明倫館(めいりんかん)は、1893年明治26年)に宮内翁助により設けられ、旧南埼玉郡江面村(現:埼玉県久喜市)に所在していた私立中等教育機関である。

概要 編集

この明倫館は1893年明治26年)に宮内翁助が中島端蔵(中島撫山の二男)と共に南埼玉郡江面村の宝光院本堂を仮校舎とし開学した中等教育機関である。

明倫館の教育課程は当初、本科4年・研究科3年であり、定員は150人であった。第2代館長に宮内翁助が就任すると学則が改められ、中学校程度の各種学校とし、普通科3年課程および実業科1年課程に改め設置した。[1]

略歴 編集

脚注 編集

  1. ^ 『久喜市指定有形文化財 私立学校明倫館関係資料(現地所在案内板)』 久喜市教育委員会 設置 平成22年9月 設置

参考文献 編集

  • 『久喜市史 通史編 下巻(165ページ〜171ページ)』 久喜市史編さん室 編集 埼玉県久喜市 発行 平成4年1月20日 発行

関連項目 編集

外部リンク 編集

  1. ^ ナシの記念碑 久喜市ホームページ(2010年7月3日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project