公使館一等書記官・大使館一等書記官、1908年1月より関東都督府外事総長を務めた後、1909年2月に休職となる[3]。1915年から1918年時点では福岡県にあった堀鉱業の監査役・取締役を務めていた[4][5]

妻の日下部米鶴江副廉蔵(東亜煙草取締役)の娘。廉蔵は大隈美登(大隈重信の妻)の弟である。

脚注 編集

  1. ^ a b 資料・『太陽』第一巻 執筆者一覧」『日本研究』第13号、京都 : 人間文化研究機構国際日本文化研究センター、1996年、155-167、doi:10.15055/00006200ISSN 0915-0900国立国会図書館書誌ID:3977735 
  2. ^ 叙位裁可書・明治二十七年・叙位巻八 陸軍砲兵中佐伊地知季清外七十九名進階ノ件
  3. ^ 官僚の経歴を見る > 日下部三九郎 - アジア歴史資料センター
  4. ^ 日下部三九郞 (第4版) - 『人事興信録』データベース
  5. ^ 日本鉱業名鑑』(鉱山懇話会、1918年)p.164

外部リンク 編集