昌安見久尼
日本の戦国時代の女性
昌安見久尼(しょうあんけんきゅうに、天文7年(1538年) - 天正13年(1585年))は、戦国時代の近江浅井氏の女性。名は
人物 編集
- 浅井久政の長女だが、庶子のため祖父・浅井亮政の養女となった。生母は亮政の侍女と伝わるが定かではない。兄弟姉妹に浅井長政、京極マリアら多数。
- 母とともに実宰院(当時は実西庵)に移り住み、母の死後庵主となる。寺伝によれば、彼女は身長5尺8寸(176cm)・体重28貫(105kg)の大女であったため、嫁入りを諦めて、天文11年(1542年)に出家し、小谷城の南4kmの平塚村に庵を建てて移住し、実西庵の開基者となったとされる。
- しかし、阿久が実際に出家したのは幼少期とされ、出家の理由としては疑わしいが、成長した彼女が長身であったことからの言い伝えかもしれない。
- 徳昌寺授戒帳によれば、天文15年(1546年)2月24日に久政母・妻らとともに授戒[1]。
逸話 編集
脚注 編集
参考文献 編集
- 黒田, 惟信 編『東浅井郡誌』 3巻、滋賀県東浅井郡教育会、1927年11月28日。doi:10.11501/1242741。
外部リンク 編集
- 特集 近江の姫たち 見久尼 - 滋賀県公式観光サイト 江のふるさと滋賀
- 実宰院 - 長浜・米原・奥びわ湖観光サイト