日産・R390は、日産自動車1990年代後半にル・マン24時間レースのために、トム・ウォーキンショー・レーシング (TWR) の協力のもと開発されたスポーツカーである[5]

日産・R390
カテゴリー LMGT1
コンストラクター 日産
デザイナー トニー・サウスゲート
先代 日産・R380
後継 日産・R391
主要諸元[1][2][3][4]
全長 4,720 mm (185.8 in) (1998)
全幅 2,000 mm (78.7 in) (1998)
全高 1,140 mm (44.9 in) (1998)
ホイールベース 2,720.3 mm (107.1 in) (1998)
エンジン 3.5リッター VRH35L ツインターボ DOHC V8 ミッドシップ/リアドライブ
トランスミッション エクストラック 6速 シーケンシャル・マニュアル
重量
  • 1,029 kg (2,269 lb) (レースカー)
  • 1,080 kg (2,381 lb) (ロードカー)
主要成績
出走時期 1997 – 1998
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名称は、かつて1960年代日本グランプリで活躍したプリンス・R380 - 日産・R382、及びR383の系列として名づけられた[6]

成り立ち 編集

建前上はグランドツーリングカー (GT) ということになっているが、実質的な中身はスポーツカーである。この手法は、1994年のル・マンに参戦したダウアーポルシェポルシェ・962Cをロードゴーイングカーとして改造したもの)が先駆けである。設計はトニー・サウスゲート[7]、エクステリアデザインはイアン・カラムが担当した。

プロジェクトは1996年のル・マン24時間レース終了後に立ち上がり、LMPとLMGT1が検討され、後者に決定した[8]。短期間で開発するためにTWRがパートナーに選ばれ、TWRが開発したジャガー・XJR-15のモノコックを流用して開発された[8]

活動期間の1997年から1998年は、フランス西部自動車クラブが独自に規定しているLMGT1にのみ依拠しており、国際自動車連盟(FIA)国際スポーツ法典付則J項のグループGT1(グランドツーリング・スポーツカー)とは無関係のフリーフォーミュラ(グループE)であるため、FIA GT選手権(1997年から1998年)への参加資格はない。

エンジンは、1990年代のグループCで活躍した3.5 L・V8ツインターボのVRH35Zをベースに開発されたVRH35Lが搭載された[9][10]。この2機は型式こそ異なっているが、新型が開発されたわけではなく、VRH35Zにリストリクターを装着してブースト圧を下げただけで、エンジン自体はVRH35Zのままである。VRH35ZはかつてグループC最強とまで言われたエンジンではあったが、リストリクターによる吸気流量制限への最適化が行われておらず、性能はかなり低くなってしまっていた。

ロードカー 編集

 
日産・R390ロードカー(日産グローバル本社ギャラリーでの展示)

R390はLMGT1の規定により、ロードカー(公道用市販車)も開発された[11]1997年に1台のみが製作、発表され、翌年にはこれを改装して1998年仕様車として発表した[4]が、当時の日産の財務状況の悪化が追い討ちをかけ、R390のロードカーが実際に販売されることはなかった[11]。現在、ロードカーは座間市にある日産ヘリテージコレクションにレースカーとともに保管されている[11]

ヘッドライトにはZ32型フェアレディZ、テールレンズはクーペ・フィアットのものを流用している[4]

レースでの成績 編集

 
日産・R390(1998年仕様)

ル・マン24時間レースには1997年に初参戦し、予備予選ではクラス1位を獲得する順調なスタートであった[12]。しかし、リアトランクの仕切りをメッシュ製とした構造に対し、市販車と同様のトランクスペースを設けるようにと指摘された[13][14]。そこで急遽トランクを密閉構造の箱形に変更したが、ギアボックスの冷却が阻害されるトラブルが発生し、結果は残せなかった[15][16][14]。また、日産とTWR間のコミュニケーションの問題も露呈した[17]

1998年の参戦時には、前年型マシンの弱点であったギアボックス冷却の改善、ロングテール化などの空力改善、TCSやABSなどを導入するなどし、性能を向上させた[18][19]。さらに日産とTWRの連携を確実にしてチーム体制を強化した[20]。堅実な周回ペース戦略により、星野一義鈴木亜久里影山正彦の乗るマシンが総合3位を獲得し、ノバエンジニアリングからJOMOのスポンサードによってエントリーした前年度の車両をアップグレードした車両を含む出走した4台全車が10位以内で完走した[21][22]

レース仕様車は二年間で合計8台が製作され、二台が個人に売却されたとされる。その売却された二台の内、1998年に総合5位に入賞したシャシーナンバーR8(VIN:78009)はエリック・コマスが購入し、レストアと公道走行の為のコンバートと認証を受け、フランス国内でナンバーを取得している。

チーム クラス No. ドライバー 周回数 総合順位 クラス順位
1997   ニッサン・モータースポーツ LMGT1 21   マーティン・ブランドル
  ヨルグ・ミューラー
  ウェイン・テイラー
139 DNF DNF
22   リカルド・パトレーゼ
  エリック・ヴァン・デ・ポール
  鈴木亜久里
121 DNF DNF
23   星野一義
  エリック・コマス
  影山正彦
294 12位 5位
1998   ニッサン・モータースポーツ LMGT1 30   ジョン・ニールセン
  ミハエル・クルム
  フランク・ラゴルス
342 5位 5位
31   ヤン・ラマース
  エリック・コマス
  アンドレア・モンテルミーニ
342 6位 6位
32   鈴木亜久里
  星野一義
  影山正彦
347 3位 3位
33   本山哲
  黒澤琢弥
  影山正美
319 10位 9位

脚注 編集

  1. ^ Racing on 240, p. 7.
  2. ^ Racing on 243b, p. 45.
  3. ^ Racing on 266, p. 15.
  4. ^ a b c Racing on 475, p. 71.
  5. ^ Racing on 240, p. 6.
  6. ^ Racing on 241, p. 62.
  7. ^ Racing on 243b, p. 42.
  8. ^ a b Racing on 463, pp. 46–47.
  9. ^ Racing on 241, p. 65.
  10. ^ Racing on 245, p. 65.
  11. ^ a b c 世界に1台! 幻の国産スーパーカー『日産R390』が誕生した理由と功績”. AUTO MESSE WEB. 2021年5月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年4月24日閲覧。
  12. ^ Racing on 243a.
  13. ^ Racing on 246, p. 10.
  14. ^ a b Racing on 261, p. 40.
  15. ^ Racing on 246, pp. 10–11, 123.
  16. ^ Racing on 246, pp. 59–60.
  17. ^ Racing on 261, p. 41.
  18. ^ Racing on 266, pp. 14–15.
  19. ^ Racing on 267.
  20. ^ Racing on 271, p. 119.
  21. ^ Racing on 271, pp. 119–121, 124.
  22. ^ Racing on 272, pp. 68–69.

参考文献 編集

  • 「R390GT1がシェイクダウンテスト」『Racing on』第240巻、1997年、6-9頁。 
  • 「R390GT1」『Racing on』第241巻、1997年、62-65頁。 
  • 「ル・マン24時間予備予選」『Racing on』第243巻、1997年、6-7頁。 
  • 「ニッサンR390GT1、ル・マン制覇へのフォーメイション」『Racing on』第243巻、1997年、37-47頁。 
  • 「ニッサンR390GT1の挑戦」『Racing on』第245巻、1997年、57-72頁。 
  • 「速報/ル・マン24時間」『Racing on』第246巻、1997年、6-11, 118-124。 
  • 「ニッサン、バルセロナテスト」『Racing on』第261巻、1998年、37-41頁。 
  • 「ニッサンR390GT1 98年モデル完成!」『Racing on』第266巻、1998年、14-17頁。 
  • 「R390を鍛え上げろ!」『Racing on』第267巻、1998年、42-45頁。 
  • 「ル・マン24時間」『Racing on』第271巻、1998年、6-11, 117-124。 
  • 「特集/ル・マン24時間」『Racing on』第272巻、1998年、58-79頁。 
  • 「NISMO」『Racing on』第463巻、2013年、8-106頁。 
  • 「GT1隆盛の時代」『Racing on』第475巻、2015年、6-102頁。 

関連項目 編集

外部リンク 編集