日本三忠臣(にほんさんちゅうしん)は、勤皇思想が広まった江戸時代の儒学者安東省菴によって忠臣とされた以下の3人の人物。安東著の『三忠伝』に記述がみられる(国文学研究資料館のサイトで閲覧可)。

三忠臣 編集

氏名 出生年 死亡年
くすのき/楠木正成  | 1294年 1336年
たいら/平重盛   1138年 1179年
までのこうじ/万里小路藤房   1296年 不詳

概略 編集

  • 平重盛勤皇思想が広まった江戸時代後期になって、重盛は後白河法皇を庇って父・清盛を諌め、そのため命をすり減らしたという伝承から高く評価されるようになった。
  • 万里小路藤房は流布本巻13「藤房卿遁世の事」[1]において、藤房は武家の棟梁の出現を危惧し、再三諫言を繰り返すも、天皇に聞き入れられないまま、元弘3年の翌年(1334年)3月11日に天皇の八幡行幸に同行した後、岩倉で不二坊という僧のもと出家。天皇は慌てて宣房に命じて藤房を召還させたが、既に行方を晦ましていたため、再会は叶わなかったという記述がある。

脚注 編集

関連項目 編集