日本武尊と地名
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このページ名「日本武尊と地名」は暫定的なものです。(2019年9月) |
ヤマトタケルに関する伝説・伝承にまつわる地名について列挙する。
静岡県 編集
- 静岡市
- 焼津市
- 焼津市#地理を参照。
愛知県 編集
- 春日井市
- 春日井市の地名も参照。[1][2]
- 内津町
- 内々神社も参照。日本武尊は、熱田の宮で、尾張の国の祖といわれていた健稲種命を副将軍にし、東国の平定にでる。平定が終わった帰り道、尊は甲府から信州長野、美濃釜戸・池田を通って内津峠にさしかかった時、大変な事が起こりました。健稲種命が帰り道、駿河の海で船から落ち急死されたと久米八原が早馬で知らせてきた。これを聞いた尊は、熱田での再会を約束した久米八原のことを思い、悲しみ「うつつかな、うつつかな(本当なのか信じられない)」となげき、その久米八原の霊を祀ったのが内々神社の初めと伝えられており、内々神社のある町を船や人の集まる意味の津を下につけ内津町としたと言われている[3][4]。
- 西尾町
- 内津から馬を進め西尾の地までやってきたとき、今一度副将軍のことを、思い馬を振り替えしたとき頭が東、尾が西に向いたので西尾と呼ばれたとされている[5][6]。
- 明知町
- 西尾町からさらに馬を進め、明知の地を通りかかった時、夜が明けあたりを知ることができるようになったことから、明知と呼ばれるようになったといわれている[7][8]。
- 神屋町
- 熱田への帰路、南に馬を進めるうち日が暮れてしまい、夜をしのぐため小屋で泊まったそうだ。当時、王家は神と崇められており、その神である日本武尊が泊まった小屋があると神屋と呼ばれるようになった[9][10]。
脚注 編集
参考文献 編集
- 『春日井の地名』春日井郷土史研究会、1977年
- 『春日井の地名物語』伊藤 浩,1987年
- 『春日井のむかし話 上』春日井郷土史研究会、2014年
- 『郷土誌かすがい第52号』春日井市教育委員会、1998年
- 『春日井風土記』春日井市教育委員会、1989年