日産・プレジデント

日産自動車のセダン型乗用車

プレジデントPresident)は、かつて日産自動車が製造・販売していた、高級セダンである。

日産・プレジデント
4代目 プレジデント
後期型(2009年1月-2010年8月)
概要
別名 日産・シーマ(4代目)
販売期間 1965年-2010年
ボディ
ボディタイプ 4ドアセダン
エンジン位置 フロント
駆動方式 後輪駆動
系譜
先代 セドリックスペシャル(事実上)
後継 5代目シーマに統合
テンプレートを表示

1965年10月に初代モデルが発売され、以来2010年8月を以って4代目モデルが生産・販売終了[1]となるまでの間、主に法人要人向けの最上級車(フラグシップカー)として、44年10ヶ月に渡り製造・販売された。

概要 編集

主に法人向け・ハイヤー向けの大型乗用車であり、日産自動車のフラグシップモデルであった。主に日本国内における官公庁企業などでの公用車や社用車(役員車)等としての使用が想定されており、トヨタ自動車の「センチュリー」が競合モデルとなっていた。主として日本国内向けの車であったが、一方で1980年代後半から香港やシンガポールなど東南アジア地域のごく一部で輸出販売をしていた。

専用のボディと機構を持っていた初代、2代目モデルに対して、1990年(平成2年)に発売された3代目は『日産・インフィニティQ45(初代)』、2003年(平成15年)に発売された4代目は『シーマ(4代目)/インフィニティ・Q45(3代目)』の派生モデルとなっていた。4代目モデルが最新の安全基準を満たさなくなったことを機に、2010年(平成22年)8月をもって生産・販売を終了した[1]

車名は英語で「大統領」「総裁」「頭取」「社長」「統率者」といった意味があることから、日本の政治経済を動かす人物が乗るのにふさわしい車、という思いを込めて命名された。

取り扱い販売会社は全国の日産店(ブルーバード販売会社)と、東京・大阪地区のモーター店(ローレル販売会社)だった。

初代 150型(1965年 - 1973年) 編集

日産・プレジデント(初代)
150型
 
150型
 
150型
概要
販売期間 1965年10月 - 1973年
ボディ
乗車定員 5名
ボディタイプ 4ドアセダン
エンジン位置 フロント
駆動方式 後輪駆動
パワートレイン
エンジン Y40型 3,988cc V型8気筒 OHV 180PS
H30型 2,974cc 直列6気筒 OHV 125PS
変速機 3速コラムAT
サスペンション
ダブルウィッシュボーン式
リーフ式
車両寸法
ホイールベース 2,850 mm
全長 5,045 mm
全幅 1,795 mm
全高 1,460 mm
車両重量 1,600 kg(タイプA)
その他
ブレーキ 前:ツー・リーディング
後:リーディング・トレーリング
系譜
先代 日産・セドリックスペシャル
テンプレートを表示

セドリックスペシャル(50型、1963年2月登場)の後継車種であり、当時の国産乗用車の中で車体、エンジンともに最大サイズであった。搭載エンジンはY40型4.0L V型8気筒OHVとH30型直列3.0L 6気筒OHVの2種類。

同時代のアメリカ製大型乗用車と軌を一にする水平基調を元にしたデザインは、元々2代目セドリック130型用に日産社内デザイナーが計画していたもので、2代目セドリックが会社上層部の意向によりピニンファリーナによる欧州風デザインに差し替えられてしまったため、サイズ拡大のリデザインを受けてプレジデントに転用されたものである。

グレードはタイプA・B・C・Dの4段階でタイプDが最高級仕様となり、その価格は当時としては突出した高額の300万円であった[注釈 1]。タイプA(MT車)・B(AT車)にH30型、タイプC・DにY40型エンジンが搭載され、Y40型搭載車にはフロントホイールアーチ後部、及びトランクリッド後端に「V8」のエンブレムが付加されていた。フェンダーミラーには国産市販車初のワイヤー式リモコンミラーが採用された。また国産乗用車初の対向ピストン型ブレーキキャリパーを搭載したのも当車である。

当時の佐藤栄作首相の公用車としても納入された[注釈 2]。ライバルとなるトヨタ・センチュリーは2年後の登場だったこともあり、販売台数はセンチュリーの2倍を記録した。

  • 1965年10月21日 - 発売
エンジン グレード フロントシート リアシート 装備
Y40型 D仕様 ・セパレート パワーリクライニング

・セパレート 手動リクライニング

・セミセパレートベンチ 手動リクライニング

セミセパレートベンチ 2ウェイパワー クーラー

パワーウィンド

C仕様 ・ベンチシート

(オプション)

・セパレート パワーリクライニング

・セパレート 手動リクライニング

・セミセパレートベンチ 手動リクライニング

・ベンチシート

(オプション)

・セミセパレートベンチ 2ウェイパワー

・セミセパレートベンチ

H30型 B仕様 ・ベンチシート

(オプション)

・セパレート 手動リクライニング

・セミセパレートベンチ 手動リクライニング

・ベンチシート

(オプション)

・セミセパレートベンチ

A仕様 ・ベンチシート

(オプション)

・セパレート 手動リクライニング

・セミセパレートベンチ 手動リクライニング

・ベンチシート

(オプション)

・セミセパレート ベンチ

  • 1968年5月 - 警視庁第八方面交通機動隊にパトロールカーを納入。中央自動車道で速度違反取締車として活躍した。
  • 1968年10月 - 一部改良。ボディカラーにシルバーとホワイトを追加、各種安全装備の追加など。
  • 1971年10月 - マイナーチェンジ。ATがボルグワーナー製から日産製に変更。外観ではリアビューの形状、フェンダーミラー形状変更、ボンネットの左右端部の見切り用飾りも形状変更。グレードはタイプA・B・Dの3段階に。
エンジン グレード フロントシート リヤシート 主な装備
Y40型 Dタイプ ・セパレート パワーリクライニング

・セパレート 手動リクライニング ・セミセパレート 手動リクライニング

・セミセパレートベンチ 2ウェイパワー

・セミセパレートベンチ

クーラー

▲オプション

パワーウィンド

H30型 Bタイプ ・セパレート 手動リクライニング

・セミセパレート 手動リクライニング

・ベンチシート

・セミセパレートベンチ

・ベンチシート

▲オプション

クーラー

Aタイプ ・セパレート 手動リクライニング

・セミセパレート 手動リクライニング

・ベンチシート

・セミセパレートベンチ

・ベンチシート

▲オプション

クーラー

2代目 250型(1973年 - 1990年) 編集

日産・プレジデント(2代目)
250型
 
250型前期
 
250型後期(ソブリンVIP)
 
250型後期(ソブリンVIP)リア
概要
販売期間 1973年8月 - 1990年
ボディ
乗車定員 5名
ボディタイプ 4ドアセダン
エンジン位置 フロント
駆動方式 後輪駆動
パワートレイン
エンジン Y44型 4,414cc V型8気筒 OHV
H30型 2,974cc 直列6気筒 OHV 125PS
変速機 3速コラムAT
サスペンション
ダブルウィッシュボーン式
リーフ式
車両寸法
ホイールベース 2,850 mm
全長 5,280 mm
全幅 1,830 mm
全高 1,460 mm
車両重量 1,600 kg(タイプA)
その他
ブレーキ 前:ディスク
後:リーディング・トレーリング
テンプレートを表示

当時の資料ではフルモデルチェンジと銘打たれてはいるが、基本の車台とキャビン部のエクステリアデザイン等はほぼ不変[注釈 3]であり、フルモデルチェンジと言うよりも「フルモデルチェンジ寄りのビッグマイナーチェンジ」[注釈 4]である。当時は3ナンバー車の税金が非常に高額[注釈 5]であり、当然市場も限定されていたため、少ない費用で新型車の開発を余儀なくされていた。そこで250型は150型の設計の多くを踏襲し、部分的な設計変更でコストを抑えて開発された。全てが新規設計ではないが、新型車として運輸省(当時)の認可を受けているため、法律的にはモデルチェンジである。 新型車としての変更点はフロントマスクとリアエンドを中心とした大幅なデザインの変更と全長の200mm以上の延長である、派手で押し出しの強い即物的スタイリングとなった。また全長延長分のそのほとんどは150型時代に不評だったトランクルーム容量の拡大に費やされ、結果リアオーバーハングの増大へとつながっている。 アメ車並の排気量も相まって、一層アメリカンスタイルが強まったデザインになった。

搭載エンジンはY44型4.4LV型8気筒OHV[注釈 6]と、150型から引き継いだH30型3.0L 直列6気筒OHVの2種類。

  • 1973年8月29日 - 発売開始。グレードはY44型搭載車のタイプDとH30型搭載車のタイプA(MT車)・B(AT車)の3段階となった。
搭載エンジン グレード シート 主な装備
Y44型 タイプD デュアルシート D-S
D-1 パワーキット・マルチエアコン
D-2 パワーキット・マルチエアコン・E.L.Aブレーキ装置
セパレートシート D-3 パワーキット・マルチエアコン
D-4 パワーキット・マルチエアコン・E.L.Aブレーキ装置
電動セパレートシート D-5 パワーキット・マルチエアコン
D-6 パワーシート・マルチエアコン・E.L.Aブレーキ装置
H30型 タイプB デュアルシート B-1
B-2 マルチエアコン
B-3 パワーキット
B-4 パワーキット・マルチエアコン
セパレートシート B-5
B-6 マルチエアコン
B-7 パワーキット
B-8 パワーキット・マルチエアコン
タイプA デュアルシート A-1
A-2 マルチエアコン
セパレートシート A-3
A-4 マルチエアコン
  • 1975年4月 - マイナーチェンジ。昭和50年排出ガス規制適合。型式は当初昭和50年排出ガス規制適合も単にH250型だったが制度変更によりA-H250型となる。搭載エンジンがEGI化されたY44E型エンジン1種類のみとなり、グレード構成もタイプD1種類のみで装備の組合せで9段階となる。日産車初のデジタル時計(ドラム式)を装備。外観も「V8」エンブレムが「V8E」に変更、後部に「NAPS」エンブレム追加により「PRESIDENT」エンブレムが右側から左側に移設した程度にとどまる。
シート グレード 主な装備
デュアルシート D-1 ジャージ地シート
D-2 ジャージ地シート・マルチエアコン
D-4 朱子織りナイロン地シート・パワーキット・マルチエアコン
D-5 朱子織りナイロン地シート・パワーキット・マルチエアコン・E.L.Aブレーキ装置
セパレートシート D-3 ジャージ地シート・マルチエアコン
D-6 朱子織りナイロン地シート・パワーキット・マルチエアコン
D-7 朱子織りナイロン地シート・パワーキット・マルチエアコン・E.L.Aブレーキ装置
電動セパレートシート D-8 朱子織りナイロン地シート・パワーキット・マルチエアコン
D-9 朱子織りナイロン地シート・パワーキット・マルチエアコン・E.L.Aブレーキ装置・ELメーター照明
  • 1975年12月 - 一部改良。トランクリッドハンドル新設。
  • 1976年7月 - マイナーチェンジ。昭和51年排出ガス規制適合。型式がC-H251型となった。
  • 1977年8月 - マイナーチェンジ。昭和53年排出ガス規制適合により型式がE-H252型となった。最高級グレード「ソブリン」追加。150型に設定されていた後席パワーシートが採用されている。グレードは「ソブリン」(セパレートシート)・「タイプD」(電動セパレートシート・セパレートシート・デュアルシート)・「タイプC」(デュアルシート)の3段階となった。外観ではラジエーターグリルの意匠変更など。デュアルエアコンが全車に標準装備される。
  • 1980年3月 - 一部改良。カセット付AM/FMマルチラジオ、子時計追加。
  • 1982年11月 - マイナーチェンジ。ラジエーターグリルの意匠変更、角型4灯ヘッドランプの採用の他、内装ではインストゥルメンタルパネルを一新。ガソリンタンクの容量を75リットルから95リットルへと拡大し、リアサスペンションをパナールロッド付4リンク+コイルスプリングに変更[注釈 7]。その他、装備・仕様を向上。
  • 1984年6月 - 一部改良。トランクロックシステムをキーを左に回しておくと室内から開かないように変更、パワーウインドーにロックスイッチ追加。
    • 12月 - 一部改良。全車にフロントスポットランプを1灯式から左右独立して使用できる2灯式に変更、バイアスタイヤの設定を廃止。ソブリン・タイプDのオーディオを番組予約機能付AM/FM電子チューナー(FMダイバーシティ受信システム付)ラジオ+ドルビーNR・メタル クロムテープ対応機能付カセットデッキに変更。
  • 1985年1月 - 「ソブリン」を超える最高級グレード「ソブリンVIP」(電動セパレートシート・デュアルシート)追加。既存のソブリンから強化された項目は後席回りが中心。世界初のリヤシート・エアサポート機構が左側の後席に設定。助手席の背もたれの中央を後ろに倒して、そこに足を延ばせるリラックスシートの採用(セパレートシート車)。後席の読書灯に日本で初めてハロゲンランプを採用。その他、リア断熱ガラス、後席内蔵型ヒーターなど装備を向上。
  • 1986年3月 - 一部改良。フェンダーミラーの大型化、後席可動式ヘッドレスト追加。「NISSAN」エンブレムの書体変更。
  • 1988年11月 - 一部改良。タイプD、タイプCのホイールカバーをソブリンと同一のものに変更。
  • 1989年3月 - シフトロック追加。
  • 1990年1月 - カタログ等のエンジン出力表示をネット表示に変更。

販売終了前月までの新車登録台数の累計は3万3128台[2]

3代目 JG50型(1990年 - 2003年) 編集

日産・プレジデント(3代目)
JG50型
 
1990年式 前期型 ベースグレード
 
2002年式
 
2002年式 後期型 ソブリン
概要
販売期間 1990年 - 2003年
ボディ
乗車定員 5名
ボディタイプ 4ドアセダン
エンジン位置 フロント
駆動方式 後輪駆動
パワートレイン
エンジン VH45DE型 4,494cc V型8気筒
変速機 4速フロアAT
サスペンション
油圧アクティブサスペンション(マルチリンク式バネサス仕様もある)
油圧アクティブサスペンション(マルチリンク式バネサス仕様もある)
車両寸法
ホイールベース 3030 mm(ロング)
全長 5,225 mm(ロング)
全幅 1,830 mm
全高 1,425 mm
車両重量 2000 kg(ロングの油圧アクティブサス車に限る)
その他
ブレーキ 総輪ベンチレーテッド・ディスク
販売終了前月までの新車登録台数の累計 2万244台[3]
テンプレートを表示

発売前年の1989年11月に登場した「日産・インフィニティQ45(G50型)」をベースに、ラジエーターグリルを持つ専用フロントマスクなど外観を変更した、インフィニティQ45の上級車種として設定された。

搭載エンジンはVH45DE型4.5L V型8気筒DOHC。インフィニティQ45と同エンジンであるが、法人向けとしての性格上、特性が変更されている。

発売当初は、油圧アクティブサスペンションを装着し、かつインフィニティQ45からホイールベースを延長した、ベースグレードのみであった。1992年2月には、インフィニティQ45と同じホイールベースを持つ、プレジデントJS(PG50型)が登場した。

この型から、生産工場が日産の栃木工場へ移管された。アクティブサス装備車の型式はJHGまたはPHG、バネサスはJGまたはPGとなる。

前期、中期、後期問わず、コノリーレザー仕様のオプション(約90万円)が存在した。フロアマットについてはオプションで段通マット、ペルシャマット(約30万円)が用意された。

歴代プレジデント唯一のテレビCMが制作され、発売初期と1996年(日産が提供していたフジテレビ「ラテン専科」内[4])に放送された。

  • 1989年10月 - JG50型プレジデントを東京モーターショーに出展。
  • 1990年10月 - JG50型にフルモデルチェンジ。
  • 1992年2月 - グレード追加。新たに油圧アクティブサスペンションのV仕様、マルチリンクサスペンションのD仕様が用意された。さらに、公用・社用車ではなく個人購買層を意識し、インフィニティQ45と同じホイールベースを持つ「プレジデントJS(PG50型)」が登場。
グレード サスペンション シート生地 主な装備
標準仕様 油圧アクティブサスペンション シルクウール リヤパワーシート・フルフラットシート

後席専用テレビ・助手席前倒式ヘッドレスト

(オプション)本革シート・コノリーレザーシート

V仕様 油圧アクティブサスペンション シルクウール リヤパワーシート・フルフラットシート

(オプション)本革シート

D仕様 マルチリンクサスペンション ウール リヤパワーシート・フルフラットシート

(オプション)後席専用テレビ

JS・タイプG 油圧アクティブサスペンション シルクウール リヤパワーシート・助手席前倒式ヘッドレスト

電動パネルサンルーフ

(オプション)本革・コノリーレザーシート・V-TCS

JS・タイプX 油圧アクティブサスペンション ウール 電動パネルサンルーフ
JS・タイプS マルチリンクサスペンション ウール 電動パネルサンルーフ
  • 1993年 - オーテックジャパンの手による「ロイヤルリムジン」が追加。グレードはロイヤルセレクションIとセンターパーテーション装着のロイヤルセレクションII。生産は高田工業が受託していた。
    • 4月 - 左側後部座席用のエアバッグ装着車を設定。これは助手席の背面にエアバッグシステムを装着し、後部座席の搭乗者を助けるというもの。そのため、助手席シートはスライド量が少なくなり、リクライニング機能もなくなる。同時に助手席エアバッグもオプション設定されたが、後席エアバッグとの同時装着はできなかった。標準仕様とJSタイプGにのみ設定されていた助手席電動可倒式ヘッドレストが全車標準になった。
  • 1994年5月 - マイナーチェンジ。外観ではフォグライトやメッキモールの採用、フロントグリルやリヤコンビネーションランプの意匠変更が主な変更。また、内装では新たに木目調パネルが採用された一方、コスト削減目的で前期型に標準装備されたシルクウールシート及び、ウールモケットシートが廃止されて、全車ジャガードモケットシートにグレードダウンされた。250型に設定されていた最高級グレード「ソブリン」が復活。V仕様は廃止され、D仕様はタイプDに名称変更された。JSタイプXが廃止され、タイプLが設定された。
  • 1995年11月 - 一部改良。プレジデントJSにAVシステムをオプション設定。
  • 1996年6月 - オーテックジャパンの手による「リラックスシート」が追加。装備仕様は、ベースとなる「プレジデント」「プレジデントJS」と同一であるが、助手席電動前倒れヘッドレストおよび助手席肩部スイッチが非装着となる。また、後席SRSエアバッグシステム(左席)のメーカーオプションの設定はない。
  • 1997年10月 - 一部改良。シートのデザイン変更、グリーンガラス、後席中折れシート、後席シートバイブレーター、リラックスシートの採用。JSタイプSが廃止された。
  • 1998年12月 - マイナーチェンジ。各メッキパーツの手直し(ラジエターグリルの大型化等)が行われ、キセノンヘッドランプが装備された。
    • ナビゲーションシステムも刷新され、コンパスリンク対応のマルチAVシステムとなった。(オプション設定)
    • マルチAVシステム搭載車には、後席用フリップダウンモニターが装着された。ソブリンには250型に設定されていた後席用カセットデッキも装着される。
    • また、後席エアバッグが廃止され、代わりにY33型シーマにも採用されていた後席サイドエアバッグを全車標準装備とした。
  • 2002年8月[5] - JHG50型、JG50型、PHG50型、PG50型の全モデルが生産終了。在庫対応分のみの販売となる。
  • 2003年9月[6] - 在庫対応分がすべて完売し販売終了。

4代目 PGF50型(2003年 - 2010年) 編集

日産・プレジデント(4代目)
PGF50型
 
前期型(2003年10月-2009年1月)
 
後期型(2009年1月-2010年8月)
 
車内
概要
販売期間 2003年10月 - 2010年8月(製造終了)
ボディ
乗車定員 4-5名
ボディタイプ 4ドアセダン
エンジン位置 フロント
駆動方式 後輪駆動
パワートレイン
エンジン VK45DE型 4,494cc V型8気筒 280PS
変速機 5AT
サスペンション
独立懸架ストラット式
独立懸架マルチリンク式
車両寸法
ホイールベース 2,870 mm
全長 5,060 mm
全幅 1,845 mm
全高 1,500 mm
車両重量 1,890 kg
その他
ブレーキ 総輪ベンチレーテッド・ディスク
販売期間中の新車登録台数の累計 1798台[7]
系譜
後継 5代目シーマに統合
テンプレートを表示

2001年1月に登場したF50型シーマとコンポーネンツを共有する上級車種として登場。エンジンもシーマと同一のVK45DE型 4.5L V型8気筒DOHC(280PS)を搭載する。外見上の違いとしてはフロントグリル、フードマスコット、リアのナンバープレート位置など。内装では遮音材が厚くなっており、静音性が向上している。

グレードは「ソブリン5人乗り」と「ソブリン4人乗り」の2種類のみ。4人乗りにはセダンとしては初めて助手席格納シートが装備された(5人乗りにもオプション設定)。また、後席VIPパックとしてバイブレーター付きリラックスシート、後席テーブル、後席乗降グリップがセットで装備される。このような装備の差で4人乗りは5人乗りより約100万円高い。

後席モニター(アームレストにはビデオ入力装備)、後席DVDプレーヤー、ボーズ製8スピーカーサウンドシステム、後席コントロールスイッチなど他の車でオプション設定される様な装備が全て標準装備されている。後席VIPパック装着車は後席を優先したものなので、助手席パワーオットマン機構や助手席アクティブヘッドレストは装備されない。「ソブリン」エンブレムは先代から唯一流用されたパーツであり、フェンダーにグレードエンブレムが装備される日本車は、近年のモデルではプレジデントのみである。

  • 2003年10月 - PGF50型にフルモデルチェンジ[8]
  • 2005年4月 - 国土交通省基準「平成17年基準排出ガス50%低減レベル(U-LEV)」に適合する。
  • 2008年2月 - シーマとともにマイナーチェンジ[9]。本革の車検証ケースが標準装備となり、ナビゲーションがカーウイングスに対応。またボディカラーに新色が追加され、エクストレイルフーガ・シーマにも採用されたスクラッチシールド塗装を全色に設定。
  • 2009年1月14日 - 一部改良。シーマと同様にフードオーナメントが隆起タイプから埋め込みタイプに変更される。
  • 2010年6月[10] - 生産終了。以降は在庫対応分のみの販売となる。
  • 2010年8月 - シーマとともに販売を終了し、ウェブカタログからも削除された。これにより、日産の日本国内における販売ラインナップからV型8気筒エンジン搭載車が消滅した。後継車はなく[1]、法人向け大型高級乗用車は3代目エルグランドVIPに集約された。日産のフラッグシップの座は既存の2代目フーガ(Y51型)が一時的に担い、2012年に登場する5代目シーマ(HGY51型)がさらにその座を引き継ぐこととなった[11]

日本国外での実績 編集

トヨタ・センチュリーと同様に日本国内専用車として販売してきたが、250型以降は香港を皮切りにタイ・マレーシア・シンガポール等、左側通行/右ハンドル方式を採用しているアジア諸国に販売された。また、中古車としてオセアニアへ輸出されたものも存在する。

中華圏における中文は「日産首領[要出典]」あるいは「日産総統」(繁体字: 日產總統[12])である。中華人民共和国の最高指導者である鄧小平は訪日した際に日産から特別に寄贈されており[13]、香港の大富豪である李嘉誠は社用車として愛用したことで知られる[14][15][16]

脚注 編集

出典 編集

  1. ^ a b c “日産「プレジデント」「シーマ」、8月末で生産終了”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2010年5月26日). https://www.nikkei.com/article/DGXNASDD260BT_W0A520C1000000/ 
  2. ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第29号13ページより。
  3. ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第26号7ページより。
  4. ^ 日産 マンボカーパラダイス”. Nahanのブログ (2018年12月15日). 2023年7月3日閲覧。
  5. ^ プレジデント(1990年10月~2002年8月)”. トヨタ自動車株式会社 (2020年1月19日). 2020年1月19日閲覧。
  6. ^ プレジデント(日産)1990年10月~2003年9月生産モデルのカタログ”. リクルート株式会社 (2020年1月19日). 2020年1月19日閲覧。
  7. ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第83号7ページより。
  8. ^ 新型「プレジデント」を発売』(プレスリリース)日産自動車株式会社、2003年10月7日https://global.nissannews.com/ja-JP/releases/release-d8a018c56e9151d589f37d1865f6594e-031007-022021年12月9日閲覧 
  9. ^ 「シーマ」、「プレジデント」を一部改良』(プレスリリース)日産自動車株式会社、2008年2月7日https://global.nissannews.com/ja-JP/releases/release-7ad94e1e6f5fe3129454aed5a9b7a00e-080207-01-j2021年12月9日閲覧 
  10. ^ プレジデント(日産)のカタログ”. リクルート株式会社 (2020年1月19日). 2020年1月19日閲覧。
  11. ^ モーターファン別冊 ニューモデル速報 第434弾 『新型フーガのすべて』 三栄書房、2010年1月 ISBN 978-4-7796-0800-1
  12. ^ 李嘉誠大全集第69章富豪榜樣——從逃難少年到世人楷模(4)”. 雲台書屋. 2017年12月18日閲覧。
  13. ^ “邓小平访问日本求长生不老药”. 多維新聞網. (2017年7月5日). http://culture.dwnews.com/history/news/2017-07-05/59823718.html 2018年12月25日閲覧。 
  14. ^ 李嘉诚偏爱日产总统型房车”. 捜狐 (2006年2月28日). 2017年12月18日閲覧。
  15. ^ 李嘉诚十多年前就用柴油车”. 新浪 (2006年2月28日). 2017年12月18日閲覧。
  16. ^ 中国10大名人、富豪坐拥车榜揭秘”. 中国網 (2007年8月3日). 2017年12月18日閲覧。

注釈 編集

  1. ^ プレジデント発売当時(1965年10月)のトヨタの乗用車最高価格車は、VG10型クラウン・エイトの165万円であった。大衆車では翌年発売されるサニーが7台買える値段であった点からも、プレジデントの高額ぶりがうかがえる。
  2. ^ 佐藤はこれに先立ちクラウン・エイトを公用車に使用していた。この頃から日本の政治家・財界人の多くが大型化し過ぎたアメリカ車に代わって、プレジデントやセンチュリーといった国産高級車に乗り換えるようになり、黒塗りボディに後部座席のレースカーテンという出で立ちの国産大型車が東京都心の官庁街・料亭前などを徘徊するようになった。
  3. ^ 前後サスペンション、ホイールベース、サイドシル部、前後ドアパネル、前後ドアサッシュ、ルーフ、ガラス全般、インストメントパネル等は150型と同一。大型車はサイズにゆとりがあるため、オーバーハング部分の延長・改装による大胆なリデザインは比較的容易である。日本車以外ではフォード・モーターリンカーン1961年から1968年まで、キャビンは殆どそのまま、前後オーバーハングを年々延長・改装して毎年のデザインチェンジに対処していた。
  4. ^ 玩具のトミカでは当初150型を製品化、パッケージまで完成していたが発売直前に実車がモデルチェンジ、急遽金型の前後を250型に改装して発売したエピソードが残っている。
  5. ^ 250型が登場した昭和48年の本車の自動車税は54000円だが、同時期の大卒初任給57000円に匹敵する金額だった。なお、前年の大卒初任給は49900円であり自動車税のほうが高かった。
  6. ^ Y44型をベースにボブ・シャープの手によってチューンされたエンジンがIMSAに出場したダットサン・280ZXに搭載されたことがある。それ以前に市販のZにY型エンジンを搭載する案もあったが、実現に至っていない。
  7. ^ このリアサスペンションの一新で最低地上高が増え、試作車の段階で当時日産の会長であったワンマン経営者・川又克二から、「(後席へ)乗降しづらくなった」とクレームが付き、技術陣は総力を挙げて改良、マイナーチェンジ後の最低地上高を10mm増に抑えたという逸話がある。

関連項目 編集

外部リンク 編集